韓非子 / 外儲説右上第三十四
亂臣者,必重人;重人者,必人主所甚親愛也。人主所甚親愛也者,是同堅白也。夫以布衣之資,欲以離人主之堅白、所愛,是以解左髀說右髀者,是身必死而說不行者也。
新字:乱臣者,必重人;重人者,必人主所甚親愛也。人主所甚親愛也者,是同堅白也。夫以布衣之資,欲以離人主之堅白、所愛,是以解左髀説右髀者,是身必死而説不行者也。
書き下し
乱臣なる者は、必ず重人なり。重人なる者は、必ず人主の甚だ親愛する所なり。人主の甚だ親愛する所の者は、是れ堅白を同じくするなり。夫れ布衣の資を以て、以て人主の堅白・愛する所を離さんと欲するは、是れ左髀を解きて右髀に説くを以てする者なり、是れ身必ず死して説行はれざる者なり。
現代語訳
乱臣とは、必ず権勢ある重臣である。重臣とは、必ず君主がたいへん親しみ愛している者である。君主がたいへん親しみ愛している者は、石の堅さと白さが一つの石に分かちがたく同居するように、君主と一体になっている。無位無官の身で、君主と一体になった愛する者を引き離そうとするのは、自分の左の股を切り離して右の股に説いて聞かせるようなもので、必ず身は殺され、説は行われないのである。
解説
外儲説右上篇の最後の一節で、腫れ物のたとえを受けて、乱臣を除くことの難しさを述べます。乱臣は必ず権勢ある重臣で、重臣は必ず君主が深く愛する者だといいます。「堅白を同じくす」は、名家の公孫龍らが論じた、一つの石に堅さと白さが分かちがたく同居するという議論を借りた表現で、君主と寵臣が一体になっているさまをたとえています。布衣の士がその間を裂こうとすれば、身を滅ぼして説は通らない。韓非自身が韓の王に用いられず、秦で讒言により死んだことを思えば、切実な言葉にも読めます。組織でも、トップに近い人物の問題を指摘する人がどれほど危うい立場に立つかを、上に立つ側が知っておくべきだという示唆になります。
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