韓非子 / 外儲說左下第三十三
中牟無令。晉平公問趙武曰:「中牟,吾國之股肱,邯鄲之肩髀。寡人欲得其良令也,誰使而可?」武曰:「邢伯子可。」公曰:「非子之讎也?」
新字:中牟無令。晋平公問趙武曰:「中牟,吾国之股肱,邯鄲之肩髀。寡人欲得其良令也,誰使而可?」武曰:「邢伯子可。」公曰:「非子之讎也?」
書き下し
中牟に令無し。晋の平公趙武に問ひて曰く、「中牟は、吾が国の股肱、邯鄲の肩髀なり。寡人其の良令を得んと欲す、誰をか使ひて可ならん。」武曰く、「邢伯子可なり。」公曰く、「子の讎に非ずや。」
現代語訳
中牟の町に長官がいなかった。晋の平公が趙武に尋ねた。「中牟はわが国の手足であり、邯鄲にとっての肩や股にあたる要地だ。私はそこによい長官を得たいが、誰を用いればよいか。」趙武は言った。「邢伯子がよいでしょう。」平公は言った。「あの男はあなたの仇ではないか。」
解説
経五の「陽虎将に趙武の賢、解狐の公と為らんとす」に対応する説話の始まりです。晋の平公が要地の中牟に置く長官を尋ねると、趙武は自分の仇である邢伯子を推しました。続く部分で趙武は「私的な恨みは公の門に入れない」という趣旨で答え、さらに趙武が生涯に推挙した四十六人の話へと続きます。個人的な好き嫌いを人事に持ち込まないことは、言うのはやさしくても実行は難しいものです。韓非がこの話を挙げたのは、群臣が公正に人を推挙し、下の者どうしが馴れ合わなければ、君主の目は曇らないという経の主張を示すためでした。人事を相談されたとき、自分と馬の合わない人でも適任なら推せるかどうかが、推薦者の信用を決めます。
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