韓非子 / 外儲説右下第三十五
於是燕王因舉國而屬之,子之大重。一曰:潘壽,隱者。燕使人聘之。潘壽見燕王曰:「臣恐子之之如益也。」王曰:「何益哉?」對曰:「古者禹死,將傳天下於益,啓之人因相與攻益而立啓。今王信愛子之,將傳國子之,太子之人盡懷印,爲子之之人無一人在朝廷者。王不幸弃羣臣,則子之亦益也。」王因收吏璽,自三百石以上皆效之子之,子之大重。夫人主之所以鏡照者,諸侯之士徒也,今諸侯之士徒皆私門之黨也。人主之所以自淺娋者,巖穴之士徒也,今巖穴之士徒皆私門之舍人也。是何也?奪褫之資在子之也。故吳章曰:「人主不佯憎愛人。佯愛人,不得復憎也;佯憎人,不得復愛也。」一曰:燕王欲傳國於子之也,問之潘壽,對曰:「禹愛益而任天下於益,已而以啓人爲吏。及老,而以啓爲不足任天下,故傳天下於益,而勢重盡在啓也。已而啓與友黨攻益而奪之天下,是禹名傳天下於益,而實令啓自取之也。此禹之不及堯、舜明矣。今王欲傳之子之,而吏無非太子之人者也,是名傳之而實令太子自取之也。」燕王乃收璽,自三百石以上皆效之子之,子之遂重。
新字:於是燕王因舉国而属之,子之大重。一曰:潘寿,隠者。燕使人聘之。潘寿見燕王曰:「臣恐子之之如益也。」王曰:「何益哉?」対曰:「古者禹死,将伝天下於益,啓之人因相与攻益而立啓。今王信愛子之,将伝国子之,太子之人尽懐印,為子之之人無一人在朝廷者。王不幸弃羣臣,則子之亦益也。」王因収吏璽,自三百石以上皆効之子之,子之大重。夫人主之所以鏡照者,諸侯之士徒也,今諸侯之士徒皆私門之党也。人主之所以自浅娋者,巖穴之士徒也,今巖穴之士徒皆私門之舎人也。是何也?奪褫之資在子之也。故呉章曰:「人主不佯憎愛人。佯愛人,不得復憎也;佯憎人,不得復愛也。」一曰:燕王欲伝国於子之也,問之潘寿,対曰:「禹愛益而任天下於益,已而以啓人為吏。及老,而以啓為不足任天下,故伝天下於益,而勢重尽在啓也。已而啓与友党攻益而奪之天下,是禹名伝天下於益,而実令啓自取之也。此禹之不及堯、舜明矣。今王欲伝之子之,而吏無非太子之人者也,是名伝之而実令太子自取之也。」燕王乃収璽,自三百石以上皆効之子之,子之遂重。
書き下し
是に於て燕王因りて国を挙げて之に属す、子之大いに重し。一に曰く、潘寿は、隠者なり。燕人をして之を聘せしむ。潘寿燕王に見えて曰く、「臣子之の益の如くならんことを恐るるなり」と。王曰く、「何の益ぞや」と。対へて曰く、「古者禹死し、将に天下を益に伝へんとす、啓の人因りて相与に益を攻めて啓を立つ。今王子之を信愛し、将に国を子之に伝へんとす、太子の人尽く印を懐き、子之の人為る者一人の朝廷に在る者無し。王不幸にして羣臣を弃てなば、則ち子之も亦益ならん」と。王因りて吏の璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之大いに重し。夫れ人主の鏡照とする所以の者は、諸侯の士徒なり、今諸侯の士徒は皆私門の党なり。人主の自ら浅娋する所以の者は、巌穴の士徒なり、今巌穴の士徒は皆私門の舎人なり。是れ何ぞや。奪褫の資子之に在ればなり。故に呉章曰く、「人主は佯りて人を憎愛せず。佯りて人を愛すれば、復た憎むを得ざるなり。佯りて人を憎めば、復た愛するを得ざるなり」と。一に曰く、燕王国を子之に伝へんと欲するや、之を潘寿に問ふ、対へて曰く、「禹益を愛して天下を益に任じ、已にして啓の人を以て吏と為す。老ゆるに及びて、啓を以て天下に任ずるに足らずと為す、故に天下を益に伝ふ、而して勢重尽く啓に在るなり。已にして啓友党と益を攻めて之が天下を奪ふ、是れ禹名は天下を益に伝へて、実は啓をして自ら之を取らしむるなり。此れ禹の堯・舜に及ばざること明らかなり。今王之を子之に伝へんと欲す、而して吏太子の人に非ざる者無きなり、是れ名は之を伝へて実は太子をして自ら之を取らしむるなり」と。燕王乃ち璽を収め、三百石より以上皆之を子之に効す、子之遂に重し。
現代語訳
そこで燕王は国を挙げて子之に委ね、子之の権勢はたいへん大きくなった。別の伝えではこうである。潘寿は隠者であった。燕王が人をやって彼を招いた。潘寿は燕王に謁見して言った。「私は子之が益のようになることを恐れます」。王が「益とはどういうことか」と言うと、潘寿は答えた。「昔、禹が亡くなるとき、天下を益に譲ろうとしましたが、禹の子の啓の配下の者たちが一緒になって益を攻め、啓を立てました。いま王は子之を信愛し、国を子之に譲ろうとしておられますが、太子の配下の者はみな官印を持ち、子之の配下で朝廷にいる者は一人もいません。王が不幸にして臣下たちを残して亡くなれば、子之もまた益のようになるでしょう」。そこで王は役人たちの官印を回収し、三百石以上の役人はすべて子之に任命させることにした。子之の権勢はたいへん大きくなった。そもそも君主が自分を映す鏡とするのは諸侯の士人たちであるが、いま諸侯の士人たちはみな権臣の私門の徒党となっている。君主が自分を省みて推し量る手立てとするのは在野の隠士たちであるが、いま在野の隠士たちはみな権臣の私門の食客となっている。これはなぜか。人の地位を奪ったり与えたりする力が子之にあるからである。だから呉章は言った。「君主は見せかけで人を愛したり憎んだりしてはならない。見せかけで人を愛すれば、もう憎むことができなくなる。見せかけで人を憎めば、もう愛することができなくなる」。別の伝えではこうである。燕王が国を子之に譲ろうとして、潘寿に尋ねた。潘寿は答えた。「禹は益を愛して天下を益に任せましたが、やがて啓の配下を役人にしました。年老いると、啓は天下を任せるに足りないとして、天下を益に譲りましたが、権勢はすべて啓の側にありました。やがて啓は仲間と益を攻めて天下を奪いました。これは禹が名目上は天下を益に譲りながら、実際には啓に自分で天下を取らせたということです。禹が堯や舜に及ばないことは明らかです。いま王は国を子之に譲ろうとしておられますが、役人は太子の配下でない者はいません。これは名目上は譲っても、実際には太子に自分で取らせることになります」。燕王はそこで官印を回収し、三百石以上の役人はすべて子之に任命させた。子之はついに権勢を得た。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲説右下第三十五法を枉ぐれば、則ち相を免ぜらる。魚を嗜むと雖も、此れ必ずしも我に魚を致さず、我又自ら魚を給する能はず。即し魚を受くる無くして相を免ぜられざれば、魚を嗜むと雖も、我能く長く自ら魚を給せん」と。此れ夫の人を恃むは自ら恃むに如かざるを明らかにし、人の己の為にするは己の自ら為すに如かざるを明らかにするなり。三。子之燕に相たり、貴くして主断す。蘇代斉の為に燕に使ひす、王之に問ひて曰く、「斉王も亦何如なる主ぞや」と。対へて曰く、「必ず霸たらず」と。燕王曰く、「何ぞや」と。対へて曰く、「昔桓公の霸たるや、内事は鮑叔に属し、外事は管仲に属し、桓公髪を被りて婦人を御し、日に市に遊ぶ。今斉王其の大臣を信ぜず」と。是に於て燕王因りて益々大いに子之を信ず。子之之を聞き、人をして蘇代に金百鎰を遺らしめて、其の使ふ所を聴く。一に曰く、蘇代斉の為に燕に使ひす、子之を益する無ければ、則ち必ず事を得ずして還り、貢賜又出でざるを見、是に於て燕王に見えて、乃ち斉王を誉む。燕王曰く、「斉王何ぞ是の若く之れ賢なるや。則ち将に必ず王たらんとするか」と。蘇代曰く、「亡を救ふに暇あらず、安んぞ王たるを得んや」と。燕王曰く、「何ぞや」と。曰く、「其の愛する所に任ずること均しからず」と。燕王曰く、「其の亡ぶるは何ぞや」と。曰く、「昔者斉の桓公管仲を愛し、置きて以て仲父と為し、内事理まり、外事断ず、国を挙げて之に帰す、故に天下を一匡し、諸侯を九合す。今斉の愛する所に任ずること均しからず、是を以て其の亡ぶるを知るなり」と。燕王曰く、「今吾子之に任ず、天下未だ之を聞かざるか」と。是に於て明日朝を張りて子之に聴く。潘寿燕王に謂ひて曰く、「王国を以て子之に譲るに如かず。人の堯を賢と謂ふ所以の者は、其の天下を許由に譲り、許由必ず受けざるを以てなり、則ち是れ堯許由に譲るの名有りて実は天下を失はざるなり。今王国を以て子之に譲らば、子之必ず受けざるなり、則ち是れ王子之に譲るの名有りて堯と行を同じくするなり」と。
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戦国策・燕王噲既立燕王噲既に立ち、蘇秦齊に死す。蘇秦の燕に在るや、其の相子之と婚を為し、蘇代子之と交わる。蘇秦死するに及び、齊の宣王復た蘇代を用う。燕噲三年、楚・三晉と秦を攻め、勝たずして還る。子之燕に相たり、貴重にして主斷す。蘇代齊の爲に燕に使いし、燕王之に問いて曰く、「齊の宣王は何如ぞ」と。對えて曰く、「必ず霸たらず」と。燕王曰く、「何ぞや」と。對えて曰く、「其の臣を信ぜず」と。蘇代激するを以て燕王をして厚く子之に任ぜしめんと欲するなり。是に於て燕王大いに子之を信ず。子之因りて蘇代に百金を遺り、其の使う所を聽く。鹿毛壽燕王に謂いて曰く、「國を以て子之に讓るに如くは莫し。人堯を賢なりと謂うは、其の天下を許由に讓るを以てなり、由必ず受けず、天下を讓るの名有りて、實は天下を失わず。今王國を以て相子之に讓らば、子之必ず敢えて受けず、是れ王堯と行を同じくするなり」と。燕王因りて國を舉げて子之に屬す、子之大いに重し。或ひと曰く、「禹益に授けて啟を以て吏と為し、老いるに及び、啟を以て天下を任ずるに足らずと為し、之を益に傳う。啟支黨と益を攻めて之が天下を奪う、是れ禹名は天下を益に傳うれども、其の實は啟をして自ら之を取らしむ。今王國を子之に屬すと言うも、吏太子の人に非ざる無し、是れ名は子之に屬すれども、太子事を用うるなり」と。王因りて印を收め三百石の吏より自り之を子之に效す。子之南面して王事を行い、噲老いて政を聽かず、顧って臣と爲り、國事皆子之に決す。子之三年、燕國大いに亂れ、百姓恫怨す。將軍市被、太子平謀り、將に子之を攻めんとす。儲子齊の宣王に謂う、「因りて之を仆せば、燕を破ること必ず矣」と。王因りて人をして太子平に謂わしめて曰く、「寡人聞く太子の義、將に私を廢して公を立て、君臣の義を飭め、父子の位を正さんとすと。寡人の國小さく、先後するに足らず。然りと雖も、則ち唯だ太子の之を令する所ならん」と。太子因りて黨を數えて眾を聚め、將軍市被公宮を圍み、子之を攻むるも、克たず。將軍市被及び百姓乃ち反りて太子平を攻む。將軍市被死して已に殉ず、國難を構うること數月、死する者數萬の眾、燕人恫怨し、百姓意を離る。孟軻齊の宣王に謂いて曰く、「今燕を伐たば、此れ文・武の時なり、失うべからず」と。王因りて章子をして五都の兵を將いしめ、北地の眾に因るを以て燕を伐たしむ。士卒戰わず、城門閉ざさず、燕王噲死す。齊大いに燕に勝ち、子之亡ぶ。二年、燕人公子平を立つ、是を燕の昭王と為す。
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『韓非子』説疑第四十四燕の君子噲は、邵公奭の後なり。地は方数千里、戟を持つもの数十万、子女の楽しみに安んぜず、鐘石の声を聴かず、内は汚池台榭を堙めず、外は罼弋田猟せず、又親ら耒耨を操りて以て畎畝を修む。子噲の身を苦しめて以て民を憂ふること此くの如く其れ甚だし、古の所謂聖王明君なる者と雖も、其の身を勤めて世を憂ふること此れより甚だしからず。然り而して子噲身死し国亡び、子之に奪はれて、天下之を笑ふ。此れ其れ何の故ぞや。臣に任ずる所以に明らかならざればなり。
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