韓非子 / 外儲説右下第三十五
故失火之嗇夫,不可不論也。救火者,吏操壺走火,則一人之用也;操鞭使人,則役萬夫。故所遇術者,如造父之遇驚馬,牽馬推車則不能進,代御執轡持筴則馬咸騖矣。是以說在椎鍛平夷,榜檠矯直。不然,敗在淖齒用齊戮閔王,李兌用趙餓主父也。五。因事之理,則不勞而成。故兹鄭之踞轅而歌以上高梁也。其患在趙簡主稅吏請輕重;薄疑之言「國中飽」,簡主喜而府庫虚,百姓餓而姦吏富也。故桓公巡民而管仲省腐財怨女。不然,則在延陵乘馬不得進,造父過之而爲之泣也。一。造父御四馬,馳驟周旋而恣欲於馬。恣欲於馬者,擅轡筴之制也。然馬驚於出彘而造父不能禁制者,非轡筴之嚴不足也,威分於出彘也。王子於期爲駙駕,轡筴不用而擇欲於馬,擅芻水之利也。然馬過於圃池而駙駕敗者,非芻水之利不足也,德分於圃池也。
新字:故失火之嗇夫,不可不論也。救火者,吏操壺走火,則一人之用也;操鞭使人,則役万夫。故所遇術者,如造父之遇驚馬,牽馬推車則不能進,代御執轡持筴則馬咸騖矣。是以説在椎鍛平夷,榜檠矯直。不然,敗在淖歯用斉戮閔王,李兌用趙餓主父也。五。因事之理,則不労而成。故茲鄭之踞轅而歌以上高梁也。其患在趙簡主税吏請軽重;薄疑之言「国中飽」,簡主喜而府庫虚,百姓餓而姦吏富也。故桓公巡民而管仲省腐財怨女。不然,則在延陵乗馬不得進,造父過之而為之泣也。一。造父御四馬,馳驟周旋而恣欲於馬。恣欲於馬者,擅轡筴之制也。然馬驚於出彘而造父不能禁制者,非轡筴之厳不足也,威分於出彘也。王子於期為駙駕,轡筴不用而択欲於馬,擅芻水之利也。然馬過於圃池而駙駕敗者,非芻水之利不足也,徳分於圃池也。
書き下し
故に火を失するの嗇夫は、論ぜざる可からざるなり。火を救ふ者は、吏壺を操りて火に走れば、則ち一人の用なり。鞭を操りて人を使へば、則ち万夫を役す。故に術に遇ふ所の者は、造父の驚馬に遇ふが如し、馬を牽き車を推せば則ち進む能はず、代はりて御して轡を執り筴を持てば則ち馬咸な騖す。是を以て説は椎鍛の平夷、榜檠の矯直に在り。然らざれば、敗は淖歯の斉を用ひて閔王を戮し、李兌の趙を用ひて主父を餓ゑしむるに在るなり。五。事の理に因れば、則ち労せずして成る。故に茲鄭の轅に踞りて歌ひて以て高梁に上るなり。其の患は趙簡主の税吏軽重を請ふに在り。薄疑の「国中飽く」と言ふ、簡主喜びて府庫虚しく、百姓餓ゑて姦吏富むなり。故に桓公民を巡りて管仲腐財怨女を省く。然らざれば、則ち延陵の馬に乗りて進むを得ず、造父之を過ぎりて之が為に泣くに在るなり。一。造父四馬を御し、馳驟周旋して馬に恣欲す。馬に恣欲する者は、轡筴の制を擅にするなり。然れども馬出彘に驚きて造父禁制する能はざる者は、轡筴の厳足らざるに非ず、威出彘に分かるればなり。王子於期駙駕を為し、轡筴用ひずして馬に択欲す、芻水の利を擅にするなり。然れども馬圃池を過ぎて駙駕敗るる者は、芻水の利足らざるに非ず、徳圃池に分かるればなり。
現代語訳
だから火事を出した地区の嗇夫(下級役人)は、罪を問わないわけにはいかない。火を消すとき、役人が自分で壺を持って火のもとへ走れば、一人分の働きにすぎない。鞭を手にして人を指図すれば、一万人を使うことができる。だから術を心得た者は、造父が驚いて動かない馬に出会ったときのようである。馬を引いたり車を押したりしても進まないが、代わって手綱を取り鞭を持てば、馬はみな一斉に駆け出す。それゆえ、その説明は、槌で打って平らにし、ためぎで曲がりを正すという話にある。そうしなければ、失敗は淖歯が斉の実権を握って閔王を殺し、李兌が趙の実権を握って主父(武霊王)を餓死させた話に示される。その五。物事の道理に従えば、苦労せずに成し遂げられる。だから茲鄭は車の轅に腰かけて歌い、(人々を引きつけて)高い橋の坂を上らせたのである。その禍いは、趙の簡主(趙簡子)の徴税役人が税の軽重を尋ねた話や、薄疑が「国の中ほどが肥えている」と言い、簡主が喜んだものの実は府庫は空で、民は飢え、悪徳役人だけが富んでいたという話にある。だから斉の桓公が民の間を巡ったとき、管仲は腐らせた財貨と嫁げない女性とを減らさせた。そうしなければ、延陵卓子が馬に乗っても進めず、造父がそこを通りかかって彼のために泣いた話のようになる。(以下、說)その一。造父は四頭の馬を御して、駆けさせ、速めさせ、ぐるぐる回らせるのも思いのままであった。馬を思いのままにできたのは、手綱と鞭による統制を一手に握っていたからである。しかし馬が飛び出した豚に驚いて、造父が制御できなかったのは、手綱と鞭の厳しさが足りなかったからではなく、威が飛び出した豚に分かたれたからである。王子於期は副え馬の御者となり、手綱と鞭を使わずに馬を思いどおりに動かしたが、それは飼い葉と水の恩恵を一手に握っていたからである。しかし馬が庭園の池のそばを通って車が壊れたのは、飼い葉と水の恩恵が足りなかったからではなく、徳が庭園の池に分かたれたからである。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲説右下第三十五火を救ふ者は、吏をして壺甕を挈げて火に走らしむれば、則ち一人の用なり。鞭箠を操り指麾して人を趣使すれば、則ち万夫を制す。是を以て聖人は細民に親しまず、明主は小事を躬らせず。造父方に耨る、時に子父車に乗りて過ぐる者有り、馬驚きて行かず、其の子車を下りて馬を牽き、父子車を推し、造父に我を助けて車を推さんことを請ふ。造父因りて器を収め、輟めて之に寄載し、其の子の乗を援き、乃ち始めて轡を検め筴を持つ、未だ之を用ひざるに、馬咸な騖す。造父をして御する能はざらしめば、力を尽くし身を労して之を助けて車を推すと雖も、馬猶ほ肯へて行かざるなり。今身をして佚ならしめ、且つ寄載して、人に徳有る者は、術有りて之を御すればなり。故に国は君の車なり、勢は君の馬なり。術以て之を御する無ければ、身労すと雖も、猶ほ乱を免れず。術有りて以て之を御すれば、身は佚楽の地に処り、又帝王の功を致すなり。椎鍛は、夷らかならざるを平らかにする所以なり。榜檠は、直からざるを矯むる所以なり。聖人の法を為るや、夷らかならざるを平らかにし、直からざるを矯むる所以なり。淖歯の斉に用ひらるるや、閔王の筋を擢く。李兌の趙に用ひらるるや、主父を餓殺す。此の二君は、皆其の椎鍛榜檠を用ふる能はず、故に身死して戮と為りて天下の笑と為る。一に曰く、斉に入れば、則ち独り淖歯を聞きて斉王を聞かず。趙に入れば、則ち独り李兌を聞きて趙王を聞かず。故に曰く、人主なる者術を操らざれば、則ち威勢軽くして臣名を擅にす。一に曰く、武霊王恵文王をして政に莅ましめ、李兌相と為る、武霊王身を以て殺生の柄を躬親せず、故に李兌に劫さる。一に曰く、田嬰斉に相たり、人に王に説く者有りて曰く、「終歳の計は、王一たび数日の間を以て自ら之を聴かざれば、則ち以て吏の姦邪得失を知る無し」と。王曰く、「善し」と。田嬰之を聞き、即ち遽かに王に請ひて其の計を聴かしむ。
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『韓非子』外儲説右下第三十五田連・成竅は、天下の善く琴を鼓する者なり、然り而して田連上を鼓し、成竅下を擑して曲を成す能はざるは、亦共にするが故なり。夫れ王良・造父の巧を以てするも、轡を共にして御すれば、馬を使ふ能はず、人主安んぞ能く其の臣と権を共にして以て治を為さん。田連・成竅の巧を以てするも、琴を共にすれば曲を成す能はず、人主又安んぞ能く其の臣と勢を共にして以て功を成さんや。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇馬服成す、駕を圃中に効す。渇馬圃池を見、車を去りて池に走る、駕敗る。王子於期趙簡主の為に道を取りて千里の表を争ふ、其の始めて発するや、彘溝中に伏す、王子於期轡筴を斉へて之を進む、彘溝中より突出す、馬驚きて駕敗る。司城子罕宋君に謂ひて曰く、「慶賞賜与は、民の喜ぶ所なり、君自ら之を行へ。殺戮誅罰は、民の悪む所なり、臣請ふ之に当たらん」と。宋君曰く、「諾」と。是に於て威今を出だし、大臣を誅するに、君「子罕に問へ」と曰ふなり。是に於て大臣之を畏れ、細民之に帰す。処ること期年、子罕宋君を殺して政を奪ふ。故に子罕出彘と為りて以て其の君の国を奪ふ。簡公上位に在り、罰重くして誅厳しく、賦斂を厚くして民を殺戮す。田成恒慈愛を設け、寛厚を明らかにす。簡公斉民を以て渇馬と為し、恩を以て民に加へず、而して田成恒仁厚を以て圃池と為すなり。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇を以て馬を服し、百日にして服成る。服成りて、駕を斉王に効さんことを請ふ、王曰く、「駕を圃中に効せ」と。造父車を駆りて圃に入る、馬圃池を見て走る、造父禁ずる能はず。造父渇を以て馬を服すること久し、今馬池を見て、駻して走る、造父と雖も治むる能はず。今簡公の法を以て其の衆を禁ずること久し、而して田成恒之を利す、是れ田成恒圃池を傾けて渇民に示すなり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五子罕出彘と為り、田恒圃池と為る、故に宋君・簡公弑せらる。患は王良・造父の車を共にし、田連・成竅の琴を共にするに在るなり。二。治強は法に生じ、弱乱は阿に生ず、君此に明らかなれば、則ち賞罰を正して下に仁するに非ざるなり。爵禄は功に生じ、誅罰は罰に生ず、臣此に明らかなれば、則ち死力を尽くして君に忠なるに非ざるなり。君不仁に通じ、臣不忠に通ずれば、則ち以て王たる可し。昭襄は主の情を知りて五苑を発せず、田鮪は臣の情を知る故に田章に教へ、而して公儀は魚を辞す。三。明主なる者は、外に鑒みるなり、而して外事成らざるを得ず、故に蘇代斉王を非る。人主は上に鑒みるなり、而して居る者適はざれば顕れず、故に潘寿禹の情を言ふ。人主覚悟する所無し、方吾之を知る、故に衣を同じくし族を同じくするを恐る、而るを況んや権を借すをや。呉章之を知る、故に説くに佯を以てす、而るを況んや誠を借すをや。趙王虎目を悪みて壅がる。明主の道は、周の行人の衛侯を却くるが如きなり。四。人主なる者は、法を守り成を責めて以て功を立つる者なり。吏乱ると雖も独善の民有るを聞くも、乱民有りて独治の吏有るを聞かず、
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『韓非子』外儲説右下第三十五王将に之を聴かんとす、田嬰官をして押券斗石参升の計を具へしむ。王自ら計を聴く、計聴くに勝へず、罷めて食する後、復た坐し、復た暮に食せず。田嬰復た謂ひて曰く、「羣臣の終歳日夜敢て偷怠せざる所の事なり、王一夕を以て之を聴かば、則ち羣臣勧勉を為すこと有らん」と。王曰く、「諾」と。俄かにして王已に睡る、吏尽く刀を揄きて其の押券升石の計を削る。王自ら之を聴き、乱乃ち始めて生ず。五。茲鄭子輦を引きて高梁に上るも支ふる能はず。茲鄭轅に踞りて歌ふ、前む者は止まり、後るる者は趨り、輦乃ち上る。茲鄭をして術以て人を致す無からしめば、則ち身力を絶ちて死に至ると雖も、輦猶ほ上らざるなり。今身労苦に至らずして輦以て上る者は、術有りて以て人を致すの故なり。趙簡主税する者を出だす、吏軽重を請ふ。簡主曰く、「軽くする勿かれ重くする勿かれ。重ければ、則ち利上に入る。若し軽ければ、則ち利民に帰す。吏私利無くして正し」と。薄疑趙簡主に謂ひて曰く、「君の国中飽く」と。簡主欣然として喜びて曰く、「何如ぞや」と。対へて曰く、「府庫上に空虚にして、百姓下に貧餓す、然り而して姦吏富めり」と。
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『管子』形勢解造父は、善く馬を馭する者なり、善く其の馬を視、其の飲食を節し、馬力を度量し、其の足走を審らかにす、故に能く逺道を取りて馬罷れず。明主は猶お造父のごときなり、善く其の民を治め、其の力を度量し、其の技能を審らかにす、故に功を立てて民困傷せず。故に術なる者は、造父の逺道を取る所以なり、主の功名を立つる所以なり。馭なる者は、轡を操るなり。故に曰く、「造父の術は、馭に非ざるなり」と。奚仲の車器を為るや、方圜曲直、皆な規矩鈎繩に中たる。故に機旋相得て、之を用うるに牢利にして、成器堅固なり。明主は猶お奚仲のごときなり、言辭動作皆な術數に中たる、故に衆理相當たり、上下相親しむ。巧なる者は、奚仲の器を為る所以なり、主の治を為す所以なり。斵削なる者は、斤刀なり。故に曰く、「奚仲の巧は、斵削に非ざるなり」と。
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『韓非子』內儲說上七術第三十哀公曰く、「善し」と。仲尼曰く、「事急にして、賞するに及ばず。火を救ふ者尽く之を賞せば、則ち国以て人に賞するに足らず。請ふ徒だ罰を行はん」と。哀公曰く、「善し」と。是に於て仲尼乃ち令を下して曰く、「火を救はざる者は、降北の罪に比し、獣を逐ふ者は、入禁の罪に比す」と。令下りて未だ遍からずして火已に救はる。成驩、斉王に謂ひて曰く、「王は太だ仁にして、太だ人に忍びず」と。王曰く、「太だ仁にして、太だ人に忍びざるは、善名に非ずや」と。対へて曰く、「此れ人臣の善なり、人主の行ふ所に非ざるなり。夫れ人臣は必ず仁にして而る後に与に謀るべく、人に忍びずして而る後に近づくべきなり。仁ならざれば則ち与に謀るべからず、人に忍べば則ち近づくべからざるなり」と。王曰く、「然らば則ち寡人安くにか太だ仁なる、安くにか人に忍びざる」と。対へて曰く、「王は薛公に太だ仁にして、諸田に太だ忍びず。薛公に太だ仁なれば、則ち大臣重き無く、諸田に太だ忍びざれば、則ち父兄法を犯す。大臣重き無ければ、則ち兵外に弱く、父兄法を犯せば、則ち政内に乱る。兵外に弱く、政内に乱るる、此れ亡国の本なり」と。