君子訓 / 巻之下
一天に怪異あらはれ、地に妖祥起るは、皆是天の人に變を示し、告げ戒め給ふなり。譬へば親の子を憐みて、其惡を止め善をなさしめんとて、せつかんするが如し。國家の主は、天の警を恐れ愼んで、我が身を顧み、其政を正しくして、國家を保つべし。若是自然に出來たる事と思へるは、大なる不敬なり。天變恐るゝに足らずといへる事は、國家を亡す基なり。人の君となり奉行職となる人は、いやしき人恐れて上下の間遠く隔りて、下の心上に通ぜずして、下の憂ひ苦みを知らず。故に顏色を和けて下の情を盡さしめ、物の言ひよきやうにすべし。唐の太宗と、延喜の帝の、我が威の强くして下の物言ひ難きを恐れて、顏色を和けて其臣下に對し給ふは、此故なり。
新字:一天に怪異あらはれ、地に妖祥起るは、皆是天の人に変を示し、告げ戒め給ふなり。譬へば親の子を憐みて、其悪を止め善をなさしめんとて、せつかんするが如し。国家の主は、天の警を恐れ慎んで、我が身を顧み、其政を正しくして、国家を保つべし。若是自然に出来たる事と思へるは、大なる不敬なり。天変恐るゝに足らずといへる事は、国家を亡す基なり。人の君となり奉行職となる人は、いやしき人恐れて上下の間遠く隔りて、下の心上に通ぜずして、下の憂ひ苦みを知らず。故に顔色を和けて下の情を尽さしめ、物の言ひよきやうにすべし。唐の太宗と、延喜の帝の、我が威の強くして下の物言ひ難きを恐れて、顔色を和けて其臣下に対し給ふは、此故なり。
書き下し
一天に怪異あらはれ、地に妖祥起るは、皆是天の人に変を示し、告げ戒め給ふなり。譬へば親の子を憐みて、其悪を止め善をなさしめんとて、せつかんするが如し。国家の主は、天の警を恐れ慎んで、我が身を顧み、其政を正しくして、国家を保つべし。若是自然に出来たる事と思へるは、大なる不敬なり。天変恐るるに足らずといへる事は、国家を亡す基なり。人の君となり奉行職となる人は、いやしき人恐れて上下の間遠く隔りて、下の心上に通ぜずして、下の憂ひ苦みを知らず。故に顔色を和けて下の情を尽さしめ、物の言ひよきやうにすべし。唐の太宗と、延喜の帝の、我が威の強くして下の物言ひ難きを恐れて、顔色を和けて其臣下に対し給ふは、此故なり。
現代語訳
天に怪異が現れ、地に妖しい兆しが起こるのは、みな天が人に異変を示して告げ戒めておられるのです。たとえば親が子を憐れんで、その悪を止め善をさせようとして折檻するようなものです。国家の主は天の警告を恐れ慎んで我が身を顧み、その政治を正しくして国家を保つべきです。もしこれを自然に起こったことと思うのは、大きな不敬です。天変は恐れるに足りないと言うのは、国家を滅ぼすもとです。人の君となり奉行職となる人は、身分の低い人が恐れて上下の間が遠く隔たり、下の心が上に通じず、下の憂いや苦しみを知りません。だから顔色を和らげて下の心を尽くさせ、物を言いやすいようにすべきです。唐の太宗と延喜の帝が、自分の威光が強くて下の者が物を言いにくいことを恐れて、顔色を和らげて臣下に対されたのは、このためです。
解説
この章句が説くこと
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