論語 / 陽貨篇
子曰:「飽食終日,無所用心,難矣哉!不有博弈者乎?爲之,猶賢乎已!」
新字:子曰:「飽食終日,無所用心,難矣哉!不有博弈者乎?為之,猶賢乎已!」
書き下し
子曰く、飽食終日、心を用うる所無きは、難いかな。博弈なる者有らずや。之を為すは、猶お已むに賢れり。
現代語訳
先生がおっしゃった。「一日中腹いっぱい食べて、心を使うところが無い。これは困ったものだ。双六や碁というものがあるではないか。それをするほうが、何もしないよりはましだ。」
解説
遊びを勧めているように見えるが、そうではない。何もしないよりましだ、という消極的な肯定である。孔子が問題にしているのは、心を使わない状態そのものだ。頭を働かせていない時間が続くと、人は鈍る。だから、たとえ遊びでも、考える対象があるほうがよい。この視点は、引退後や役職を離れた後の人に効く。忙しさが無くなると、心を使う対象も一緒に無くなることがある。予定は埋まっているのに、判断を要する場面が一つも無い。そういう日々が続くと、判断力そのものが落ちる。何かを決める、勝ち負けを競う、複雑なものを解く。対象は何でもよい。心を使い続けることが、能力の維持そのものだという認識である。
この章句が説くこと
無為思考維持遊び鈍化
関連する章句
-
説苑・君道斉の宣王、尹文に謂いて曰く、「人君の事は何如」と。尹文対えて曰く、「人君の事は、無為にして能く下を容る。夫れ事寡なければ従い易く、法省ければ因り易し、故に民は政を以て罪を獲ず。大道は衆を容れ、大徳は下を容れ、聖人は寡為にして天下理まる。書に曰く、『睿は聖を作す』と。詩人曰く、『岐に夷の行有り、子孫其れ之を保たん』と」と。宣王曰く、「善し」と。
-
『信心銘』第十四章智者(ちしゃ)は無為(むい)、愚人(ぐにん)は自(みづか)ら縛(しば)る。法(ほう)に異法(いほう)無(な)きに、妄(みだ)りに自(みづか)ら愛著(あいじゃく)す。心(しん)を將(も)って心(しん)を用(もち)ゐる、豈(あ)に大錯(だいしゃく)に非(あら)ずや。
-
論語・衛霊公篇孔子曰わく、無為にして治むる者は、その舜なるか。夫れ何をか為さん。己を恭しくして南面するのみ。
-
説苑・君道晋の平公、師曠に問いて曰く、「人君の道は如何」と。対えて曰く、「人君の道は、清浄無為、務めて博愛にあり、趨りて賢を任ずるにあり、広く耳目を開きて以て万方を察し、流俗に固溺せず、左右に拘繋せられず、廓然として遠く見、踔然として独立し、屡々考績を省みて、以て臣下に臨む。此れ人君の操なり」と。平公曰く、「善し」と。
-
老子・第37章道は常に無為にして而も為さざる無し。侯王若し能く之を守らば、万物は将に自ら化せんとす。化して作らんと欲すれば、吾れ将に之を鎮むるに無名の樸を以てせんとす。無名の樸は、夫れ亦た将に欲無からんとす。欲せずして以て静かなれば、天下は将に自ら定まらんとす。
-
『呻吟語』内篇・修身・畫人・塑人・偶人象有りて體無き者は、畫人なり。為さんと欲して為す能はず。體有りて用無き者は、塑人なり。清淨尊嚴にして、犧牲香火を享くるも、一も為す所無し。運動有りて知覺無き者は、偶人なり。持提掇指使して而る後に為す。此の三人なる者は、身に血氣無く、心に靈明無し。吾に責むる無きなり。