師導古典を学びたいすべての人に

韓非子 / 十過第十

奚謂行僻?昔者楚靈王爲申之會,宋太子後至,執而囚之;狎徐君;拘齊慶封。中射士諫曰:「合諸侯,不可無禮,此存亡之機也。昔者桀爲有戎之會而有緡叛之,紂爲黎丘之蒐而戎、狄叛之,由無禮也。君其圖之。」君不聽,遂行其意。居未期年,靈王南遊,羣臣從而劫之。靈王餓而死乾溪之上。故曰:行僻自用,無禮諸侯,則亡身之至也。奚謂好音?昔者衛靈公將之晉,至濮水之上,稅車而放馬,設舍以宿。夜分,而聞鼓新聲者而說之。使人問左右,盡報弗聞。乃召師涓而告之,曰:「有鼓新聲者,使人問左右,盡報弗聞。其狀似鬼神,子爲我聽而寫之。」師涓曰:「諾。」因静坐撫琴而寫之。師涓明日報曰:「臣得之矣,而未習也,請復一宿習之。」靈公曰:「諾。」因復留宿。明日,已習之,遂去之晉。晉平公觴之於施夷之臺。酒酣,靈公起。公曰:「有新聲,願請以示。」平公曰:「善。」乃召師涓,令坐師曠之旁,援琴鼓之。未終,師曠撫止之,曰:「此亡國之聲,不可遂也。」平公曰:「此道奚出?」師曠曰:「此師延之所作,與紂爲靡靡之樂也。及武王伐紂,師延東走,至於濮水而自投。故聞此聲者,必於濮水之上。先聞此聲者,其國必削,不可遂。」平公曰:「寡人所好者,音也,子其使遂之。」師涓鼓究之。

新字:奚謂行僻?昔者楚霊王為申之会,宋太子後至,執而囚之;狎徐君;拘斉慶封。中射士諫曰:「合諸侯,不可無礼,此存亡之機也。昔者桀為有戎之会而有緡叛之,紂為黎丘之蒐而戎、狄叛之,由無礼也。君其図之。」君不聴,遂行其意。居未期年,霊王南遊,羣臣従而劫之。霊王餓而死乾渓之上。故曰:行僻自用,無礼諸侯,則亡身之至也。奚謂好音?昔者衛霊公将之晋,至濮水之上,税車而放馬,設舎以宿。夜分,而聞鼓新声者而説之。使人問左右,尽報弗聞。乃召師涓而告之,曰:「有鼓新声者,使人問左右,尽報弗聞。其状似鬼神,子為我聴而写之。」師涓曰:「諾。」因静坐撫琴而写之。師涓明日報曰:「臣得之矣,而未習也,請復一宿習之。」霊公曰:「諾。」因復留宿。明日,已習之,遂去之晋。晋平公觴之於施夷之台。酒酣,霊公起。公曰:「有新声,願請以示。」平公曰:「善。」乃召師涓,令坐師曠之旁,援琴鼓之。未終,師曠撫止之,曰:「此亡国之声,不可遂也。」平公曰:「此道奚出?」師曠曰:「此師延之所作,与紂為靡靡之楽也。及武王伐紂,師延東走,至於濮水而自投。故聞此声者,必於濮水之上。先聞此声者,其国必削,不可遂。」平公曰:「寡人所好者,音也,子其使遂之。」師涓鼓究之。

書き下し

奚をか行ひ僻なると謂ふ。昔者楚の霊王申の会を為す、宋の太子後れて至る、執へて之を囚ふ。徐君に狎れ、斉の慶封を拘ふ。中射の士諫めて曰く、「諸侯を合はするに、礼無かるべからず、此れ存亡の機なり。昔者桀は有戎の会を為して有緡之に叛き、紂は黎丘の蒐を為して戎・狄之に叛く、礼無きに由るなり。君其れ之を図れ」と。君聴かず、遂に其の意を行ふ。居ること未だ期年ならずして、霊王南遊し、群臣従ひて之を劫かす。霊王餓ゑて乾渓の上に死す。故に曰く、行ひ僻にして自ら用ゐ、諸侯に礼無ければ、則ち身を亡ぼすの至りなり。奚をか音を好むと謂ふ。昔者衛の霊公将に晋に之かんとし、濮水の上に至り、車を税きて馬を放ち、舎を設けて以て宿る。夜分にして、新声を鼓する者を聞きて之を説ぶ。人をして左右に問はしむるに、尽く聞かずと報ず。乃ち師涓を召して之に告げて曰く、「新声を鼓する者有り、人をして左右に問はしむるに、尽く聞かずと報ず。其の状鬼神に似たり、子我が為に聴きて之を写せ」と。師涓曰く、「諾」と。因りて静坐し琴を撫して之を写す。師涓明日報じて曰く、「臣之を得たり、而れども未だ習はず、請ふ復た一宿して之を習はん」と。霊公曰く、「諾」と。因りて復た留まりて宿る。明日、已に之を習ひ、遂に去りて晋に之く。晋の平公之に施夷の台に觴す。酒酣にして、霊公起つ。公曰く、「新声有り、願はくは請ひて以て示さん」と。平公曰く、「善し」と。乃ち師涓を召し、師曠の旁に坐せしめ、琴を援きて之を鼓せしむ。未だ終はらざるに、師曠撫して之を止めて曰く、「此れ亡国の声なり、遂ぐべからざるなり」と。平公曰く、「此の道奚より出づる」と。師曠曰く、「此れ師延の作る所、紂の与に靡靡の楽を為すなり。武王紂を伐つに及び、師延東に走り、濮水に至りて自ら投ず。故に此の声を聞く者は、必ず濮水の上に於てす。先づ此の声を聞く者は、其の国必ず削らる、遂ぐべからず」と。平公曰く、「寡人の好む所の者は、音なり、子其れ之を遂げしめよ」と。師涓鼓して之を究む。

現代語訳

行いが偏るとは何か。昔、楚の霊王が申で諸侯の会合を開いたとき、宋の太子が遅れて来たので捕らえて閉じ込め、徐の君主を侮り、斉から亡命していた慶封を拘束した。中射の士(側近の役人)が諫めて、「諸侯を集めるには礼がなくてはなりません。これは存亡の分かれ目です。昔、夏の桀王は有戎で会合を開いて有緡に背かれ、殷の紂王は黎丘で狩りの会を開いて戎や狄に背かれました。礼を欠いたからです。どうかよくお考えください」と言った。霊王は聞き入れず、思いどおりに振る舞った。一年もたたないうちに、霊王が南方に出かけたとき、臣下たちが付き従いながら王を脅かして背いた。霊王は飢えて乾渓のほとりで死んだ。だから言う、行いが偏って独りよがりで、諸侯に礼を欠けば、身を滅ぼすに至る、と。音楽を好むとは何か。昔、衛の霊公が晋に行こうとして濮水のほとりに着き、車を外して馬を放ち、宿舎を設けて泊まった。夜半、新しい曲を奏でる音が聞こえ、霊公はそれを喜んだ。人をやって側近に尋ねさせたが、皆聞こえないと答えた。そこで楽師の師涓を呼んで、「新しい曲を奏でる者がいる。側近に尋ねさせたが皆聞こえないと言う。その様子は鬼神のようだ。お前が私のために聴いて書き写してくれ」と言った。師涓は「承知しました」と言い、静かに座って琴に手を置いて写し取った。翌日、師涓は「曲は得ましたが、まだ習熟していません。もう一晩泊まって練習させてください」と報告した。霊公は承知し、もう一泊した。翌日には習熟したので、そこを発って晋に向かった。晋の平公は施夷の台で酒宴を開いてもてなした。宴たけなわのとき、霊公が立ち上がり、「新しい曲がございます。お聞かせしたい」と言った。平公は「よろしい」と言った。そこで師涓を呼んで晋の楽師師曠の隣に座らせ、琴を弾かせた。曲が終わらないうちに、師曠は手で琴を押さえて止め、「これは亡国の音楽です。最後まで弾いてはなりません」と言った。平公が「この曲はどこから出たのか」と問うと、師曠は「これは師延が作ったもので、紂王のために作ったみだらな音楽です。武王が紂を討ったとき、師延は東に逃れ、濮水に身を投げました。だからこの音を聞くのは必ず濮水のほとりです。この音を先に聞いた者の国は必ず削られます。最後まで弾いてはなりません」と言った。平公は「私が好きなのは音楽だ。最後まで弾かせよ」と言った。師涓は最後まで弾き通した。

解説

十過の第三「行僻」と第四「好音」の故事です。楚の霊王は諸侯の会合で無礼を重ね、家臣の諫めを聞かず、一年もたたずに臣下に背かれて餓死しました。霊王が乾渓で死んだのは紀元前529年のこととされます。続く好音の話では、衛の霊公が旅先で聞いた不思議な曲を晋の平公に披露し、晋の楽師師曠が、殷の紂王のために作られた亡国の音楽だと止めますが、平公は好みを優先して最後まで弾かせます。この後、平公はさらに禁じられた曲を求めて災いを招きます。権力者の好みや独りよがりは、周囲の忠告を押し切る力を持つだけに、止める仕組みがないと本人を破滅させます。

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる