幽夢影 / 巻下・説文の贅句
許氏《説文》,分部有止有其部,而無所屬之字者,下必註云:「凡某之屬,皆從某。」贅句殊覺可笑,何不省此一句乎!
新字:許氏《説文》,分部有止有其部,而無所属之字者,下必註云:「凡某之属,皆従某。」贅句殊覚可笑,何不省此一句乎!
書き下し
許氏の『説文』は、部を分つに、止だ其の部有りて、屬する所の字無き者有るも、下に必ず註して云ふ、「凡そ某の屬は、皆某に從ふ」と。贅句殊に笑ふべきを覺ゆ、何ぞ此の一句を省かざるや。
現代語訳
許慎(後漢の学者)の『説文解字』は、部首を立てるにあたって、ただその部首があるだけで、そこに属する字が一つもないものがあるのに、その下に必ず「およそ某に属する字は、みな某に従う」と注記しています。この無駄な一句はまったく滑稽に思えます。どうしてこの一句を省かなかったのでしょうか。
解説
字書の古典に、読書人らしい小さな突っ込みを入れた一則です。『説文解字』は後漢の許慎が著した中国最古の本格的な字書で、漢字を五百四十の部首に分けて解説しています。各部首の末尾には「凡そ某の属は皆某に従う」という決まり文句が置かれますが、所属する字が一つもない部首にまで、この文句が律儀に付けられています。張潮はその形式主義を笑っているわけです。友人の譚公子は「まるで役人の着任の告示のようだ」と評し、王司直は「古い史書の書き方の名残だ」と弁護しています。書式をそろえることにも意味はありますが、中身のない定型文が残っていないか、自分の書類を見直したくなります。

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