韓非子 / 外儲說左上第三十二
伐之不亦可乎?」主父曰:「善。」舉兵而伐中山,遂滅也。五。齊桓公好服紫,一國盡服紫。當是時也,五素不得一紫。桓公患之,謂管仲曰:「寡人好服紫,紫貴甚,一國百姓好服紫不已,寡人奈何?」管仲曰:「君欲止之,何不試勿衣紫也?謂左右曰:『吾甚惡紫之臭。』於是左右適有衣紫而進者,公必曰:『少却,吾惡紫臭。』」公曰:「諾。」於是日,郎中莫衣紫;其明日,國中莫衣紫;三日,境内莫衣紫也。一曰:齊王好衣紫,齊人皆好也。齊國五素不得一紫,齊王患紫貴。傅說王曰:「《詩》云:『不躬不親,庶民不信。』今王欲民無衣紫者,王請自解紫衣而朝。羣臣有紫衣進者,曰:『益遠!寡人惡臭。』」是日也,郎中莫衣紫;是月也,國中莫衣紫;是歲也,境内莫衣紫。鄭簡公謂子産曰:「國小,迫於荆、晉之間。今城郭不完,兵甲不備,不可以待不虞。」子産曰:「臣閉其外也已遠矣,而守其内也已固矣,雖國小,猶不危之也。君其勿憂。」是以沒簡公身無患。一曰:子産相鄭,簡公謂子産曰:「飲酒不樂也。俎豆不大,鐘鼓竽瑟不鳴,寡人之事不一,國家不定,百姓不治,耕戰不輯睦,亦子之罪。子有職,寡人亦有職,各守其職。」子産退而爲政五年,國無盜賊,道不拾遺,桃棗蔭於街者莫有援也,錐刀遺道三日可反。
新字:伐之不亦可乎?」主父曰:「善。」舉兵而伐中山,遂滅也。五。斉桓公好服紫,一国尽服紫。当是時也,五素不得一紫。桓公患之,謂管仲曰:「寡人好服紫,紫貴甚,一国百姓好服紫不已,寡人奈何?」管仲曰:「君欲止之,何不試勿衣紫也?謂左右曰:『吾甚悪紫之臭。』於是左右適有衣紫而進者,公必曰:『少却,吾悪紫臭。』」公曰:「諾。」於是日,郎中莫衣紫;其明日,国中莫衣紫;三日,境内莫衣紫也。一曰:斉王好衣紫,斉人皆好也。斉国五素不得一紫,斉王患紫貴。傅説王曰:「《詩》云:『不躬不親,庶民不信。』今王欲民無衣紫者,王請自解紫衣而朝。羣臣有紫衣進者,曰:『益遠!寡人悪臭。』」是日也,郎中莫衣紫;是月也,国中莫衣紫;是歳也,境内莫衣紫。鄭簡公謂子産曰:「国小,迫於荆、晋之間。今城郭不完,兵甲不備,不可以待不虞。」子産曰:「臣閉其外也已遠矣,而守其内也已固矣,雖国小,猶不危之也。君其勿憂。」是以没簡公身無患。一曰:子産相鄭,簡公謂子産曰:「飲酒不楽也。俎豆不大,鐘鼓竽瑟不鳴,寡人之事不一,国家不定,百姓不治,耕戦不輯睦,亦子之罪。子有職,寡人亦有職,各守其職。」子産退而為政五年,国無盗賊,道不拾遺,桃棗蔭於街者莫有援也,錐刀遺道三日可反。
書き下し
之を伐つこと亦可ならずや。」主父曰く、「善し。」兵を挙げて中山を伐ち、遂に滅ぼすなり。五。斉の桓公紫を服することを好み、一国尽く紫を服す。是の時に当りてや、五素も一紫を得ず。桓公之を患ひ、管仲に謂ひて曰く、「寡人紫を服することを好み、紫の貴きこと甚し、一国の百姓紫を服することを好みて已まず、寡人奈何せん。」管仲曰く、「君之を止めんと欲せば、何ぞ試みに紫を衣ること勿からざる。左右に謂ひて曰へ、吾甚だ紫の臭を悪む、と。是に於て左右適ま紫を衣て進む者有らば、公必ず曰へ、少しく却け、吾紫の臭を悪む、と。」公曰く、「諾。」是に於て日、郎中紫を衣るもの莫し。其の明日、国中紫を衣るもの莫し。三日にして、境内紫を衣るもの莫きなり。一に曰く、斉王紫を衣ることを好み、斉人皆好むなり。斉国五素も一紫を得ず、斉王紫の貴きを患ふ。傅王に説きて曰く、「詩に云ふ、躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず、と。今王民の紫を衣る者無からしめんと欲せば、王請ふ自ら紫衣を解きて朝せよ。群臣に紫衣して進む者有らば、曰へ、益ます遠ざかれ、寡人臭を悪む、と。」是の日や、郎中紫を衣るもの莫し。是の月や、国中紫を衣るもの莫し。是の歳や、境内紫を衣るもの莫し。鄭の簡公子産に謂ひて曰く、「国小にして、荊・晋の間に迫る。今城郭完からず、兵甲備はらず、以て不虞を待つべからず。」子産曰く、「臣其の外を閉づること已に遠し、而して其の内を守ること已に固し、国小なりと雖も、猶ほ之を危しとせざるなり。君其れ憂ふること勿かれ。」是を以て簡公の身を没するまで患ひ無し。一に曰く、子産鄭に相たり、簡公子産に謂ひて曰く、「酒を飲むも楽しまざるなり。俎豆大ならず、鐘鼓竽瑟鳴らず、寡人の事一ならず、国家定まらず、百姓治まらず、耕戦輯睦せざるは、亦子の罪なり。子に職有り、寡人も亦職有り、各其の職を守らん。」子産退きて政を為すこと五年、国に盗賊無く、道に遺ちたるを拾はず、桃棗の街に蔭する者援くもの有る莫く、錐刀道に遺つるも三日にして反るべし。
現代語訳
(李疵は言った。そうした隠者を尊べば、民は耕作や戦いを怠ります。)討つのがよいではありませんか。」主父は「よかろう」と言い、兵を挙げて中山を討ち、ついに滅ぼした。五。斉の桓公は紫の服を着るのを好んだので、国中の者がみな紫を着るようになった。このころは、白絹五匹でも紫の絹一匹が買えないほどだった。桓公はこれを憂えて管仲に言った。「私が紫を好んで着たので、紫がひどく高くなった。国中の民が紫を好んで着るのをやめない。どうしたらよいか。」管仲は言った。「君がこれをやめさせたいなら、試しに紫を着るのをおやめになってはいかがですか。そして側近に『私は紫の臭いがひどく嫌いだ』とおっしゃるのです。そのうえで、側近に紫を着て進み出る者がいれば、必ず『少し下がれ、私は紫の臭いが嫌いだ』とおっしゃってください。」桓公は「わかった」と言った。その日のうちに、宮中の近侍で紫を着る者はいなくなった。翌日には都の中で紫を着る者がいなくなり、三日たつと国内で紫を着る者はいなくなった。別の伝えでは、こうである。斉王が紫の服を好み、斉の人々もみな好んだ。斉の国では白絹五匹でも紫一匹が買えず、王は紫の高騰を憂えた。守り役が王に説いた。「『詩経』に『自ら行わず自ら親しまなければ、民は信じない』とあります。今、王が民に紫を着させないようにしたいなら、どうかご自身が紫の服を脱いで朝廷にお出ましください。群臣に紫を着て進み出る者がいれば、『もっと離れよ、私はその臭いが嫌いだ』とおっしゃるのです。」その日のうちに近侍で紫を着る者はいなくなり、その月のうちに都で紫を着る者はいなくなり、その年のうちに国内で紫を着る者はいなくなった。鄭の簡公が子産に言った。「わが国は小さく、楚と晋の間に挟まれている。今、城壁は完全でなく、武器や鎧もそろっておらず、不意の事態に備えることができない。」子産は言った。「私は外に対しては遠くまで防ぎを固めており、内の守りもすでに堅固です。国が小さくても、危うくはありません。君はご心配なさいませんように。」そのため簡公は生涯災いに遭わなかった。別の伝えでは、こうである。子産が鄭の宰相になると、簡公が子産に言った。「酒を飲んでも楽しくない。宴の器が立派でなく、鐘や太鼓、笛や琴が鳴らないのは、私の務めが行き届かないからだ。しかし国家が定まらず、民が治まらず、農耕と戦いがうまくいかないのは、あなたの罪である。あなたにはあなたの職分があり、私にも私の職分がある。それぞれ自分の職分を守ろう。」子産は退いて政治を行うこと五年、国に盗賊はいなくなり、道に落ちた物を拾う者もなく、街路に枝を垂らす桃やなつめの実をもぎ取る者もなく、錐や小刀を道に落としても三日のうちに持ち主に戻ってくるほどになった。
解説
関連する章句
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説苑・反質齊の桓公管仲に謂いて曰く、「吾が國甚だ小にして、財用甚だ少なきに、群臣の衣服輿駕甚だ汰なり、吾之を禁ぜんと欲す、可なるか?」管仲曰く、「臣之を聞く、君之を嘗むれば、臣之を食らう。君之を好めば、臣之を服す。今君の食らうや必ず桂の漿、練紫の衣を衣、狐白の裘なり。此れ群臣の奢汰する所なり。詩に云う、『躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。』君之を禁ぜんと欲せば、胡ぞ自ら親らせざる?」と。桓公曰く、「善し。」と。是に於て練帛の衣、大白の冠に更制し、朝すること一年にして齊國儉なり。
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『韓非子』內儲說上七術第三十過ち有るも罪せず、功無くして賞を受くれば、亡ぶと雖も、亦可ならずや」と。斉国厚葬を好み、布帛は衣衾に尽き、材木は棺椁に尽く。桓公之を患ひ、以て管仲に告げて曰く、「布帛尽くれば則ち以て蔽ひと為す無く、材木尽くれば則ち以て守備と為す無し。而るに人の厚葬すること休まず、之を禁ずること奈何」と。管仲対へて曰く、「凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば、則ち之を利とするなり」と。是に於て乃ち令を下して曰く、「棺椁度に過ぐる者は其の尸を戮し、夫の喪に当たる者を罪す」と。夫れ死を戮すれば名無く、喪に当たる者を罪すれば利無し。人何の故にか之を為さんや。衛の嗣君の時、胥靡有りて魏に逃れ、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、人をして五十金を以て之を買はんことを請はしむ。五たび反るも魏王予へず、乃ち左氏を以て之に易へんとす。群臣左右諫めて曰く、「夫れ一都を以て胥靡を買ふは、可ならんや」と。王曰く、「子の知る所に非ざるなり。夫れ治に小無く、乱に大無し。法立たずして誅必ならずんば、十の左氏有りと雖も益無きなり。法立ちて誅必ならば、十の左氏を失ふと雖も害無きなり」と。魏王之を聞きて曰く、「主治めんと欲して之に聴かざるは、不祥なり」と。因りて載せて往き、徒だ之を献ず。三。斉王、文子に問ひて曰く、「国を治むること何如」と。対へて曰く、「夫れ賞罰の道為る、利器なり。君固く之を握り、以て人に示すべからず。臣の如き者の若きは、猶ほ獣鹿のごときなり、唯だ薦草にのみ就く」と。越王、大夫文種に問ひて曰く、「吾呉を伐たんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「可なり。吾が賞は厚くして信、罰は厳にして必なり。君之を知らんと欲せば、何ぞ試みに宮室を焚かざる」と。是に於て遂に宮室を焚く。人之を救ふ莫し。乃ち令を下して曰く、「人の火を救ひて死する者は、死敵の賞に比し、火を救ひて死せざる者は、勝敵の賞に比し、火を救はざる者は、降北の罪に比す」と。人の其の体に塗り濡衣を被て火に走る者、左に三千人、右に三千人。此れ必勝の勢ひを知るなり。呉起、魏の武侯の為に西河の守と為る。秦に小亭有りて境に臨む。呉起之を攻めんと欲す。去らずんば、則ち甚だ田者を害す。之を去らんとすれば、則ち以て甲兵を徴するに足らず。
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『韓非子』外儲說左上第三十二孔子曰く、「人君為る者は猶ほ盂のごときなり、民は猶ほ水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり。」鄒君長纓を服することを好み、左右皆長纓を服す、纓甚だ貴し。鄒君之を患ひ、左右に問ふ、左右曰く、「君服することを好めば、百姓亦多く服す、是を以て貴し。」君因りて先づ自ら其の纓を断ちて出づ、国中皆長纓を服せず。君下令して百姓の為に服度を為して以て之を禁ずること能はず、纓を断ちて出でて以て民に先んじて示す、是れ先づ戮して以て民に蒞むなり。叔向猟を賦す、功多き者は多きを受け、功少き者は少きを受く。韓の昭侯申子に謂ひて曰く、「法度甚だ行ひ易からざるなり。」申子曰く、「法は、功を見て賞を与へ、能に因りて官を受く。今君法度を設けて左右の請を聴く、此れ行ひ難き所以なり。」昭侯曰く、「吾今より以来法を行ふを知れり、寡人奚ぞ聴かん。」一日、申子其の従兄を官に仕へしめんことを請ふ。昭侯曰く、「子に学ぶ所に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を敗らんか、亡た子の謁を用ひんか。」申子舎を辟けて罪を請ふ。六。晋の文公原を攻む、十日の糧を裹み、遂に大夫と十日を期す。原に至りて十日にして原下らず、金を撃ちて退き、兵を罷めて去る。士に原中より出づる者有り、曰く、「原三日にして即ち下らん。」群臣左右諫めて曰く、「夫れ原の食竭き力尽く、君姑く之を待て。」公曰く、「吾士と十日を期す、去らずんば、是れ吾が信を亡ふなり。原を得て信を失ふは、吾為さざるなり。」遂に兵を罷めて去る。原人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、帰する無かるべけんや。」乃ち公に降る。衛人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、従ふ無かるべけんや。」乃ち公に降る。孔子聞きて之を記して曰く、「原を攻めて衛を得たる者は、信なり。」文公箕鄭に問ひて曰く、「餓を救ふこと奈何。」対へて曰く、「信なり。」公曰く、「安んぞ信ならん。」曰く、「名に信に、事に信に、義に信なり。
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説苑・政理子產、鄭に相たり。簡公、子產に謂いて曰く、「內政は出す毋かれ、外政は入る毋かれ。夫れ衣裘の美ならざる、車馬の飾らざる、子女の潔からざるは、寡人の醜なり。國家の治まらざる、封疆の正しからざるは、夫子の醜なり。」子產、鄭に相たり、簡公の身を終うるまで、內には國中の亂無く、外には諸侯の患無し。子產の政に從うや、能を擇びて之を使う。馮簡子は事を斷ずるに善く、子太叔は決するに善くして文あり、公孫揮は四國の為す所を知りて其の大夫の族姓を辨じ、變じて立ちどころに至り、又善く辭令を為す。裨諶は謀るに善く、野に於ては獲るも邑に於ては否らず。事有れば乃ち裨諶を載せて之と野に適き、謀りて可否を使め、告げて馮簡子をして之を斷ぜしめ、公孫揮をして之が辭令を為さしめ、成りて乃ち子太叔受けて之を行わしめ、以て賓客に應對す。是を以て鮮に敗事有り。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一左右に私かに善からざる者有り、乃ち之が為に王に請ひて曰く、「公子甚だ貧しく、馬甚だ痩す、王何ぞ之に馬食を益さざる。」王許さず。左右因りて微かに夜芻廐を焼かしむ。王以て賤公子と為すや、乃ち之を誅す。魏に老儒有りて済陽君に善からず。客に老儒と私怨有る者有り、因りて老儒を攻めて之を殺し、以て済陽君に徳として曰く、「臣其の君に善からざるが為なり、故に君の為に之を殺せり。」済陽君因りて察せずして之を賞す。一に曰く、済陽君に少庶子有り、知られずして君に愛を入れんと欲する者有り。斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、済陽の少庶子以て功と為さんと欲し、入りて君に見えて曰く、「斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、名は薬を掘るなるも、実は君の国を間するなり。君之を殺さずんば、是れ将に済陽君を以て罪を斉に抵さんとす。臣請ふ之を刺さん。」君曰く、「可なり。」是に於て明日之を城陰に得て之を刺す、済陽君還りて益ます之を親しむ。四。陳需は、魏王の臣なり、荊王に善し、而して荊をして魏を攻めしむ。荊魏を攻む、陳需因りて魏王の為に行きて之を解かんことを請ひ、因りて荊の勢を以て魏に相たり。韓の昭侯の時、黍種嘗て貴きこと甚し。昭侯人をして廩を覆さしむ、吏果して黍種を竊みて之を糶ること甚だ多し。昭奚恤の荊に用ひらるるや、倉廥窌を焼く者有りて其の人を知らず。昭奚恤吏をして茅を販ぐ者を執へて之を問はしむ、果して焼けり。昭僖侯の時、宰人食を上るに羹中に生肝有り、昭侯宰人の次を召して之を誚めて曰く、「若何為れぞ生肝を寡人の羹中に置く。」宰人頓首して死罪に服して曰く、「竊かに尚宰人を去らんと欲するなり。」一に曰く、僖侯浴す、湯中に礫有り。僖侯曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち当に代るべき者有るか。」左右対へて曰く、「有り。」僖侯曰く、「召して来れ。」之を譙めて曰く、「何為れぞ礫を湯中に置く。」対へて曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち臣之に代るを得ん、是を以て礫を湯中に置く。」
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『韓非子』外儲說左下第三十三又何ぞ賀せん。」管仲斉に相たり、曰く、「臣貴し、然れども臣貧し。」桓公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん。」曰く、「臣富めり、然れども臣卑し。」桓公高・国の上に立たしむ。曰く、「臣尊し、然れども臣疏し。」乃ち立てて仲父と為す。孔子聞きて之を非りて曰く、「泰侈上に偪る。」一に曰く、管仲父出づるに、朱蓋青衣、鼓を置きて帰り、庭に陳鼎有り、家に三帰有り。孔子曰く、「良大夫なり、其の侈上に偪る。」孫叔敖楚に相たり、棧車牝馬、糲餅菜羹、枯魚の膳、冬は羔裘、夏は葛衣、面に飢色有り、則ち良大夫なり。其の倹下に偪る。陽虎斉を去りて趙に走る、簡主問ひて曰く、「吾聞く子善く人を樹つと。」虎曰く、「臣魯に居り、三人を樹つ、皆令尹と為る。虎の罪を魯に抵すに及び、皆虎を捜索するなり。臣斉に居り、三人を薦む、一人は王に近づくを得、一人は県令と為り、一人は候吏と為る。臣の罪を得るに及び、王に近き者は臣に見えず、県令なる者は臣を迎へて執縛し、候吏なる者は臣を追ひて境上に至り、及ばずして止む。