韓非子 / 外儲說左上第三十二
三年不變,民無飢也。宋襄公與楚人戰於涿谷上。宋人既成列矣,楚人未及濟。右司馬購强趨而諫曰:「楚人衆而宋人寡,請使楚人半涉未成列而撃之,必敗。」襄公曰:「寡人聞君子曰:『不重傷,不擒二毛,不推人於險,不迫人於阨,不鼓不成列。』今楚未濟而撃之,害義。請使楚人畢涉成陣而後鼓士進之。」右司馬曰:「君不愛宋民,腹心不完,特爲義耳。」公曰:「不反列,且行法。」右司馬反列,楚人已成列撰陣矣,公乃鼓之。宋人大敗,公傷股,三日而死。此乃慕自親仁義之禍。夫必恃人主之自躬親而後民聽從,是則將令人主耕以爲食、服戰鴈行也民乃肯耕戰,則人主不泰危乎?而人臣不泰安乎?齊景公遊少海,傳騎從中來謁曰:「嬰疾甚,且死,恐公後之。」景公遽起,傳騎又至。景公曰:「趨駕煩且之乘,使騶子韓樞御之。」行數百步,以騶爲不疾,奪轡代之御;可數百步,以馬爲不進,盡釋車而走。以煩且之良而騶子韓樞之巧,而以爲不如下走也。魏昭王欲與官事,謂孟嘗君曰:「寡人欲與官事。」君曰:「王欲與官事,則何不試習讀法?」昭王讀法十餘簡而睡卧矣。王曰:「寡人不能讀此法。」夫不躬親其勢柄,而欲爲人臣所宜爲者也,睡不亦宜乎?
新字:三年不変,民無飢也。宋襄公与楚人戦於涿谷上。宋人既成列矣,楚人未及済。右司馬購強趨而諫曰:「楚人衆而宋人寡,請使楚人半渉未成列而撃之,必敗。」襄公曰:「寡人聞君子曰:『不重傷,不擒二毛,不推人於険,不迫人於阨,不鼓不成列。』今楚未済而撃之,害義。請使楚人畢渉成陣而後鼓士進之。」右司馬曰:「君不愛宋民,腹心不完,特為義耳。」公曰:「不反列,且行法。」右司馬反列,楚人已成列撰陣矣,公乃鼓之。宋人大敗,公傷股,三日而死。此乃慕自親仁義之禍。夫必恃人主之自躬親而後民聴従,是則将令人主耕以為食、服戦鴈行也民乃肯耕戦,則人主不泰危乎?而人臣不泰安乎?斉景公遊少海,伝騎従中来謁曰:「嬰疾甚,且死,恐公後之。」景公遽起,伝騎又至。景公曰:「趨駕煩且之乗,使騶子韓枢御之。」行数百歩,以騶為不疾,奪轡代之御;可数百歩,以馬為不進,尽釈車而走。以煩且之良而騶子韓枢之巧,而以為不如下走也。魏昭王欲与官事,謂孟嘗君曰:「寡人欲与官事。」君曰:「王欲与官事,則何不試習読法?」昭王読法十余簡而睡臥矣。王曰:「寡人不能読此法。」夫不躬親其勢柄,而欲為人臣所宜為者也,睡不亦宜乎?
書き下し
三年変ぜず、民飢うること無きなり。宋の襄公楚人と涿谷の上に戦ふ。宋人既に列を成す、楚人未だ済るに及ばず。右司馬購強趨りて諫めて曰く、「楚人は衆くして宋人は寡し、請ふ楚人をして半ば渉りて未だ列を成さざるに之を撃たしめよ、必ず敗れん。」襄公曰く、「寡人聞く君子曰く、傷を重ねず、二毛を擒にせず、人を険に推さず、人を阨に迫らず、列を成さざるに鼓せず、と。今楚未だ済らざるに之を撃つは、義を害す。請ふ楚人をして畢く渉りて陣を成さしめて而る後に鼓して士を進めん。」右司馬曰く、「君宋民を愛せず、腹心完からず、特に義の為にするのみ。」公曰く、「列に反らずんば、且に法を行はんとす。」右司馬列に反る、楚人已に列を成し陣を撰ふ、公乃ち之に鼓す。宋人大いに敗れ、公股を傷つき、三日にして死す。此れ乃ち自ら仁義を親らするを慕ふの禍なり。夫れ必ず人主の自ら躬親するを恃みて而る後に民聴従せば、是れ則ち将に人主をして耕して以て食と為し、戦に服して雁行せしめて民乃ち肯へて耕戦せんとす、則ち人主泰だ危からずや。而して人臣泰だ安からずや。斉の景公少海に遊ぶ、伝騎中より来りて謁して曰く、「嬰疾甚しく、且に死せんとす、恐らくは公之に後れん。」景公遽かに起つ、伝騎又至る。景公曰く、「趨かに煩且の乗を駕し、騶子韓枢をして之を御せしめよ。」行くこと数百歩、騶を以て疾からずと為し、轡を奪ひて之に代りて御す。可そ数百歩、馬を以て進まずと為し、尽く車を釈きて走る。煩且の良と騶子韓枢の巧とを以てして、以て下走に如かずと為すなり。魏の昭王官事に与らんと欲し、孟嘗君に謂ひて曰く、「寡人官事に与らんと欲す。」君曰く、「王官事に与らんと欲せば、則ち何ぞ試みに法を習読せざる。」昭王法を読むこと十余簡にして睡臥す。王曰く、「寡人此の法を読むこと能はず。」夫れ其の勢柄を躬親せずして、人臣の宜しく為すべき所の者を為さんと欲す、睡ること亦宜ならずや。
現代語訳
(子産の治める鄭では)三年も凶作が続いても、民は飢えることがなかった。宋の襄公が楚と涿谷のほとりで戦った。宋軍はすでに陣列を整えていたが、楚軍はまだ川を渡りきっていなかった。右司馬の購強が走り寄って諫めた。「楚は大軍で宋は少数です。どうか楚軍が半ば渡ってまだ陣列を整えていないうちに攻撃させてください。必ず打ち破れます。」襄公は言った。「私は君子の言葉を聞いている。『傷ついた者を重ねて傷つけず、白髪まじりの老人を捕虜にせず、人を険しい所に追いやらず、人を狭い所に追い詰めず、陣列の整わない敵に攻め太鼓を打たない』と。今、楚軍が渡りきらないうちに攻撃するのは義を損なう。楚軍がすべて渡って陣を整えてから、太鼓を打って兵を進めよう。」右司馬は言った。「君は宋の民を愛さず、腹心の守りを危うくして、ただ義のためにだけ戦われるのか。」襄公は言った。「列に戻らなければ、軍法どおりに処罰するぞ。」右司馬が列に戻ると、楚軍はもう陣列を整え陣を構えていた。襄公はそこで攻め太鼓を打った。宋軍は大敗し、襄公は股に傷を負い、三日後に死んだ。これこそ、自ら仁義を行うことを慕った禍いである。そもそも、君主が自ら身をもって行ってはじめて民が従うというのなら、君主が自分で耕して食べ物を作り、自ら兵士として隊列に加わって、それでようやく民が耕し戦うことになる。そうなれば君主はあまりに危うく、臣下はあまりに安楽ではないか。斉の景公が少海(渤海)に遊んでいたとき、都から早馬の使者が来て告げた。「晏嬰の病が重く、今にも亡くなりそうです。殿は死に目に間に合わないかもしれません。」景公はあわてて立ち上がった。そこへまた早馬が来た。景公は「すぐに名馬の煩且に車をつけ、御者の韓枢に操らせよ」と言った。数百歩進むと、御者が遅いと思って手綱を奪い、自分で代わって馭した。また数百歩ほど進むと、馬が進まないと思って、車をすっかり捨てて走り出した。名馬煩且の良さと御者韓枢の腕をもってしても、自分で走るほうがましだと思ったのである。魏の昭王が役所の実務に加わりたいと思い、孟嘗君に言った。「私は役所の仕事に加わりたい。」孟嘗君は言った。「王が役所の仕事に加わりたいなら、試しに法令を読んで習ってはいかがですか。」昭王は法令を十数枚の竹簡読んだところで寝てしまった。王は言った。「私にはこの法令を読むことはできない。」そもそも君主が握るべき権勢の柄を自ら握らず、臣下のするべき仕事をしようとするのだから、眠くなるのも当然ではないか。
解説
関連する章句
-
『春秋左氏伝』僖公二十二年 宋襄の仁國人皆公を咎む。公曰く、「君子は重ねて傷つけず、二毛を禽(とりこ)にせず。古の軍を為すや、阻隘を以ってせざるなり。寡人亡國の餘なりと雖も、列を成さざるに鼓せず」と。子魚曰く、「君未だ戰を知らず。勍敵の人、隘にして列せざるは、天の我を贊くるなり。阻みて之を鼓す、亦た可ならずや。猶ほ懼るる有り。且つ今の勍き者は、皆吾が敵なり。胡耇に及ぶと雖も、獲れば則ち之を取る、何ぞ二毛に有らんや。恥を明らかにし戰を教ふるは、敵を殺さんことを求むるなり。傷未だ死に及ばず、如何ぞ重ぬる勿らんや。若し重ねて傷つくるを愛まば、則ち傷つくる勿きに如かず。其の二毛を愛まば、則ち服するに如かず。三軍は利を以って用ゐるなり、金鼓は聲を以って氣づくるなり。利ありて之を用ゐる、阻隘も可なり。聲盛んにして志を致す、儳(みだ)れに鼓するも可なり」と。
-
『韓非子』外儲説右下第三十五一に曰く、王子於期宋君の為に千里の逐を為す。已に駕し、手吻の文を察す。且に発せんとするや、駆りて之を前むれば、輪縄に中り、引きて之を却くれば、馬迹を掩ふ。拊ちて之を発す。彘竇中より逸出す。馬退きて却き、筴前に進むる能はざるなり。馬駻して走り、轡正す能はざるなり。一に曰く、司城子罕宋君に謂ひて曰く、「慶賞賜予は、民の好む所なり、君自ら之を行へ。誅罰殺戮は、民の悪む所なり、臣請ふ之に当たらん」と。是に於て細民を戮して大臣を誅するに、君曰く、「子罕と之を議せよ」と。居ること朞年、民殺生の命の子罕に制せらるるを知る、故に一国焉に帰す。故に子罕宋君を劫して其の政を奪ふ、法禁ずる能はざるなり。故に曰く、「子罕出彘と為りて、田成常圃池と為るなり」と。今王良・造父車を共にし、人ごとに一辺の轡を操りて門閭を出づれば、駕必ず敗れて道至らざるなり。田連・成竅をして琴を共にし、人ごとに一絃を撫して揮はしむれば、則ち音必ず敗れ、曲遂げざらん。二。秦の昭王病有り、百姓里ごとに牛を買ひて家ごとに王の為に禱る。公孫述出でて之を見、入りて王を賀して曰く、「百姓乃ち皆里ごとに牛を買ひて王の為に禱る」と。王人をして之を問はしむるに、果たして之有り。王曰く、「之を人ごとに二甲を訾せよ。夫れ令に非ずして擅に禱るは、是れ寡人を愛するなり。夫れ寡人を愛すれば、寡人も亦且に法を改めて心之と相循はんとする者なり、是れ法立たず。法立たざるは、乱亡の道なり。人ごとに二甲を罰して復た与に治を為すに如かず」と。一に曰く、秦の襄王病む、百姓之が為に禱る。病愈ゆ、牛を殺して塞禱す。郎中閻遏・公孫衍出でて之を見て、曰く、「社臘の時に非ざるなり、奚ぞ自ら牛を殺して社を祠る」と。怪しみて之を問ふ。百姓曰く、「人主病む、之が為に禱る。今病愈ゆ、牛を殺して塞禱す」と。閻遏・公孫衍説び、王に見えて、拝賀して曰く、「堯・舜に過ぎたり」と。王驚きて曰く、「何の謂ぞや」と。
-
『韓非子』外儲説右下第三十五子罕出彘と為り、田恒圃池と為る、故に宋君・簡公弑せらる。患は王良・造父の車を共にし、田連・成竅の琴を共にするに在るなり。二。治強は法に生じ、弱乱は阿に生ず、君此に明らかなれば、則ち賞罰を正して下に仁するに非ざるなり。爵禄は功に生じ、誅罰は罰に生ず、臣此に明らかなれば、則ち死力を尽くして君に忠なるに非ざるなり。君不仁に通じ、臣不忠に通ずれば、則ち以て王たる可し。昭襄は主の情を知りて五苑を発せず、田鮪は臣の情を知る故に田章に教へ、而して公儀は魚を辞す。三。明主なる者は、外に鑒みるなり、而して外事成らざるを得ず、故に蘇代斉王を非る。人主は上に鑒みるなり、而して居る者適はざれば顕れず、故に潘寿禹の情を言ふ。人主覚悟する所無し、方吾之を知る、故に衣を同じくし族を同じくするを恐る、而るを況んや権を借すをや。呉章之を知る、故に説くに佯を以てす、而るを況んや誠を借すをや。趙王虎目を悪みて壅がる。明主の道は、周の行人の衛侯を却くるが如きなり。四。人主なる者は、法を守り成を責めて以て功を立つる者なり。吏乱ると雖も独善の民有るを聞くも、乱民有りて独治の吏有るを聞かず、
-
『韓非子』外儲説右下第三十五対へて曰く、「堯・舜は、其の民未だ之が為に禱るに至らざるなり。今王病みて民牛を以て禱る、病愈えて、牛を殺して塞禱す、故に臣竊かに王を以て堯・舜に過ぐと為すなり」と。王因りて人をして之を問はしめ、何れの里か之を為すと、其の里正と伍老とに屯二甲を訾す。閻遏・公孫衍媿ぢて敢て言はず。居ること数月、王酒を飲みて酣楽す、閻遏・公孫衍王に謂ひて曰く、「前時臣竊かに王を以て堯・舜に過ぐと為すは、直だ敢て諛ふに非ざるなり。堯・舜病めども、且つ其の民未だ之が為に禱るに至らざるなり。今王病みて、民牛を以て禱り、病愈えて、牛を殺して塞禱す。今乃ち其の里正と伍老とに屯二甲を訾す、臣竊かに之を怪しむ」と。王曰く、「子何の故に此を知らざる。彼の民の我が為に用ひらるる所以の者は、吾之を愛するを以て我が為に用ひらるる者に非ざるなり、吾之を勢するを以て我が為に用ひらるる者なり。吾勢を釈てて民と相収めば、是の若くんば、吾適たま愛せざれば民因りて我が為に用ひられざるなり、故に遂に愛道を絶つなり」と。秦大いに饑う、応侯請ひて曰く、「五苑の草著、蔬菜・橡果・棗栗は、以て民を活かすに足る、請ふ之を発せん」と。昭襄王曰く、「吾が秦の法は、民をして功有りて賞を受け、罪有りて誅を受けしむ。今五苑の蔬草を発するは、民をして功有ると功無きと俱に賞せしむるなり。夫れ民をして功有ると功無きと俱に賞せしむるは、此れ乱の道なり。夫れ五苑を発して乱るるは、棗蔬を弃てて治まるに如かず」と。一に曰く、「五苑の蓏・蔬・棗・栗を発せしむれば、以て民を活かすに足る、是れ民の功有ると功無きとを用ひて争ひ取らしむるなり。夫れ生きて乱るるは、死して治まるに如かず、大夫其れ之を釈け」と。田鮪其の子田章に教へて曰く、「而の身を利せんと欲せば、先づ而の君を利せよ。而の家を富まさんと欲せば、先づ而の国を富ませ」と。一に曰く、田鮪其の子田章に教へて曰く、「主は官爵を売り、臣は智力を売る、故に自ら恃みて人を恃む無かれ」と。公儀休魯に相として魚を嗜む、一国尽く争ひて魚を買ひて之を献ず、公儀子受けず。其の弟諫めて曰く、「夫子魚を嗜みて受けざる者は、何ぞや」と。対へて曰く、「夫れ唯だ魚を嗜む、故に受けざるなり。
-
『韓非子』外儲說左上第三十二之を伐つこと亦可ならずや。」主父曰く、「善し。」兵を挙げて中山を伐ち、遂に滅ぼすなり。五。斉の桓公紫を服することを好み、一国尽く紫を服す。是の時に当りてや、五素も一紫を得ず。桓公之を患ひ、管仲に謂ひて曰く、「寡人紫を服することを好み、紫の貴きこと甚し、一国の百姓紫を服することを好みて已まず、寡人奈何せん。」管仲曰く、「君之を止めんと欲せば、何ぞ試みに紫を衣ること勿からざる。左右に謂ひて曰へ、吾甚だ紫の臭を悪む、と。是に於て左右適ま紫を衣て進む者有らば、公必ず曰へ、少しく却け、吾紫の臭を悪む、と。」公曰く、「諾。」是に於て日、郎中紫を衣るもの莫し。其の明日、国中紫を衣るもの莫し。三日にして、境内紫を衣るもの莫きなり。一に曰く、斉王紫を衣ることを好み、斉人皆好むなり。斉国五素も一紫を得ず、斉王紫の貴きを患ふ。傅王に説きて曰く、「詩に云ふ、躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず、と。今王民の紫を衣る者無からしめんと欲せば、王請ふ自ら紫衣を解きて朝せよ。群臣に紫衣して進む者有らば、曰へ、益ます遠ざかれ、寡人臭を悪む、と。」是の日や、郎中紫を衣るもの莫し。是の月や、国中紫を衣るもの莫し。是の歳や、境内紫を衣るもの莫し。鄭の簡公子産に謂ひて曰く、「国小にして、荊・晋の間に迫る。今城郭完からず、兵甲備はらず、以て不虞を待つべからず。」子産曰く、「臣其の外を閉づること已に遠し、而して其の内を守ること已に固し、国小なりと雖も、猶ほ之を危しとせざるなり。君其れ憂ふること勿かれ。」是を以て簡公の身を没するまで患ひ無し。一に曰く、子産鄭に相たり、簡公子産に謂ひて曰く、「酒を飲むも楽しまざるなり。俎豆大ならず、鐘鼓竽瑟鳴らず、寡人の事一ならず、国家定まらず、百姓治まらず、耕戦輯睦せざるは、亦子の罪なり。子に職有り、寡人も亦職有り、各其の職を守らん。」子産退きて政を為すこと五年、国に盗賊無く、道に遺ちたるを拾はず、桃棗の街に蔭する者援くもの有る莫く、錐刀道に遺つるも三日にして反るべし。
-
『韓非子』內儲說下六微第三十一「能く大事を挙げんか。」曰く、「能くす。」是に於て乃ち宿営の甲を起して成王を攻む。成王熊膰を食ひて死せんことを請ふ、許さず、遂に自殺す。韓廆韓の哀侯に相たり、厳遂君に重し、二人甚だ相害す。厳遂乃ち人をして韓廆を朝に刺さしむ、韓廆走りて君を抱く、遂に韓廆を刺して哀侯を兼ぬ。田恒斉に相たり、闞止簡公に重し、二人相憎みて相賊せんと欲す。田恒因りて私恵を行ひて以て其の国を取り、遂に簡公を殺して之が政を奪ふ。戴驩宋の太宰と為り、皇喜君に重し、二人事を争ひて相害す、皇喜遂に宋君を殺して其の政を奪ふ。狐突曰く、「国君内を好めば則ち太子危く、外を好めば則ち相室危し。」鄭君鄭昭に問ひて曰く、「太子亦何如。」対へて曰く、「太子未だ生れざるなり。」君曰く、「太子已に置きて未だ生れずと曰ふは、何ぞや。」対へて曰く、「太子置かると雖も、然れども君の色を好むこと已まず、愛する所子有らば、君必ず之を愛せん、之を愛すれば則ち必ず以て後と為さんと欲せん、臣故に太子未だ生れずと曰ふなり。」六。文王費仲に資して紂の旁に遊ばしめ、之をして紂を諫めて其の心を乱さしむ。荊王人をして秦に之かしむ、秦王甚だ之を礼す。王曰く、「敵国に賢者有るは、国の憂ひなり。今荊王の使者甚だ賢なり、寡人之を患ふ。」群臣諫めて曰く、「王の賢聖と国の資厚きとを以てすれば、荊王の賢人を願ふ、王何ぞ深く之に知られて陰かに之を有せざる。荊以て外用と為さば、則ち必ず之を誅せん。」仲尼魯に政を為し、道に遺ちたるを拾はず、斉の景公之を患ふ。黎且景公に謂ひて曰く、「仲尼を去ること猶ほ毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を迎ふるに重禄高位を以てし、哀公に女楽を遺りて以て其の意を驕栄せしめざる。哀公新たに之を楽しまば、必ず政を怠らん、仲尼必ず諫めん、諫むれば必ず軽く魯に絶たん。」景公曰く、「善し。」