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韓非子 / 外儲説右下第三十五

田連、成竅,天下善鼓琴者也,然而田連鼓上、成竅擑下而不能成曲,亦共故也。夫以王良、造父之巧,共轡而御,不能使馬,人主安能與其臣共權以爲治?以田連、成竅之巧,共琴而不能成曲,人主又安能與其臣共勢以成功乎?一曰:造父爲齊王駙駕,渴馬服成,效駕圃中。渴馬見圃池,去車走池,駕敗。王子於期爲趙簡主取道争千里之表,其始發也,彘伏溝中,王子於期齊轡筴而進之,彘突出於溝中,馬驚駕敗。司城子罕謂宋君曰:「慶賞賜與,民之所喜也,君自行之;殺戮誅罰,民之所惡也,臣請當之。」宋君曰:「諾。」於是出威今,誅大臣,君曰「問子罕」也。於是大臣畏之,細民歸之。處期年,子罕殺宋君而奪政。故子罕爲出彘以奪其君國。簡公在上位,罰重而誅嚴,厚賦斂而殺戮民。田成恒設慈愛,明寛厚。簡公以齊民爲渴馬,不以恩加民,而田成恒以仁厚爲圃池也。一曰:造父爲齊王駙駕,以渴服馬,百日而服成。服成,請效駕齊王,王曰:「效駕於圃中。」造父驅車入圃,馬見圃池而走,造父不能禁。造父以渴服馬久矣,今馬見池,駻而走,雖造父不能治。今簡公之以法禁其衆久矣,而田成恒利之,是田成恒傾圃池而示渴民也。

新字:田連、成竅,天下善鼓琴者也,然而田連鼓上、成竅擑下而不能成曲,亦共故也。夫以王良、造父之巧,共轡而御,不能使馬,人主安能与其臣共権以為治?以田連、成竅之巧,共琴而不能成曲,人主又安能与其臣共勢以成功乎?一曰:造父為斉王駙駕,渇馬服成,効駕圃中。渇馬見圃池,去車走池,駕敗。王子於期為趙簡主取道争千里之表,其始発也,彘伏溝中,王子於期斉轡筴而進之,彘突出於溝中,馬驚駕敗。司城子罕謂宋君曰:「慶賞賜与,民之所喜也,君自行之;殺戮誅罰,民之所悪也,臣請当之。」宋君曰:「諾。」於是出威今,誅大臣,君曰「問子罕」也。於是大臣畏之,細民帰之。処期年,子罕殺宋君而奪政。故子罕為出彘以奪其君国。簡公在上位,罰重而誅厳,厚賦斂而殺戮民。田成恒設慈愛,明寛厚。簡公以斉民為渇馬,不以恩加民,而田成恒以仁厚為圃池也。一曰:造父為斉王駙駕,以渇服馬,百日而服成。服成,請効駕斉王,王曰:「効駕於圃中。」造父駆車入圃,馬見圃池而走,造父不能禁。造父以渇服馬久矣,今馬見池,駻而走,雖造父不能治。今簡公之以法禁其衆久矣,而田成恒利之,是田成恒傾圃池而示渇民也。

書き下し

田連・成竅は、天下の善く琴を鼓する者なり、然り而して田連上を鼓し、成竅下を擑して曲を成す能はざるは、亦共にするが故なり。夫れ王良・造父の巧を以てするも、轡を共にして御すれば、馬を使ふ能はず、人主安んぞ能く其の臣と権を共にして以て治を為さん。田連・成竅の巧を以てするも、琴を共にすれば曲を成す能はず、人主又安んぞ能く其の臣と勢を共にして以て功を成さんや。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇馬服成す、駕を圃中に効す。渇馬圃池を見、車を去りて池に走る、駕敗る。王子於期趙簡主の為に道を取りて千里の表を争ふ、其の始めて発するや、彘溝中に伏す、王子於期轡筴を斉へて之を進む、彘溝中より突出す、馬驚きて駕敗る。司城子罕宋君に謂ひて曰く、「慶賞賜与は、民の喜ぶ所なり、君自ら之を行へ。殺戮誅罰は、民の悪む所なり、臣請ふ之に当たらん」と。宋君曰く、「諾」と。是に於て威今を出だし、大臣を誅するに、君「子罕に問へ」と曰ふなり。是に於て大臣之を畏れ、細民之に帰す。処ること期年、子罕宋君を殺して政を奪ふ。故に子罕出彘と為りて以て其の君の国を奪ふ。簡公上位に在り、罰重くして誅厳しく、賦斂を厚くして民を殺戮す。田成恒慈愛を設け、寛厚を明らかにす。簡公斉民を以て渇馬と為し、恩を以て民に加へず、而して田成恒仁厚を以て圃池と為すなり。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇を以て馬を服し、百日にして服成る。服成りて、駕を斉王に効さんことを請ふ、王曰く、「駕を圃中に効せ」と。造父車を駆りて圃に入る、馬圃池を見て走る、造父禁ずる能はず。造父渇を以て馬を服すること久し、今馬池を見て、駻して走る、造父と雖も治むる能はず。今簡公の法を以て其の衆を禁ずること久し、而して田成恒之を利す、是れ田成恒圃池を傾けて渇民に示すなり。

現代語訳

田連と成竅は天下の琴の名手である。しかし田連が上の弦を弾き、成竅が下の弦を押さえて、曲にならなかったのは、やはり一つの琴を共にしたからである。王良や造父ほどの巧みさがあっても、手綱を分け持って御せば馬を使えないのだから、君主がどうして臣下と権力を分け合って国を治めることができようか。田連や成竅ほどの巧みさがあっても、琴を共にすれば曲にならないのだから、君主がどうして臣下と勢を分け合って功を成すことができようか。別の伝えではこうである。造父が斉王の副え馬の御者となり、馬に水を与えずに渇かせて調教を終え、庭園で乗り心地を試させた。渇いた馬は庭園の池を見ると、車を引いたまま池へ走り、車は壊れた。王子於期が趙の簡主のために、千里の道のりの競走に出た。出発したばかりのとき、豚が溝の中に伏せていた。王子於期が手綱と鞭をそろえて馬を進めると、豚が溝から飛び出し、馬は驚いて車は壊れた。宋の司城(土木を司る官)の子罕が宋の君主に言った。「褒美や賜り物は民の喜ぶものですから、君が自ら行ってください。死刑や処罰は民の憎むものですから、私が引き受けさせてください」。宋の君主は「よかろう」と言った。こうして子罕が威令を出し、大臣を誅するときには、君主は「子罕に尋ねよ」と言った。そこで大臣たちは子罕を恐れ、民は子罕に帰服した。一年ほどして、子罕は宋の君主を殺して政権を奪った。だから子罕は飛び出した豚となって君主の国を奪ったのである。斉の簡公は君主の位にあって、罰を重くし誅殺を厳しくし、税を重くして民を殺した。田成恒(田常)は慈愛を施し、寛大さを示した。簡公は斉の民を渇いた馬のようにして恩を加えず、田成恒は仁の厚さで庭園の池となったのである。別の伝えではこうである。造父が斉王の副え馬の御者となり、水を与えずに渇かせて馬を調教し、百日で調教を終えた。調教が終わったので、斉王に乗り心地を試してもらうよう願い出ると、王は「庭園で試せ」と言った。造父が車を走らせて庭園に入ると、馬は池を見て走り出し、造父にも止められなかった。造父は長く渇きによって馬を従わせてきたので、いま馬が池を見て暴れて走り出せば、造父でも制することができない。いま簡公は長く法によって民を抑えつけてきたのに、田成恒が民に利を与えた。これは田成恒が庭園の池を傾けて渇いた民に見せたのである。

解説

第一の經の說の続きで、二人の名手が一つの琴を共に弾いても曲にならないという比喩から、君主は臣下と権勢を分け合えないと結論します。別伝の造父の話は、馬を渇かせて調教したため池を見て暴走したという筋で、簡公が法で民を締めつけてきたところへ田常が恩恵を与え、民がなだれを打ってそちらへ流れたことのたとえです。宋の司城子罕の話は、君主に賞を、自分に罰を引き受けると申し出て、刑罰の権を握った結果、ついに君主を殺して政権を奪ったというもので、二柄篇にも同じ筋の話が見えます。「威今」は「威令」の意に解しました。嫌われ役を部下に任せきりにすると、実際の権限もその部下に移っていく、という点は今も見落とされがちです。

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