韓非子 / 外儲說左上第三十二
孔子曰:「爲人君者猶盂也,民猶水也。盂方水方,盂圜水圜。」鄒君好服長纓,左右皆服長纓,纓甚貴。鄒君患之,問左右,左右曰:「君好服,百姓亦多服,是以貴。」君因先自斷其纓而出,國中皆不服長纓。君不能下令爲百姓服度以禁之,斷纓出以示先民,是先戮以蒞民也。叔向賦獵,功多者受多,功少者受少。韓昭侯謂申子曰:「法度甚不易行也。」申子曰:「法者,見功而與賞,因能而受官。今君設法度而聽左右之請,此所以難行也。」昭侯曰:「吾自今以來知行法矣,寡人奚聽矣。」一日,申子請仕其從兄官。昭侯曰:「非所斈於子也。聽子之謁,敗子之道乎,亡其用子之謁?」申子辟舍請罪。六。晉文公攻原,裹十日糧,遂與大夫期十日。至原十日而原不下,撃金而退,罷兵而去。士有從原中出者,曰:「原三日即下矣。」羣臣左右諫曰:「夫原之食竭力盡矣,君姑待之。」公曰:「吾與士期十日,不去,是亡吾信也。得原失信,吾不爲也。」遂罷兵而去。原人聞曰:「有君如彼其信也,可無歸乎?」乃降公。衛人聞曰:「有君如彼其信也,可無從乎?」乃降公。孔子聞而記之曰:「攻原得衛者,信也。」文公問箕鄭曰:「救餓奈何?」對曰:「信。」公曰:「安信?」曰:「信名,信事,信義。
新字:孔子曰:「為人君者猶盂也,民猶水也。盂方水方,盂圜水圜。」鄒君好服長纓,左右皆服長纓,纓甚貴。鄒君患之,問左右,左右曰:「君好服,百姓亦多服,是以貴。」君因先自断其纓而出,国中皆不服長纓。君不能下令為百姓服度以禁之,断纓出以示先民,是先戮以莅民也。叔向賦猟,功多者受多,功少者受少。韓昭侯謂申子曰:「法度甚不易行也。」申子曰:「法者,見功而与賞,因能而受官。今君設法度而聴左右之請,此所以難行也。」昭侯曰:「吾自今以来知行法矣,寡人奚聴矣。」一日,申子請仕其従兄官。昭侯曰:「非所斈於子也。聴子之謁,敗子之道乎,亡其用子之謁?」申子辟舎請罪。六。晋文公攻原,裹十日糧,遂与大夫期十日。至原十日而原不下,撃金而退,罷兵而去。士有従原中出者,曰:「原三日即下矣。」羣臣左右諫曰:「夫原之食竭力尽矣,君姑待之。」公曰:「吾与士期十日,不去,是亡吾信也。得原失信,吾不為也。」遂罷兵而去。原人聞曰:「有君如彼其信也,可無帰乎?」乃降公。衛人聞曰:「有君如彼其信也,可無従乎?」乃降公。孔子聞而記之曰:「攻原得衛者,信也。」文公問箕鄭曰:「救餓奈何?」対曰:「信。」公曰:「安信?」曰:「信名,信事,信義。
書き下し
孔子曰く、「人君為る者は猶ほ盂のごときなり、民は猶ほ水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり。」鄒君長纓を服することを好み、左右皆長纓を服す、纓甚だ貴し。鄒君之を患ひ、左右に問ふ、左右曰く、「君服することを好めば、百姓亦多く服す、是を以て貴し。」君因りて先づ自ら其の纓を断ちて出づ、国中皆長纓を服せず。君下令して百姓の為に服度を為して以て之を禁ずること能はず、纓を断ちて出でて以て民に先んじて示す、是れ先づ戮して以て民に蒞むなり。叔向猟を賦す、功多き者は多きを受け、功少き者は少きを受く。韓の昭侯申子に謂ひて曰く、「法度甚だ行ひ易からざるなり。」申子曰く、「法は、功を見て賞を与へ、能に因りて官を受く。今君法度を設けて左右の請を聴く、此れ行ひ難き所以なり。」昭侯曰く、「吾今より以来法を行ふを知れり、寡人奚ぞ聴かん。」一日、申子其の従兄を官に仕へしめんことを請ふ。昭侯曰く、「子に学ぶ所に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を敗らんか、亡た子の謁を用ひんか。」申子舎を辟けて罪を請ふ。六。晋の文公原を攻む、十日の糧を裹み、遂に大夫と十日を期す。原に至りて十日にして原下らず、金を撃ちて退き、兵を罷めて去る。士に原中より出づる者有り、曰く、「原三日にして即ち下らん。」群臣左右諫めて曰く、「夫れ原の食竭き力尽く、君姑く之を待て。」公曰く、「吾士と十日を期す、去らずんば、是れ吾が信を亡ふなり。原を得て信を失ふは、吾為さざるなり。」遂に兵を罷めて去る。原人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、帰する無かるべけんや。」乃ち公に降る。衛人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、従ふ無かるべけんや。」乃ち公に降る。孔子聞きて之を記して曰く、「原を攻めて衛を得たる者は、信なり。」文公箕鄭に問ひて曰く、「餓を救ふこと奈何。」対へて曰く、「信なり。」公曰く、「安んぞ信ならん。」曰く、「名に信に、事に信に、義に信なり。
現代語訳
孔子は言った。「君主というものは盂(水を入れる器)のようなものであり、民は水のようなものである。器が四角なら水も四角になり、器が丸ければ水も丸くなる。」鄒の君は長い冠の紐を好んで着けたので、側近もみな長い紐を着け、紐がひどく高価になった。鄒の君はこれを憂えて側近に尋ねると、側近は言った。「君が好んで着けられるので、民も多くが着けるのです。だから高いのです。」君はそこで自分から先に冠の紐を断ち切って外に出ると、国中の者がみな長い紐を着けなくなった。君は命令を下して民のために服装の決まりを作り、それで禁じることができなかった。紐を断ち切って出て、民に先んじて見せたのは、まず自分を辱めてから民に臨んだということである。晋の叔向は狩りの獲物を分配するとき、功の多い者には多く、功の少ない者には少なく与えた。韓の昭侯が申子(申不害)に言った。「法度というものは、なかなか行いにくいものだ。」申子は言った。「法とは、功績を確かめて賞を与え、能力に応じて官職を授けるものです。今、君は法度を設けておきながら側近の頼みを聞き入れておられる。これが行いにくい理由です。」昭侯は言った。「私は今日から法の行い方がわかった。もう頼みごとなど聞くものか。」ある日、申子が自分の従兄を官に就けてほしいと願い出た。昭侯は言った。「これはあなたから学んだこととは違う。あなたの頼みを聞いてあなたの説く道を破るべきか、それともあなたの頼みを退けるべきか。」申子は住まいを移して謹慎し、罪を請うた。六。晋の文公が原を攻めたとき、十日分の兵糧を携え、大夫たちと十日を期限と約束した。原に着いて十日たっても原は降伏しなかったので、鉦を打って退却を命じ、兵を引いて去ろうとした。原の城中から出てきた者が言った。「原はあと三日で降伏するでしょう。」群臣や側近が諫めた。「原は食糧も尽き力も尽きています。君はしばらくお待ちください。」文公は言った。「私は兵士たちと十日と約束した。去らなければ、私は信義を失う。原を手に入れても信義を失うようなことを、私はしない。」そしてついに兵を引いて去った。原の人々はこれを聞いて言った。「あれほど信義を守る君がいるのに、身を寄せずにいられようか。」そして文公に降った。衛の人々もこれを聞いて言った。「あれほど信義を守る君がいるのに、従わずにいられようか。」そして文公に降った。孔子はこれを聞いて記録した。「原を攻めて衛まで得たのは、信義による。」文公が箕鄭に尋ねた。「飢饉を救うにはどうすればよいか。」箕鄭は答えた。「信です。」文公が「どう信にするのか」と言うと、箕鄭は言った。「名目に信を、事業に信を、道義に信を置くことです。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲說左上第三十二賞罰信ならざれば則ち禁令行はれず、説は文公の原を攻むると箕鄭の餓を救ふとに在り。是を以て呉起故人を須ちて食し、文侯虞人に会して猟す。故に明主信を表すこと、曾子の彘を殺すが如きなり。患は厲王の警鼓を撃つと李悝の両和を謾くとに在り。一。宓子賤単父を治む。有若之を見て曰く、「子何ぞ臞せたるや。」宓子曰く、「君賤の不肖を知らず、単父を治めしむ、官事急にして、心之を憂ふ、故に臞せたり。」有若曰く、「昔者舜五絃を鼓し、南風の詩を歌ひて天下治まる。今単父の細を以て、之を治めて憂ふ、天下を治むるは将に奈何せんとするや。故に術有りて之を御すれば、身廟堂の上に坐し、処女子の色有るも、治に害無し。術無くして之を御すれば、身瘁臞すと雖も、猶ほ未だ益有らず。楚王田鳩に謂ひて曰く、「墨子は、顕学なり。其の身体は則ち可なり、其の言多くして弁ならざるは、何ぞや。」曰く、「昔秦伯其の女を晋の公子に嫁がしむ、晋をして之が為に装を飾らしめ、文衣の媵七十人を従へしむ。晋に至る、晋人其の妾を愛して公女を賤しむ。此れ善く妾を嫁がしむと謂ふべくして、未だ善く女を嫁がしむと謂ふべからざるなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二先王の言、其の為す所小にして世之を大と意ふ有り、其の為す所大にして世之を小と意ふ有り、未だ必ずしも知るべからざるなり。説は宋人の書を解すると梁人の記を読むとに在り。故に先王に郢書有りて、後世に燕説多し。夫れ国事に適はずして先王を謀るは、皆帰りて度を取る者なり。四。利の在る所、民之に帰し、名の彰るる所、士之に死す。是を以て功法に外れて賞加はれば、則ち上下に利する所を得ること能はず。名法に外れて誉加はれば、則ち士名を勧めて之を君に畜はれず。故に中章・胥己仕へて、中牟の民田圃を棄てて文学に随ふ者邑の半ばなり。平公腓痛み足痺れて敢て坐を壊らず、晋国の仕を辞して託する者国の錘なり。此の三士は、言法に襲へば、則ち官府の籍なり。行事に中れば、則ち令の如きの民なり、二君の礼太だ甚し。若し言法を離れて行功に遠ければ、則ち縄外の民なり、二君又何ぞ之を礼せん。之を礼すれば当に亡ぶべし。且つ居学の士は、国事無ければ力を用ひず、難有れば甲を被らず。之を礼すれば、則ち耕戦の功を脩むるに惰る。礼せざれば、則ち主上の法を害す。国安ければ則ち尊顕し、危ければ則ち屈公の威と為る、人主奚ぞ居学の士に得んや。故に明主李疵の中山を視るを論ず。五。詩に曰く、「躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。」傅之に説くに衣紫無きを以てし、之を援くに鄭簡・宋襄を以てし、之を責むるに耕戦を尊厚するを以てす。夫れ分を明らかにせず、誠を責めずして、躬親を以て下に位し、且つ下走・睡臥を為し、夫の揜弊・微服と与にす。孔丘知らず、故に猶ほ盂のごとしと称す。鄒君知らず、故に先づ自ら僇す。明主の道は、叔向の猟を賦すると昭侯の奚ぞ聴かんとの如し。六。小信成れば則ち大信立つ、故に明主は信を積む。
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『韓非子』外儲說左下第三十三説は文子の直言、武子の杖を用ふると、子産の忠諫、子国の譙怒すると、梁車法を用ひて成侯璽を収むると、管仲公を以てして国人謗怨するとに在り。一。孔子衛に相たり、弟子子皐獄吏と為り、人の足を刖る、跀せらるる所の者門を守る。人に孔子を衛君に悪む者有り、曰く、「尼乱を作さんと欲す。」衛君孔子を執へんと欲す。孔子走り、弟子皆逃ぐ。子皐従ひて門を出づ、跀危之を引きて之を門下の室中に逃がす、吏追ふも得ず。夜半、子皐跀危に問ひて曰く、「吾主の法令を虧くこと能はずして親ら子の足を跀る、是れ子の仇に報ゆるの時なり、而るに子何の故に乃ち肯へて我を逃がす。我何を以て此を子に得たる。」跀危曰く、「吾が足を断たるるや、固より吾が罪之に当る、奈何ともすべからず。
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『韓非子』外儲說左下第三十三孔子曰く、「善く吏為る者は徳を樹て、吏為ること能はざる者は怨みを樹つ。槩は、量を平らかにする者なり。吏は、法を平らかにする者なり。国を治むる者は、平を失ふべからざるなり。」田子方斉より魏に之く、翟黄の軒に乗り騎駕して出づるを望み、方以て文侯と為すや、車を移し路を異にして之を避く、則ち徒だ翟黄なり。方問ひて曰く、「子奚ぞ是の車に乗るや。」曰く、「君謀りて中山を伐たんと欲す、臣翟角を薦めて謀果を得たり。且に之を伐たんとす、臣楽羊を薦めて中山抜く。中山を得て、之を治めんことを憂ふ、臣李克を薦めて中山治まる、是を以て君此の車を賜ふ。」方曰く、「寵の功に称ふこと尚ほ薄し。」秦・韓魏を攻む、昭卯西に説きて秦・韓罷む。斉・荊魏を攻む、卯東に説きて斉・荊罷む。魏の襄王之を養ふに五乗を以てす。卯曰く、「伯夷将軍を以て首陽山の下に葬らる、而して天下曰く、夫の伯夷の賢と其の仁を称せらるるとを以て、而も将軍を以て葬らるるは、是れ手足掩はれざるなり、と。今臣四国の兵を罷め、而して王乃ち臣に五乗を与ふ、此れ其の功に称ふこと、猶ほ嬴勝して蹻を履むがごとし。」
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呂氏春秋・爲欲④凡そ國を治むるは、其の民をして爭いて義行わしめ、亂國は其の民をして爭いて不義を為さしむるなり。彊國は其の民をして爭いて用いらるるを樂しましめ、弱國は其の民をして爭いて用いられざるを競わしむ。夫れ爭いて義を行いて用いらるるを樂しむと、爭いて不義を為して用いられざるを競うとは、此れ其の禍福為ることは、天覆うこと能わず、地載すること能わず。晉の文公、原を伐ち、士と七日を期す。七日して原下らず。命じて之を去らしめんとす。謀士言いて曰く、「原將に下らんとす。」師吏、之を待たんことを請う。公曰く、「信は、國の寶なり。原を得て寶を失うは、吾為さざるなり。」遂に之を去る。明年復た之を伐ち、士と必ず原を得て然る後反らんことを期す。原人之を聞き乃ち下る。衛人之を聞き、文公の信を以て至れりと為し、乃ち文公に歸す。故に、原を攻めて衛を得たりと曰うは、此の謂なり。文公は原を得ることを欲せざるに非ざるなり。不信を以て原を得るは、得ること勿きに若かざればなり。必ず誠信にして以て之を得れば、之に歸する者は獨り衛のみに非ざるなり。文公は欲を求むることを知れりと謂う可し。
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『韓非子』外儲說左上第三十二名に信なれば、則ち群臣職を守り、善悪踰えず、百事怠らず。事に信なれば、則ち天の時を失はず、百姓踰えず。義に信なれば、則ち近親勧勉して遠き者之に帰す。」呉起出でて、故人に遇ひて之を止めて食せしむ。故人曰く、「諾、今返りて御せん。」呉子曰く、「公を待ちて食せん。」故人暮に至るも来らず、起食せずして之を待つ。明日早く、人をして故人を求めしむ。故人来り、方に之と食す。魏の文侯虞人と猟を期す。明日、会ま天疾風す、左右文侯を止む、聴かず、曰く、「風疾きの故を以て信を失ふべからず、吾為さざるなり。」遂に自ら車を駆りて往き、風を犯して虞人を罷む。曾子の妻市に之く、其の子之に随ひて泣く。其の母曰く、「女還れ、顧反して女の為に彘を殺さん。」適ま市より来る、曾子彘を捕へて之を殺さんと欲す。妻之を止めて曰く、「特だ嬰児と戯るるのみ。」