信心銘 / 第十四章
智者無為 愚人自縛 法無異法 妄自愛著 將心用心 豈非大錯
新字:智者無為 愚人自縛 法無異法 妄自愛著 将心用心 豈非大錯
書き下し
智者(ちしゃ)は無為(むい)、愚人(ぐにん)は自(みづか)ら縛(しば)る。法(ほう)に異法(いほう)無(な)きに、妄(みだ)りに自(みづか)ら愛著(あいじゃく)す。心(しん)を將(も)って心(しん)を用(もち)ゐる、豈(あ)に大錯(だいしゃく)に非(あら)ずや。
現代語訳
智者は何も作為しない。愚かな者は自分で自分を縛る。ものごとに別のものごとなど無いのに、みだりに自分から執着する。心をもって心を用いる——これが大きな誤りでなくて何であろう。
解説
「將心用心、豈非大錯」は、この書のなかで最も引かれる一句のひとつである。心を使って心を何とかしようとする。落ち着かない心を落ち着かせようとし、迷う心に迷うなと言い聞かせる。誰もが日常的にやっていることを、大錯——大きな間違いだと断ずる。理由は前章までに尽くされている。用いる心と用いられる心を立てた時点で二つに割れており、割れたものが割れを直せるはずがない。「智者無為、愚人自縛」の対比も同じことだ。縛っているのは環境でも他人でもなく、自分で自分にかけた縄である。ならば解き方を工夫するより、縛るのをやめるほうが早い。自助努力の熱心さが、そのまま束縛の強さになっている場合がある。
この章句が説くこと
無為自縛愛著将心用心
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