論語 / 衛霊公篇
孔子曰:無為而治者,其舜也與!夫何為哉?恭己正南面而已矣。
新字:孔子曰:無為而治者,其舜也与!夫何為哉?恭己正南面而已矣。
書き下し
孔子曰わく、無為にして治むる者は、その舜なるか。夫れ何をか為さん。己を恭しくして南面するのみ。
現代語訳
舜は“無為の治”を体現した。つまり、己を正せば、天下は自然と整う。
解説
舜は自ら手を下さずとも国がよく治まる「無為の治」を体現した、と孔子は語ります。舜が何かしたわけではなく、ただ自分の身を慎み、正しい姿勢で人々の前に立っていただけだ、というのです。これは、人を率いる立場の人が目指す一つの理想とも言えます。逐一細かく指図しなくても物事が回っていく状態は、普段からその人自身の振る舞いが正しく、周りに示す仕組みや習わしがきちんと整っているからこそ生まれます。家庭で言えば、口うるさく叱らなくても子どもが自然と良い振る舞いを覚えていくのは、親の日頃の姿を見て育つからです。自分を律することに徹し、細部にまで手を出さず任せられる状態を作る。それが一番の近道だという教えです。
この章句が説くこと
無為統治恭己
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