韓非子 / 外儲説右上第三十四
「媪與疑計家事,已決矣,乃請決之於卜者蔡嫗。今衛君從疑而行,雖與疑決計,必與他蔡嫗敗之。如是,則疑不得長爲臣矣。」夫教歌者,使先呼而詘之,其聲反清徵者乃教之。一曰:教歌者,先揆以法,疾呼中宫,徐呼中徵。疾不中宫,徐不中徵,不可謂教。吳起,衛左氏中人也。使其妻織組而幅狹於度。吳子使更之,其妻曰:「諾。」及成,復度之,果不中度,吳子大怒。其妻對曰:「吾始經之而不可更也。」吳子出之。其妻請其兄而索入。其兄曰:「吳子,爲法者也。其爲法也,且欲以與萬乘致功,必先踐之妻妾然後行之,子毋幾索入矣。」其妻之弟又重於衛君,乃因以衛君之重請吳子。吳子不聽,遂去衛而入荆也。一曰:吳起示其妻以組曰:「子爲我織組,令之如是。」組已就而效之,其組異善。起曰:「使子爲組,令之如是,而今也異善,何也?」其妻曰:「用財若一也,加務善之。」吳起曰:「非語也。」使之衣歸。其父往請之,吳起曰:「起家無虚言。」晉文公問於狐偃曰:「寡人甘肥周於堂,巵酒豆肉集於宫,壺酒不清,生肉不布,殺一牛遍於國中,一歲之功盡以衣士卒,其足以戰民乎?」狐子曰:「不足。」文公曰:「吾㢮關市之征而緩刑罰,其足以戰民乎?」狐子曰:「不足。」
新字:「媪与疑計家事,已決矣,乃請決之於卜者蔡嫗。今衛君従疑而行,雖与疑決計,必与他蔡嫗敗之。如是,則疑不得長為臣矣。」夫教歌者,使先呼而詘之,其声反清徴者乃教之。一曰:教歌者,先揆以法,疾呼中宮,徐呼中徴。疾不中宮,徐不中徴,不可謂教。呉起,衛左氏中人也。使其妻織組而幅狭於度。呉子使更之,其妻曰:「諾。」及成,復度之,果不中度,呉子大怒。其妻対曰:「吾始経之而不可更也。」呉子出之。其妻請其兄而索入。其兄曰:「呉子,為法者也。其為法也,且欲以与万乗致功,必先践之妻妾然後行之,子毋幾索入矣。」其妻之弟又重於衛君,乃因以衛君之重請呉子。呉子不聴,遂去衛而入荆也。一曰:呉起示其妻以組曰:「子為我織組,令之如是。」組已就而効之,其組異善。起曰:「使子為組,令之如是,而今也異善,何也?」其妻曰:「用財若一也,加務善之。」呉起曰:「非語也。」使之衣帰。其父往請之,呉起曰:「起家無虚言。」晋文公問於狐偃曰:「寡人甘肥周於堂,巵酒豆肉集於宮,壺酒不清,生肉不布,殺一牛遍於国中,一歳之功尽以衣士卒,其足以戦民乎?」狐子曰:「不足。」文公曰:「吾㢮関市之征而緩刑罰,其足以戦民乎?」狐子曰:「不足。」
書き下し
「媪疑と家事を計り、已に決せり、乃ち之を卜者の蔡嫗に決せんことを請ふ。今衛君疑を従へて行く、疑と計を決すと雖も、必ず他の蔡嫗と之を敗らん。是の如くんば、則ち疑長く臣たるを得ず」と。夫れ歌を教ふる者は、先づ呼ばしめて之を詘し、其の声清徴に反る者は乃ち之を教ふ。一に曰く、歌を教ふる者は、先づ揆るに法を以てす、疾く呼びて宮に中り、徐ろに呼びて徴に中る。疾くして宮に中らず、徐ろにして徴に中らざれば、教ふと謂ふ可からず。呉起は、衛の左氏中の人なり。其の妻をして組を織らしむるに幅度より狭し。呉子之を更めしむ、其の妻曰く、「諾」と。成るに及びて、復た之を度るに、果たして度に中らず、呉子大いに怒る。其の妻対へて曰く、「吾始め之を経にして更む可からざるなり」と。呉子之を出だす。其の妻其の兄に請ひて入らんことを索む。其の兄曰く、「呉子は、法を為す者なり。其の法を為すや、且に以て万乗の与に功を致さんと欲す、必ず先づ之を妻妾に践みて然る後に之を行ふ、子幾ど入らんことを索むる毋かれ」と。其の妻の弟又衛君に重んぜらる、乃ち衛君の重きを以て呉子に請ふ。呉子聴かず、遂に衛を去りて荊に入るなり。一に曰く、呉起其の妻に組を示して曰く、「子我が為に組を織れ、之をして是の如くならしめよ」と。組已に就りて之を効す、其の組異に善し。起曰く、「子をして組を為らしむるに、之をして是の如くならしめよと令す、而るに今や異に善きは、何ぞや」と。其の妻曰く、「財を用ふること一の若きも、務めを加へて之を善くす」と。呉起曰く、「語に非ざるなり」と。之をして衣して帰らしむ。其の父往きて之を請ふ、呉起曰く、「起の家に虚言無し」と。晋の文公狐偃に問ひて曰く、「寡人甘肥堂に周く、巵酒豆肉宮に集まり、壺酒清ならず、生肉布かず、一牛を殺せば国中に遍く、一歳の功尽く以て士卒に衣す、其れ以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子曰く、「足らず」と。文公曰く、「吾関市の征を㢮めて刑罰を緩む、其れ以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子曰く、「足らず」と。
現代語訳
(薄疑の言葉の続き)「母上は私と家のことを相談して、もう決めていても、さらに占い師の蔡嫗に決めてもらおうとします。いま衛の君主が私を連れて行くのも、私と相談して計画を決めたとしても、必ずほかの蔡嫗(側近)とそれを覆すでしょう。そうなれば、私は長く臣下でいることはできません」。そもそも歌を教える者は、まず声を出させてみて抑え、その声が清らかな徴の音に返る者にだけ教える。別の伝えではこうである。歌を教える者は、まず基準で測る。速く声を出させては宮の音に当たり、ゆっくり声を出させては徴の音に当たるかを見る。速くして宮に当たらず、ゆっくりして徴に当たらなければ、教えることはできない。呉起は衛の左氏という町の人である。妻に組紐を織らせたところ、幅が決めた寸法より狭かった。呉起が作り直させると、妻は「はい」と言った。できあがってからまた測ると、やはり寸法に合っていなかったので、呉起はたいそう怒った。妻は「最初に縦糸を張ってしまったので、作り直せないのです」と答えた。呉起は妻を離縁した。妻は兄に頼んで家に戻れるよう取りなしを求めた。兄は言った。「呉起は法を作る者だ。彼が法を作るのは、万乗の大国のために功を立てようとしてのことで、必ずまず妻妾に対して実行してから、それを行うのだ。お前は戻ろうなどと望まないことだ」。妻の弟もまた衛の君主に重んじられていたので、衛の君主の威光を借りて呉起に頼んだ。呉起は聞き入れず、ついに衛を去って荊(楚)に入った。別の伝えではこうである。呉起が妻に組紐を見せて「私のために組紐を織ってくれ。これと同じにしてほしい」と言った。組紐ができあがって差し出すと、見本よりも格段によかった。呉起は「組紐を作らせるとき、これと同じにせよと命じたのに、いま格段によいのはなぜか」と言った。妻は「材料の使い方は同じですが、手間をかけてよくしたのです」と言った。呉起は「言いつけと違う」と言い、着物を着せて実家に帰らせた。妻の父が出向いて取りなしを頼むと、呉起は「私の家には口先だけの言葉はない」と言った。晋の文公が狐偃(舅犯)に問うて言った。「私は美味な料理を堂にいる者に行き渡らせ、杯の酒と皿の肉を宮中に集めても、壺の酒は澄むのを待たずに振る舞い、生肉は並べ置かずにすぐ分け与え、牛を一頭殺せば国中に行き渡らせ、一年の織物の収穫はすべて兵士に着せている。これで民を戦わせるのに足りるか」。狐偃は「足りません」と言った。文公が「私は関所や市場の税を緩め、刑罰を軽くしている。これで民を戦わせるのに足りるか」と言うと、狐偃は「足りません」と言った。
解説
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『韓非子』外儲説右上第三十四太子入りて王の為に泣きて曰く、「廷中潦多く、車を駆りて茆門に至る、廷理『法に非ざるなり』と曰ひて、殳を挙げて臣が馬を撃ち、臣が駕を敗る。王必ず之を誅せよ」と。王曰く、「前に老主有りて踰えず、後に儲主有りて属せず、矜なるかな。是れ真に吾が守法の臣なり」と。乃ち爵二級を益して、後門を開きて太子を出だす。「復た過つ勿かれ」と。衛の嗣君薄疑に謂ひて曰く、「子寡人の国を小として以て仕ふるに足らずと為す、則ち寡人の力能く子を仕へしむ、請ふ爵を進めて子を以て上卿と為さん」と。乃ち田万頃を進む。薄子曰く、「疑の母は疑を親しみ、疑を以て能く万乗を相けて窕ならざる所と為すなり。然れども疑の家の巫に蔡嫗なる者有り、疑の母甚だ之を愛信し、之に家事を属す。疑の智は以て家事を信言するに足り、疑の母尽く以て疑に聴くなり、然れども已に疑と言ふ者も、亦必ず復た之を蔡嫗に決するなり。故に疑の智能を論ずれば、疑を以て能く万乗を相けて窕ならずと為すなり。其の親を論ずれば、則ち子母の間なり、然れども猶ほ之を蔡嫗に議するを免れざるなり。今疑の人主に於けるや、子母の親に非ざるなり、而して人主皆蔡嫗有り。人主の蔡嫗は、必ず其の重人なり。重人なる者は、能く私を行ふ者なり。夫れ私を行ふ者は、縄の外なり。而して疑の言は、法の内なり。縄の外と法の内とは、讎なり、相受けざるなり」と。一に曰く、衛君晋に之かんとし、薄疑に謂ひて曰く、「吾子と皆行かんと欲す」と。薄疑曰く、「媪や中に在り、請ふ帰りて媪と之を計らん」と。衛君自ら薄媪に請ふ。薄媪曰く、「疑は、君の臣なり、君意有りて之を従へんとす、甚だ善し」と。衛君曰く、「吾以て之を媪に請ふ、媪我に許せり」と。薄疑帰りて、之を媪に言ひて、曰く、「衛君の疑を愛すること媪に奚与ぞ」と。媪曰く、「吾の子を愛するに如かざるなり」と。「衛君の疑を賢とすること媪に奚与ぞや」と。曰く、「吾の子を賢とするに如かざるなり」と。
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『韓非子』內儲說上七術第三十過ち有るも罪せず、功無くして賞を受くれば、亡ぶと雖も、亦可ならずや」と。斉国厚葬を好み、布帛は衣衾に尽き、材木は棺椁に尽く。桓公之を患ひ、以て管仲に告げて曰く、「布帛尽くれば則ち以て蔽ひと為す無く、材木尽くれば則ち以て守備と為す無し。而るに人の厚葬すること休まず、之を禁ずること奈何」と。管仲対へて曰く、「凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば、則ち之を利とするなり」と。是に於て乃ち令を下して曰く、「棺椁度に過ぐる者は其の尸を戮し、夫の喪に当たる者を罪す」と。夫れ死を戮すれば名無く、喪に当たる者を罪すれば利無し。人何の故にか之を為さんや。衛の嗣君の時、胥靡有りて魏に逃れ、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、人をして五十金を以て之を買はんことを請はしむ。五たび反るも魏王予へず、乃ち左氏を以て之に易へんとす。群臣左右諫めて曰く、「夫れ一都を以て胥靡を買ふは、可ならんや」と。王曰く、「子の知る所に非ざるなり。夫れ治に小無く、乱に大無し。法立たずして誅必ならずんば、十の左氏有りと雖も益無きなり。法立ちて誅必ならば、十の左氏を失ふと雖も害無きなり」と。魏王之を聞きて曰く、「主治めんと欲して之に聴かざるは、不祥なり」と。因りて載せて往き、徒だ之を献ず。三。斉王、文子に問ひて曰く、「国を治むること何如」と。対へて曰く、「夫れ賞罰の道為る、利器なり。君固く之を握り、以て人に示すべからず。臣の如き者の若きは、猶ほ獣鹿のごときなり、唯だ薦草にのみ就く」と。越王、大夫文種に問ひて曰く、「吾呉を伐たんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「可なり。吾が賞は厚くして信、罰は厳にして必なり。君之を知らんと欲せば、何ぞ試みに宮室を焚かざる」と。是に於て遂に宮室を焚く。人之を救ふ莫し。乃ち令を下して曰く、「人の火を救ひて死する者は、死敵の賞に比し、火を救ひて死せざる者は、勝敵の賞に比し、火を救はざる者は、降北の罪に比す」と。人の其の体に塗り濡衣を被て火に走る者、左に三千人、右に三千人。此れ必勝の勢ひを知るなり。呉起、魏の武侯の為に西河の守と為る。秦に小亭有りて境に臨む。呉起之を攻めんと欲す。去らずんば、則ち甚だ田者を害す。之を去らんとすれば、則ち以て甲兵を徴するに足らず。
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史記 孫子呉起列伝魯人或いは呉起を悪みて曰く、「起の人と為りは、猜忍の人なり。其の少き時、家、千金を累ぬるも、游仕して遂げず、遂に其の家を破り、郷党之を笑ふ。呉起、其の己を謗る者三十余人を殺して、東のかた衛の郭門を出づ。其の母と訣るるや、臂を齧みて盟ひて曰く、『起、卿相と為らずんば、復た衛に入らじ』と。遂に曾子に事ふ。居ること頃之にして、其の母死するも、起終に帰らず。曾子之を薄しとして、起と絶つ。起乃ち魯に之き、兵法を学びて以て魯の君に事ふ。魯君之を疑ひ、起、妻を殺して以て将たるを求む。夫れ魯は小国なるに、戦勝の名有れば、則ち諸侯魯を図らん。且つ魯・衛は兄弟の国なり、而るに君、起を用ゐば、則ち是れ衛を棄つるなり」と。魯君之を疑ひ、呉起を謝す。
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『韓非子』外儲說左上第三十二名に信なれば、則ち群臣職を守り、善悪踰えず、百事怠らず。事に信なれば、則ち天の時を失はず、百姓踰えず。義に信なれば、則ち近親勧勉して遠き者之に帰す。」呉起出でて、故人に遇ひて之を止めて食せしむ。故人曰く、「諾、今返りて御せん。」呉子曰く、「公を待ちて食せん。」故人暮に至るも来らず、起食せずして之を待つ。明日早く、人をして故人を求めしむ。故人来り、方に之と食す。魏の文侯虞人と猟を期す。明日、会ま天疾風す、左右文侯を止む、聴かず、曰く、「風疾きの故を以て信を失ふべからず、吾為さざるなり。」遂に自ら車を駆りて往き、風を犯して虞人を罷む。曾子の妻市に之く、其の子之に随ひて泣く。其の母曰く、「女還れ、顧反して女の為に彘を殺さん。」適ま市より来る、曾子彘を捕へて之を殺さんと欲す。妻之を止めて曰く、「特だ嬰児と戯るるのみ。」
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説苑・指武呉起苑守と為り、縣を行きて息に適き、屈宜臼に問いて曰く、「王起の不肖なるを知らずして、以て苑守と為す、先生將た何を以て之を教えんとする」と。屈公對えず。一年居りて、王以て令尹と為し、縣を行きて息に適く。屈宜臼に問いて曰く、「起先生に問うも、先生教えず。今王起の不肖なるを知らずして、以て令尹と為す、先生試みに起の之を為すを觀よ」と。屈公曰く、「子將に奈何せんとするか」と。呉起曰く、「將に楚國の爵を均しくして其の祿を平らかにし、其の有餘を損じて其の不足を繼ぎ、甲兵を厲まして時に天下に爭わんとす」と。屈公曰く、「吾聞く昔善く國家を治むる者は故を變えず、常を易えずと。今子將に楚國の爵を均しくして其の祿を平らかにし、其の有餘を損じて其の不足を繼がんとす、是れ其の故を變じて其の常を易うるなり。且つ吾聞く兵なる者は凶器なり、爭なる者は逆德なりと。今子陰かに逆德を謀り、凶器を好用す、殆ど人の棄つる所、逆の至りなり、淫泆の事なり、行う者利あらず。且つ子魯の兵を用いて宜しく齊に志を得べからざるに志を得たり。子魏の兵を用いて宜しく秦に志を得べからざるに志を得たり。吾之を聞く、『禍人に非ざれば禍を成す能わず』と。吾固より吾が主の數々天道に逆らいて、今に至るまで禍無きを怪しむ。嘻、且く夫子を待たん」と。呉起惕然として曰く、「尚お更うべきか」と。屈公曰く、「不可なり」と。呉起曰く、「起の人と為り謀る」と。屈公曰く、「成刑の徒は更うべからざるのみ、子敦く處りて篤く之を行うに如かず、楚國賢を舉ぐるより貴きは無し」と。
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呉子・図国篇呉起、儒服にして兵機を以て魏の文侯に見ゆ。文侯曰く、「寡人は軍旅の事を好まず」と。起曰く、「臣は見るるところを以て隠れたるを占い、往きしを以て来たるを察す。主君何ぞ言と心と違うことを言わるるや。今、君は四時に人をして皮革を斬り離たしめ、掩うに朱漆を以てし、画くに丹青を以てし、爍かすに犀象を以てす。冬日に之を衣れば則ち温かならず、夏日に之を衣れば則ち涼しからず。長戟は二丈四尺、短戟は一丈二尺を為る。革車は戸を奄い、輪を縵にし轂を籠む。之を目に観れば則ち麗しからず、之に乗りて以て田すれば則ち軽からず。識らず、主君安んぞ此を用いんや。若し以て進みて戦い退きて守るに備うるも、能く用うる者を求めざれば、譬えば猶お伏鶏の狸を搏ち、乳犬の虎を犯すがごとし。闘心有りと雖も、之に随いて死せんのみ。昔、承桑氏の君は、徳を修めて武を廃し、以て其の国を滅ぼせり。有扈氏の君は、衆を恃み勇を好み、以て其の社稷を喪えり。明主は茲に鑒み、必ず内には文徳を修め、外には武備を治む。故に敵に当たりて進まざるは、義に逮ぶこと無きなり。僵屍して之を哀しむは、仁に逮ぶこと無きなり」と。是に於いて文侯は身自ら席を布き、夫人は觴を捧げ、呉起を廟に醮し、立てて大将と為し、西河を守らしむ。諸侯と大いに戦うこと七十六、全勝六十四、余は則ち鈞しく解く。土を四面に闢き、地を拓くこと千里なるは、皆な起の功なり。