韓非子 / 外儲說左上第三十二
今我爲鳶,三年成,蜚一日而敗。」惠子聞之曰:「墨子大巧,巧爲輗,拙爲鳶。」宋王與齊仇也,築武宫。
新字:今我為鳶,三年成,蜚一日而敗。」恵子聞之曰:「墨子大巧,巧為輗,拙為鳶。」宋王与斉仇也,築武宮。
書き下し
今我鳶を為る、三年にして成り、蜚ぶこと一日にして敗る。」恵子之を聞きて曰く、「墨子は大巧なり、輗を為るを巧とし、鳶を為るを拙とす。」宋王斉と仇たるや、武宮を築く。
現代語訳
(墨子は言った。車の軛の留め具を作る職人のほうが私より巧みだ。)「今、私は木の鳶を作ったが、三年かかって完成し、一日飛んだだけで壊れてしまった。」恵子(恵施)はこれを聞いて言った。「墨子はまことの名匠だ。(役に立つ)軛の留め具を作ることを巧みとし、(役に立たない)鳶を作ることを拙いとしている。」宋王は斉と敵対していたとき、武宮を築いた。
解説
経一の「墨子木鳶を為る」を裏づける説話の結びです。墨子は三年かけて木の鳶を作り、一日飛ばしただけで壊しましたが、弟子に褒められると、短い時間で作れて重い荷を運べる車の部品を作る職人のほうが巧みだと答えました。名家の恵施はそれを聞いて、実用を巧みとし見世物を拙とする墨子こそ本当の名匠だと評しています。韓非はこの話で、手の込んだ技や目新しさではなく、役に立つかどうかで物事を評価せよと説きます。最後の一文は次の謳癸の話の書き出しです。新しい技術や派手な企画に目を奪われ、地味だが確実に効く改善を後回しにしていないか、振り返るきっかけになる一節です。
関連する章句
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『韓非子』外儲說左上第三十二墨子木鳶を為り、三年にして成り、蜚ぶこと一日にして敗る。...吾車輗を為る者の巧なるに如かざるなり。...三十石の任を引く。
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『墨子』魯問公輸子、竹木を削りて以て䧿を為る。成りて之を飛ばすに、三日下らず。公輸子、自ら以て至巧と為す。子墨子、公輸子に謂いて曰く、「子の䧿を為るや、翟の車轄を為るに如かず。須㬰にして三寸の木を留めて、五十石の重きに任う。故に為す所の巧は、人に利するを之れ巧と謂い、人に利せざるを之れ拙と謂う」と。
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『長短経』卑政〔議に曰く、昔、楚の公輸、宋の墨翟は、能く木鵲をして自ら飛ばしむるも、用に益無し。漢の張衡は、能く参輪をして自ら転ぜしむ。魏の馬鈞は、能く木人をして簫を吹かしむ。苟も用に益無くして之を為せば、則ち功を費やし力を損い、其の害多し。荘子に曰く「朱泙漫、龍を屠ることを支離益に学び、千金を殫くし、伎成るも其の巧を用うる所無し」と。文子に曰く「夫れ国を治むるは仁義礼楽・名法刑賞に在り。此を過ぎて往けば、天地を弥綸し、万品を纏絡すと雖も、治道の外にして、群生の飧挹する所に非ず。聖人措きて言わず」と。是に由りて之を観れば、事は時に適うに在りて、遠功を貴ぶ無きこと、自りて来たる有り。〕
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