韓非子 / 難言第三
故文王說紂而紂囚之;翼侯炙;鬼侯腊;比干剖心;梅伯醢;夷吾束縛;而曹羈奔陳;伯里子道乞;傅說轉鬻;孫子臏脚於魏;吳起抆泣於岸門,痛西河之爲秦,卒枝解於楚;公叔痤言國器反爲悖,公孫鞅奔秦;關龍逄斬;萇弘分胣;尹子穽於棘;司馬子期死而浮於江;田明辜射;宓子賤、西門豹不鬬而死人手;董安于死而陳於市;宰予不免於田常;
新字:故文王説紂而紂囚之;翼侯炙;鬼侯腊;比干剖心;梅伯醢;夷吾束縛;而曹羈奔陳;伯里子道乞;傅説転鬻;孫子臏脚於魏;呉起抆泣於岸門,痛西河之為秦,卒枝解於楚;公叔痤言国器反為悖,公孫鞅奔秦;関竜逄斬;萇弘分胣;尹子穽於棘;司馬子期死而浮於江;田明辜射;宓子賤、西門豹不闘而死人手;董安于死而陳於市;宰予不免於田常;
書き下し
故に文王紂に説きて紂之を囚ふ。翼侯は炙られ、鬼侯は腊にせられ、比干は心を剖かれ、梅伯は醢にせられ、夷吾は束縛せられ、而して曹羈は陳に奔り、伯里子は道に乞ひ、傅説は転鬻せられ、孫子は魏に臏脚せられ、呉起は岸門に抆泣し、西河の秦と為るを痛み、卒に楚に枝解せられ、公叔痤は国器を言ひて反りて悖と為され、公孫鞅は秦に奔り、関竜逄は斬られ、萇弘は胣を分かたれ、尹子は棘に穽せられ、司馬子期は死して江に浮かべられ、田明は辜射せられ、宓子賤・西門豹は闘はずして人の手に死し、董安于は死して市に陳ねられ、宰予は田常に免れず、
現代語訳
だから文王が紂王に説くと、紂王は文王を捕らえて閉じ込めた。翼侯は火あぶりにされ、鬼侯は干し肉にされ、比干は胸を裂かれて心臓を取り出され、梅伯は塩辛にされた。管仲(夷吾)は縛られ、曹の羈は陳に逃げ、百里奚(伯里子)は道で物乞いをし、傅説は転々と売られ、孫子(孫臏)は魏で両足を切られた。呉起は岸門で涙をぬぐって西河の地が秦に奪われることを痛み、ついには楚で手足を裂かれた。公叔痤は(公孫鞅を)国の器だと進言したのにかえって正気でないと思われ、公孫鞅は秦に逃れた。関竜逄は斬られ、萇弘ははらわたを裂かれ、尹子は茨の落とし穴に落とされ、司馬子期は殺されて長江に浮かべられ、田明は磔にされて射られ、宓子賤と西門豹は争わずして人の手にかかって死に、董安于は殺されて市場にさらされ、宰予は田常の乱から逃れられなかった。
解説
関連する章句
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『韓非子』難言第三殊に文学を釈て、質を以て言を信にすれば、則ち見て以て鄙と為さる。時に詩書を称し、往古に道法すれば、則ち見て以て誦と為さる。此れ臣非の言ふを難しとして重ねて患ふる所以なり。故に度量正しと雖も、未だ必ずしも聴かれず。義理全しと雖も、未だ必ずしも用ゐられず。大王若し此を以て信ぜずんば、則ち小なる者は以て毀訾誹謗と為し、大なる者は患禍災害死亡其の身に及ぶ。故に子胥は善く謀りて呉之を戮し、仲尼は善く説きて匡之を囲み、管夷吾は実に賢にして魯之を囚ふ。故に此の三大夫豈に賢ならざらんや。而るに三君明らかならざるなり。上古に湯有り、至聖なり。伊尹は、至智なり。夫れ至智にして至聖に説く、然り且つ七十たび説きて受けられず。身ら鼎俎を執りて庖宰と為り、昵近習親して、湯乃ち僅かに其の賢を知りて之を用ゐる。故に曰く、至智を以て至聖に説くも、未だ必ずしも至りて受けられず、伊尹の湯に説くこと是れなり。智を以て愚に説けば必ず聴かれず、文王の紂に説くこと是れなり。
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『韓非子』人主第五十二昔關龍逄は桀に說きて其の四肢を傷つけられ、王子比干は紂を諫めて其の心を剖かれ、子胥は夫差に忠直にして屬鏤に誅せらる。此の三子なる者は、人臣と爲りて忠ならざるに非ず、而して說當らざるに非ざるなり、然り而して死亡の患を免れざる者は、主賢智の言を察せずして、不肖の患に蔽はるればなり。今人主肯へて法術の士を用ふるに非ずして、愚不肖の臣に聽けば、則ち賢智の士孰か敢へて三子の危に當りて其の智能を進むる者あらんや。此れ世の亂るる所以なり。
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『韓非子』難言第三范雎は魏に脅(あばら)を折らる。此の十數人は、皆世の仁賢忠良にして道術有るの士なり、不幸にして悖亂闇惑の主に遇ひて死せり。然らば則ち賢聖と雖も死亡を逃れ戮辱を避くる能はざる者は、何ぞや。則ち愚者は說き難ければなり、故に君子は言ひ難きなり。且つ至言は耳に忤(さか)らひて心に倒(もと)る、賢聖に非ざれば能く聽く莫し、願はくは大王之を熟察せよ。
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『韓非子』姦劫弒臣第十四聖人の法国を為むる者は、必ず世に逆らひて道徳に順ふ。之を知る者は、義に同じくして俗に異なり、之を知らざる者は、義に異なりて俗に同じ。天下之を知る者少なければ、則ち義非とせらる。非道の位に処り、衆口の譖を被り、当世の言に溺れて、厳なる天子に当たりて安きを求めんと欲す、幾ど亦難からずや。此れ夫の智士の死に至るまで世に顕れざる所以の者なり。楚の荘王の弟春申君に愛妾有り、余と曰ふ。春申君の正妻の子を甲と曰ふ。余、君の其の妻を棄てんことを欲す。因りて自ら其の身を傷つけて以て君に視せて泣きて曰く、「君の妾と為ることを得たるは、甚だ幸ひなり。然りと雖も、夫人に適ふは君に事ふる所以に非ず、君に適ふは夫人に事ふる所以に非ず。身故より不肖にして、力は以て二主に適ふに足らず。其の勢俱には適はず。其の夫人の所に死なんよりは、君の前に死を賜はるに若かず。妾以て死を賜はり、若し復た左右に幸せらるるもの有らば、願はくは君必ず之を察して、人の笑ひと為ること無かれ」と。君因りて妾余の詐りを信じ、為に正妻を棄つ。余又甲を殺して其の子を以て後と為さんと欲す。因りて自ら其の親身の衣の裏を裂き、以て君に示して泣きて曰く、「余の君に幸せらるることを得たるの日久し。甲知らざるに非ざるなり。今乃ち強ひて余に戯れんと欲す。余之と争ひ、余の衣を裂くに至る。而して此の子の不孝、此れより大なるは莫し」と。君怒りて甲を殺すなり。故に妻は妾余の詐りを以て棄てられ、子は之を以て死す。是れより之を観れば、父の子を愛するや、猶毀りて害すべきなり。君臣の相与するや、父子の親有るに非ざるなり。而して群臣の毀言は、特だに一妾の口のみに非ざるなり。何ぞ夫の賢聖の戮死を怪しまんや。此れ商君の秦に車裂せられ、呉起の楚に枝解せらるる所以の者なり。凡そ人臣たる者は、罪有りて固より誅せらるるを欲せず、功無き者も皆尊顕を欲す。
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荀子・堯問篇昔、虞は宮之奇を用いずして晋之を并(あわ)せ、萊(らい)は子馬を用いずして斉之を并せ、紂は王子比干を刳(さ)きて武王之を得たり。賢に親しみ知を用いざれば、故に身死し国亡ぶなり。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一「能く大事を挙げんか。」曰く、「能くす。」是に於て乃ち宿営の甲を起して成王を攻む。成王熊膰を食ひて死せんことを請ふ、許さず、遂に自殺す。韓廆韓の哀侯に相たり、厳遂君に重し、二人甚だ相害す。厳遂乃ち人をして韓廆を朝に刺さしむ、韓廆走りて君を抱く、遂に韓廆を刺して哀侯を兼ぬ。田恒斉に相たり、闞止簡公に重し、二人相憎みて相賊せんと欲す。田恒因りて私恵を行ひて以て其の国を取り、遂に簡公を殺して之が政を奪ふ。戴驩宋の太宰と為り、皇喜君に重し、二人事を争ひて相害す、皇喜遂に宋君を殺して其の政を奪ふ。狐突曰く、「国君内を好めば則ち太子危く、外を好めば則ち相室危し。」鄭君鄭昭に問ひて曰く、「太子亦何如。」対へて曰く、「太子未だ生れざるなり。」君曰く、「太子已に置きて未だ生れずと曰ふは、何ぞや。」対へて曰く、「太子置かると雖も、然れども君の色を好むこと已まず、愛する所子有らば、君必ず之を愛せん、之を愛すれば則ち必ず以て後と為さんと欲せん、臣故に太子未だ生れずと曰ふなり。」六。文王費仲に資して紂の旁に遊ばしめ、之をして紂を諫めて其の心を乱さしむ。荊王人をして秦に之かしむ、秦王甚だ之を礼す。王曰く、「敵国に賢者有るは、国の憂ひなり。今荊王の使者甚だ賢なり、寡人之を患ふ。」群臣諫めて曰く、「王の賢聖と国の資厚きとを以てすれば、荊王の賢人を願ふ、王何ぞ深く之に知られて陰かに之を有せざる。荊以て外用と為さば、則ち必ず之を誅せん。」仲尼魯に政を為し、道に遺ちたるを拾はず、斉の景公之を患ふ。黎且景公に謂ひて曰く、「仲尼を去ること猶ほ毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を迎ふるに重禄高位を以てし、哀公に女楽を遺りて以て其の意を驕栄せしめざる。哀公新たに之を楽しまば、必ず政を怠らん、仲尼必ず諫めん、諫むれば必ず軽く魯に絶たん。」景公曰く、「善し。」