韓非子 / 外儲説右上第三十四
令臣不得不利君之禄,不得無服上之名。夫利君之禄,服上之名,焉得不服?二。申子曰:「上明見,人備之;其不明見,人惑之。其知見,人飾之;不知見,人匿之。其無欲見,人司之;其有欲見,人餌之。故曰:吾無從知之,惟無爲可以規之。」一曰:申子曰:「慎而言也,人且知女;慎而行也,人且隨女。而有知見也,人且匿女;而無知見也,人且意女。女有知也,人且臧女;女無知也,人且行女。故曰:惟無爲可以規之。」田子方問唐易鞠曰:「弋者何慎?」對曰:「鳥以數百目視子,子以二目御之,子謹周子廪。」田子方曰:「善。子加之弋,我加之國。」鄭長者聞之曰:「田子方知欲爲廪,而未得所以爲廪。夫虚無無見者,廪也。」一曰:齊宣王問弋於唐易子曰:「弋者奚貴?」唐易子曰:「在於謹廪。」王曰:「何謂謹廪?」對曰:「鳥以數十目視人,人以二目視鳥,奈何不謹廪也?故曰『在於謹廪』也。」王曰:「然則爲天下何以爲此廪?今人主以二目視一國,一國以萬目視人主,將何以自爲廪乎?」對曰:「鄭長者有言曰:『夫虚静無爲而無見也。』其可以爲此廪乎!」國羊重於鄭君,聞君之惡己也,侍飲,因先謂君曰:「臣適不幸而有過,願君幸而告之。臣請變更,則臣免死罪矣。」客有說韓宣王,宣王說而太息。
新字:令臣不得不利君之禄,不得無服上之名。夫利君之禄,服上之名,焉得不服?二。申子曰:「上明見,人備之;其不明見,人惑之。其知見,人飾之;不知見,人匿之。其無欲見,人司之;其有欲見,人餌之。故曰:吾無従知之,惟無為可以規之。」一曰:申子曰:「慎而言也,人且知女;慎而行也,人且随女。而有知見也,人且匿女;而無知見也,人且意女。女有知也,人且臧女;女無知也,人且行女。故曰:惟無為可以規之。」田子方問唐易鞠曰:「弋者何慎?」対曰:「鳥以数百目視子,子以二目御之,子謹周子廪。」田子方曰:「善。子加之弋,我加之国。」鄭長者聞之曰:「田子方知欲為廪,而未得所以為廪。夫虚無無見者,廪也。」一曰:斉宣王問弋於唐易子曰:「弋者奚貴?」唐易子曰:「在於謹廪。」王曰:「何謂謹廪?」対曰:「鳥以数十目視人,人以二目視鳥,奈何不謹廪也?故曰『在於謹廪』也。」王曰:「然則為天下何以為此廪?今人主以二目視一国,一国以万目視人主,将何以自為廪乎?」対曰:「鄭長者有言曰:『夫虚静無為而無見也。』其可以為此廪乎!」国羊重於鄭君,聞君之悪己也,侍飲,因先謂君曰:「臣適不幸而有過,願君幸而告之。臣請変更,則臣免死罪矣。」客有説韓宣王,宣王説而太息。
書き下し
臣をして君の禄を利とせざるを得ず、上の名に服する無きを得ざらしむ。夫れ君の禄を利とし、上の名に服せば、焉んぞ服せざるを得ん。二。申子曰く、「上明らかに見はるれば、人之に備ふ。其の明らかならざること見はるれば、人之を惑はす。其の知見はるれば、人之を飾る。知らざること見はるれば、人之に匿す。其の欲無きこと見はるれば、人之を司ふ。其の欲有ること見はるれば、人之を餌す。故に曰く、吾従りて之を知る無し、惟だ無為以て之を規す可し」と。一に曰く、申子曰く、「而の言を慎めや、人且に女を知らんとす。而の行を慎めや、人且に女に随はんとす。而の知見はるるや、人且に女に匿さんとす。而の知無きこと見はるるや、人且に女を意らんとす。女知有るや、人且に女に臧さんとす。女知無きや、人且に女を行はんとす。故に曰く、惟だ無為以て之を規す可し」と。田子方唐易鞠に問ひて曰く、「弋する者は何をか慎む」と。対へて曰く、「鳥は数百の目を以て子を視る、子は二目を以て之を御す、子謹んで子の廩を周くせよ」と。田子方曰く、「善し。子は之を弋に加へよ、我は之を国に加へん」と。鄭の長者之を聞きて曰く、「田子方は廩を為さんと欲するを知れども、未だ廩を為す所以を得ず。夫れ虚無にして見はるること無き者は、廩なり」と。一に曰く、斉の宣王弋を唐易子に問ひて曰く、「弋する者は奚をか貴ぶ」と。唐易子曰く、「廩を謹むに在り」と。王曰く、「何をか廩を謹むと謂ふ」と。対へて曰く、「鳥は数十目を以て人を視、人は二目を以て鳥を視る、奈何ぞ廩を謹まざらんや。故に『廩を謹むに在り』と曰ふなり」と。王曰く、「然らば則ち天下を為むるに何を以て此の廩を為さん。今人主は二目を以て一国を視、一国は万目を以て人主を視る、将に何を以て自ら廩を為さんとする」と。対へて曰く、「鄭の長者に言有りて曰く、『夫れ虚静無為にして見はるること無きなり』と。其れ以て此の廩と為す可きか」と。国羊鄭君に重んぜらる、君の己を悪むを聞き、侍飲して、因りて先づ君に謂ひて曰く、「臣適たま不幸にして過有らば、願はくは君幸にして之を告げよ。臣請ふ変更せん、則ち臣は死罪を免れん」と。客に韓の宣王に説く有り、宣王説びて太息す。
現代語訳
(明君は)臣下が君主の禄を利としないではいられず、お上の与える名誉に服さないではいられないようにする。君主の禄を利とし、お上の名誉に服するなら、どうして服従しないことがあろうか。その二。申子(申不害)は言った。「君主の明察が表に出れば、人はそれに備える。明察でないことが表に出れば、人は君主を惑わす。知恵が表に出れば、人は取り繕う。知らないことが表に出れば、人は隠しごとをする。欲がないことが表に出れば、人は様子をうかがう。欲があることが表に出れば、人はそれを餌にして釣る。だから、私はそれを知る手立てがない、ただ無為によってのみ臣下を見定めることができる、というのだ」。別の伝えでは、申子はこう言った。「言葉を慎め、人はお前を見抜こうとする。行いを慎め、人はお前に合わせようとする。お前の知恵が表に出れば、人はお前に隠そうとし、知恵がないことが表に出れば、人はお前を推し量ろうとする。お前に知恵があれば、人はお前に隠し、お前に知恵がなければ、人はお前を操ろうとする。だから、ただ無為によってのみ見定めることができるのだ」。魏の賢人・田子方が唐易鞠に「弋(いぐるみ)で鳥を捕る者は何に気をつけるのか」と問うと、唐易鞠は答えた。「鳥は数百の目であなたを見ており、あなたは二つの目で鳥に対するのですから、身を隠す小屋(廩)をしっかり囲いなさい」。田子方は「よろしい。あなたはそれを弋に用いなさい。私はそれを国に用いよう」と言った。鄭のある長老がこれを聞いて言った。「田子方は隠れ小屋を作るべきことは知ったが、隠れ小屋の作り方はまだ分かっていない。虚無で何も表に出さないこと、それが隠れ小屋なのだ」。別の伝えではこうである。斉の宣王が唐易子に弋について「弋で鳥を捕る者は何を大切にするのか」と問うた。唐易子は「隠れ小屋を慎重にすることです」と答えた。王が「隠れ小屋を慎重にするとはどういうことか」と言うと、唐易子は答えた。「鳥は数十の目で人を見、人は二つの目で鳥を見るのですから、隠れ小屋を慎重にしないでいられましょうか。だから『隠れ小屋を慎重にすることです』と申したのです」。王は言った。「それでは天下を治めるには、何をこの隠れ小屋とすればよいのか。いま君主は二つの目で一国を見、一国は万の目で君主を見ている。どうやって自分の隠れ小屋を作ればよいのか」。唐易子は答えた。「鄭の長老の言葉に『虚静無為で何も表に出さないことだ』とあります。それを隠れ小屋とすることができましょう」。国羊は鄭の君主に重んじられていたが、君主が自分を嫌っていると聞くと、宴に侍ったときに先回りして君主に言った。「もし私が不幸にも過ちを犯したときは、どうかお教えください。私は改めますので、そうすれば死罪を免れることができましょう」。ある客が韓の宣王に遊説すると、宣王は喜んで溜め息をついた。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲説右上第三十四辞言通ずれば則ち臣は言ひ難くして、主は神ならず。説は申子の「六慎」を言ふと、唐易の弋を言ふとに在り。患は国羊の変を請ふと、宣王の太息とに在るなり。
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『韓非子』外儲說左下第三十三一。罪を以て誅を受くれば、人上を怨まず、跀危子皐を生かす。功を以て賞を受くれば、臣君を徳とせず、翟璜右契を操りて軒に乗る。襄王知らず、故に昭卯五乗にして屩を履む。上任を過さず、臣能を誣ひざれば、即ち臣将に夫の少室周と為らんとす。二。勢を恃みて信を恃まず、故に東郭牙管仲を議す。術を恃みて信を恃まず、故に渾軒文公を非る。故に有術の主は、賞を信にして以て能を尽くさしめ、罰を必にして以て邪を禁ず、駮行有りと雖も、必ず利する所を得。簡主の陽虎に相たらしむる、哀公の一足を問ふ。三。臣主の理を失へば、則ち文王自ら履きて矜る。朝燕の処を易へざれば、則ち季孫終身荘にして賊に遇ふ。四。禁ずる所を利し、利する所を禁ずれば、神と雖も行はれず。罪する所を誉め、賞する所を毀れば、堯と雖も治まらず。夫れ門を為りて入らしめず、利を委ねて進ましめざるは、乱の産ずる所以なり。斉侯左右を聴かず、魏主誉むる者を聴かずして、明察羣臣を照らせば、則ち鉅も金銭を費さず、孱も璧を用ひず。西門豹復た鄴を治めんことを請ふ、以て之を知るに足る。猶ほ盗嬰児の裘を矜ると跀危子の衣を栄とするがごとし。子綽左右に画く、蟻を去り蠅を駆る。安んぞ桓公の官を索むるを憂ふると宣主の馬を臞するを患ふること無きを得んや。五。臣卑倹を以て行ひと為せば、則ち爵以て賞を観すに足らず。寵光節無ければ、則ち臣下侵偪す。説は苗賁皇の献伯を非り、孔子の晏嬰を議するに在り。故に仲尼管仲と孫叔敖とを論ず。而して出入の容変ずるは、陽虎の言其の臣を見るなり。而して簡主の人臣に応ずるや主術を失ふ。朋党相和し、臣下欲を得れば、則ち人主孤なり。羣臣公に挙げ、下相和せざれば、則ち人主明なり。陽虎将に趙武の賢、解狐の公と為らんとす、而して簡主以て枳棘と為す、国に教ふる所以に非ざるなり。六。公室卑ければ則ち直言を忌み、私行勝てば則ち公功少なし。
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『韓非子』外儲説右上第三十四故に季孫は仲尼を譲むるに勢に遇ふを以てす、而るを況んや之を君に錯くをや。是を以て太公望は狂矞を殺し、而して臧獲は驥に乗らず。嗣公は之を知る、故に鹿に駕せず。薛公は之を知る、故に二欒と博す。此れ皆同異の反を知るなり。故に明主の臣を牧するや、説は烏を畜ふに在り。二。人主なる者は、利害の軺轂なり、射る者衆し、故に人主は共せらる。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二先王の言、其の為す所小にして世之を大と意ふ有り、其の為す所大にして世之を小と意ふ有り、未だ必ずしも知るべからざるなり。説は宋人の書を解すると梁人の記を読むとに在り。故に先王に郢書有りて、後世に燕説多し。夫れ国事に適はずして先王を謀るは、皆帰りて度を取る者なり。四。利の在る所、民之に帰し、名の彰るる所、士之に死す。是を以て功法に外れて賞加はれば、則ち上下に利する所を得ること能はず。名法に外れて誉加はれば、則ち士名を勧めて之を君に畜はれず。故に中章・胥己仕へて、中牟の民田圃を棄てて文学に随ふ者邑の半ばなり。平公腓痛み足痺れて敢て坐を壊らず、晋国の仕を辞して託する者国の錘なり。此の三士は、言法に襲へば、則ち官府の籍なり。行事に中れば、則ち令の如きの民なり、二君の礼太だ甚し。若し言法を離れて行功に遠ければ、則ち縄外の民なり、二君又何ぞ之を礼せん。之を礼すれば当に亡ぶべし。且つ居学の士は、国事無ければ力を用ひず、難有れば甲を被らず。之を礼すれば、則ち耕戦の功を脩むるに惰る。礼せざれば、則ち主上の法を害す。国安ければ則ち尊顕し、危ければ則ち屈公の威と為る、人主奚ぞ居学の士に得んや。故に明主李疵の中山を視るを論ず。五。詩に曰く、「躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。」傅之に説くに衣紫無きを以てし、之を援くに鄭簡・宋襄を以てし、之を責むるに耕戦を尊厚するを以てす。夫れ分を明らかにせず、誠を責めずして、躬親を以て下に位し、且つ下走・睡臥を為し、夫の揜弊・微服と与にす。孔丘知らず、故に猶ほ盂のごとしと称す。鄒君知らず、故に先づ自ら僇す。明主の道は、叔向の猟を賦すると昭侯の奚ぞ聴かんとの如し。六。小信成れば則ち大信立つ、故に明主は信を積む。
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呂氏春秋・任數②且つ夫れ耳目知巧は、固より恃むに足らず。惟だ其の數を脩め、其の理を行うを可と為すのみ。韓の昭釐侯、以て廟に祠る所の牲を視るに、其の豕小なり。昭釐侯、官をして之を更えしむ。官、是の豕を以て來たるや、昭釐侯曰く、「是れ嚮者の豕に非ずや。」官以て對うる無し。吏に命じて之を罪す。從者曰く、「君王は何を以て之を知る。」君曰く、「吾、其の耳を以てなり。」申不害、之を聞きて曰く、「何を以て其の聾を知るか。其の耳の聰を以てなり。何を以て其の盲を知るか。其の目の明を以てなり。何を以て其の狂を知るか。其の言の當るを以てなり。故に曰く、「聽を去りて以て聞くこと無ければ則ち聰なり。視を去りて以て見ること無ければ則ち明なり、智を去りて以て知ること無ければ則ち公なり。三者を去りて任ぜざれば則ち治まり、三者任ずれば則ち亂る。」此を以て耳目心智の恃むに足らざるを言うなり。耳目心智は、其の以て知識する所甚だ闕け、其の以て聞見する所甚だ淺し。淺闕を以て博く天下に居り、殊俗を安んじ、萬民を治むるも、其の說は固より行われず。十里の間にして耳は聞くこと能わず、帷牆の外にして目は見ること能わず、三畝の宮にして心は知ること能わず。其れ以て東は開梧に至り、南は多𩖍を撫し、西は壽靡を服し、北は儋耳を懷くれば、之を若何せん。故に人に君たる者は、此の言を察せざる可からず。治亂安危存亡、其の道は固より二無きなり。故に至智は智を棄て、至仁は仁を忘れ、至德は德ならず。言うこと無く思うこと無く、靜以て時を待ち、時至りて應ず。心の暇ある者は勝つ。凡そ應ずるの理は、清淨公素にして、始卒を正しくす。此れ治紀なり。唱すること無くして和すること有り、先んずること無くして隨うこと有り。古の王者は、其の為す所は少くして、其の因る所は多し。因るは君術なり。為すは臣道なり。為せば則ち擾れ、因れば則ち靜なり。冬に因りて寒を為し、夏に因りて暑を為す。君奚ぞ事とせんや。故に曰く、「君道は無知無為にして、有知有為より賢れば、則ち之を得。」