韓非子 / 外儲說左下第三十三
晉文公出亡,箕鄭挈壺餐而從,迷而失道,與公相失,飢而道泣,寢餓而不敢食。及文公反國,舉兵攻原,克而拔之。文公曰:「夫輕忍飢餒之患而必全壺餐,是將不以原叛。」乃舉以爲原令。大夫渾軒聞而非之,曰:「以不動壺餐之故,怙其不以原叛也,不亦無術乎?」
新字:晋文公出亡,箕鄭挈壺餐而従,迷而失道,与公相失,飢而道泣,寝餓而不敢食。及文公反国,舉兵攻原,克而抜之。文公曰:「夫軽忍飢餒之患而必全壺餐,是将不以原叛。」乃舉以為原令。大夫渾軒聞而非之,曰:「以不動壺餐之故,怙其不以原叛也,不亦無術乎?」
書き下し
晋の文公出亡す、箕鄭壺餐を挈へて従ふ、迷ひて道を失ひ、公と相失ふ、飢ゑて道に泣き、寝ねて餓うるも敢て食はず。文公国に反るに及び、兵を挙げて原を攻め、克ちて之を抜く。文公曰く、「夫れ飢餒の患を軽忍して必ず壺餐を全うす、是れ将に原を以て叛かざらんとす。」乃ち挙げて以て原の令と為す。大夫渾軒聞きて之を非りて曰く、「壺餐を動かさざるの故を以て、其の原を以て叛かざるを怙む、亦術無からずや。」
現代語訳
晋の文公が亡命していたとき、箕鄭は壺に入れた食べ物を持って従っていたが、道に迷って文公とはぐれてしまった。飢えて道端で泣き、寝るときに飢えに苦しんでも、あえてその食べ物に手をつけなかった。文公が国に帰ると、兵を挙げて原を攻め、勝って攻め落とした。文公は言った。「飢えの苦しみを耐え忍んでまで、壺の食べ物を必ず守り通した。この男なら原に拠って背くことはあるまい。」そこで箕鄭を取り立てて原の長官にした。大夫の渾軒はこれを聞いて非難した。「壺の食べ物に手をつけなかったからといって、原に拠って背かないと頼みにするのは、なんと術のないことではないか。」
解説
経二の「術を恃みて信を恃まず、故に渾軒文公を非る」の説話です。文公は、亡命中に飢えても主君の食べ物を守り通した箕鄭の忠誠を見込んで、要地の原を任せました。人情としてはもっともな判断ですが、渾軒はこれを「術がない」と批判します。韓非の立場では、君主が臣の忠誠心という心の中身を頼りにするのは危うく、裏切らないようにする仕組み、つまり賞罰と監察によって臣を使うべきだとされます。かつての忠誠が、大きな権限を得たあとも続く保証はないからです。信頼できる人物に重要な拠点を任せるときも、個人の人柄だけに頼らず、報告や点検の仕組みを整えておくことが、任された本人を守ることにもなります。
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『韓非子』難三第三十八且つ此れ亡王の俗、取・魯の民の自ら美とする所以にして、穆公独り之を貴ぶ、亦倒ならずや。文公出亡す。献公、寺人披をして之を蒲城に功めしむ。披、其の袪を斬る。文公、翟に奔る。恵公位に即き、又之を恵竇に功めしむるも、得ざるなり。文公国に反るに及び、披見えんことを求む。公曰く、「蒲城の役、君一宿を令するに、汝即ち至る。恵竇の難、君三宿を令するに、汝一宿す。何ぞ其れ速やかなるや。」披対へて曰く、「君令は二ならず。君の悪を除くには、惟だ堪へざるを恐る。蒲人・翟人、余に何か有らん。今公位に即く、其れ蒲・翟無からんや。且つ桓公は射鉤を置きて管仲を相とす。」君乃ち之に見ゆ。或ひと曰く、斉・晋の祀を絶つは、亦宜ならずや。
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『韓非子』外儲說左上第三十二趙の主父工をして鉤梯を施して播吾に縁らしめ、人の迹を其の上に刻疏せしむ、広さ三尺、長さ五尺、而して之に勒して曰く、「主父常に此に遊ぶ。」秦の昭王工をして鉤梯を施して華山に上らしめ、松柏の心を以て博を為る、箭の長さ八尺、棊の長さ八寸、而して之に勒して曰く、「昭王嘗て天神と此に博せり。」文公国に反り、河に至る、籩豆は之を捐てしめ、席蓐は之を捐てしめ、手足胼胝し面目黧黒なる者は之を後にす。咎犯之を聞きて夜哭す。公曰く、「寡人出亡すること二十年、乃ち今国に反るを得たり。咎犯之を聞きて喜ばずして哭す、意ふに寡人の国に反るを欲せざるか。」犯対へて曰く、「籩豆は、以て食ふ所なり。席蓐は、以て臥す所なり、而るに君之を捐つ。手足胼胝し面目黧黒なるは、労して功有る者なり、而るに君之を後にす。今臣与りて後に在る有り、中其の哀しみに勝へず、故に哭す。且つ臣君の為に詐偽を行ひて以て国に反らしむる者衆し、臣尚ほ自ら悪む、而るを況んや君に於てをや。」再拝して辞す。文公之を止めて曰く、「諺に曰く、社を築く者は、撅を攓げて之を置き、端冕して之を祀る、と。今子我と与に之を取りて、我と与に之を治めず。我と与に之を置きて、我と与に之を祀らず、焉んぞ可ならんや。」左驂を解きて河に盟ふ。鄭県の人卜子其の妻をして袴を為らしむ、其の妻問ひて曰く、「今の袴は何如。」夫曰く、「吾が故袴に象れ。」妻子因りて新しきを毀ち、故袴の如くならしむ。鄭県の人に車軛を得る者有り、而して其の名を知らず、人に問ひて曰く、「此れ何の種ぞや。」対へて曰く、「此れ車軛なり。」俄にして又復た一を得、人に問ひて曰く、「此れ是れ何の種ぞや。」対へて曰く、「此れ車軛なり。」問ふ者大いに怒りて曰く、「曩者には車軛と曰ひ、今又車軛と曰ふ、是れ何ぞ衆きや。此れ女我を欺くなり。」遂に之と闘ふ。衛人に弋を佐くる者有り、鳥至る、因りて先づ其の裷を以て之を麾く、鳥驚きて射ず。
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