韓非子 / 外儲說左上第三十二
賞罰不信則禁令不行,說在文公之攻原與箕鄭救餓也。是以吳起須故人而食,文侯會虞人而獵。故明主表信,如曾子殺彘也。患在厲王撃警鼓與李悝謾兩和也。一。宓子賤治單父。有若見之曰:「子何臞也?」宓子曰:「君不知賤不肖,使治單父,官事急,心憂之,故臞也。」有若曰:「昔者舜鼓五絃、歌《南風》之詩而天下治。今以單父之細也,治之而憂,治天下將奈何乎?故有術而御之,身坐於廟堂之上,有處女子之色,無害於治;無術而御之,身雖瘁臞,猶未有益。楚王謂田鳩曰:「墨子者,顯斈也。其身體則可,其言多而不辯,何也?」曰:「昔秦伯嫁其女於晉公子,令晉爲之飾裝,從衣文之媵七十人。至晉,晉人愛其妾而賤公女。此可謂善嫁妾,而未可謂善嫁女也。
新字:賞罰不信則禁令不行,説在文公之攻原与箕鄭救餓也。是以呉起須故人而食,文侯会虞人而猟。故明主表信,如曽子殺彘也。患在厲王撃警鼓与李悝謾両和也。一。宓子賤治単父。有若見之曰:「子何臞也?」宓子曰:「君不知賤不肖,使治単父,官事急,心憂之,故臞也。」有若曰:「昔者舜鼓五絃、歌《南風》之詩而天下治。今以単父之細也,治之而憂,治天下将奈何乎?故有術而御之,身坐於廟堂之上,有処女子之色,無害於治;無術而御之,身雖瘁臞,猶未有益。楚王謂田鳩曰:「墨子者,顕斈也。其身体則可,其言多而不弁,何也?」曰:「昔秦伯嫁其女於晋公子,令晋為之飾装,従衣文之媵七十人。至晋,晋人愛其妾而賤公女。此可謂善嫁妾,而未可謂善嫁女也。
書き下し
賞罰信ならざれば則ち禁令行はれず、説は文公の原を攻むると箕鄭の餓を救ふとに在り。是を以て呉起故人を須ちて食し、文侯虞人に会して猟す。故に明主信を表すこと、曾子の彘を殺すが如きなり。患は厲王の警鼓を撃つと李悝の両和を謾くとに在り。一。宓子賤単父を治む。有若之を見て曰く、「子何ぞ臞せたるや。」宓子曰く、「君賤の不肖を知らず、単父を治めしむ、官事急にして、心之を憂ふ、故に臞せたり。」有若曰く、「昔者舜五絃を鼓し、南風の詩を歌ひて天下治まる。今単父の細を以て、之を治めて憂ふ、天下を治むるは将に奈何せんとするや。故に術有りて之を御すれば、身廟堂の上に坐し、処女子の色有るも、治に害無し。術無くして之を御すれば、身瘁臞すと雖も、猶ほ未だ益有らず。楚王田鳩に謂ひて曰く、「墨子は、顕学なり。其の身体は則ち可なり、其の言多くして弁ならざるは、何ぞや。」曰く、「昔秦伯其の女を晋の公子に嫁がしむ、晋をして之が為に装を飾らしめ、文衣の媵七十人を従へしむ。晋に至る、晋人其の妾を愛して公女を賤しむ。此れ善く妾を嫁がしむと謂ふべくして、未だ善く女を嫁がしむと謂ふべからざるなり。
現代語訳
賞罰が確かでなければ、禁令は行われない。その説明は、晋の文公が原を攻めた話と、箕鄭が飢饉の救い方を答えた話にある。だから呉起は旧友を待ってから食事をし、魏の文侯は山林の役人との約束どおりに狩りに出向いた。だから明君が信義を示すのは、曾子が(子どもとの約束を守って)豚を殺したようなものである。信義を欠く害は、楚の厲王が警報の太鼓を打った話と、李悝が左右の陣を欺いた話に見られる。一。宓子賤(孔子の弟子)が単父の町を治めていた。有若が彼に会って言った。「あなたはどうしてそんなに痩せたのか。」宓子は言った。「主君は私の未熟さを知らずに単父を治めさせました。役所の仕事は差し迫り、心配でたまらないので痩せたのです。」有若は言った。「昔、舜は五弦の琴を弾き、南風の詩を歌っているだけで天下は治まった。今、単父のような小さな町を治めるのに思い悩んでいては、天下を治めるときはどうするのか。術をもって人を御するなら、自分は朝廷に座ったまま、乙女のように穏やかな顔色でいても政治に支障はない。術なしに御するなら、身を削ってやつれても、何の役にも立たない。」楚王が田鳩に言った。「墨子は名高い学派の祖だ。その身の行いは立派だが、言葉が多いのに雄弁でないのはなぜか。」田鳩は言った。「昔、秦の君主が娘を晋の公子に嫁がせたとき、晋のために支度を飾り立てさせ、美しい衣を着た侍女七十人を付き従わせました。晋に着くと、晋の人々は侍女のほうを愛して、公女を軽んじました。これは侍女を嫁がせるのがうまかったとは言えても、娘を嫁がせるのがうまかったとは言えません。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲說左上第三十二名に信なれば、則ち群臣職を守り、善悪踰えず、百事怠らず。事に信なれば、則ち天の時を失はず、百姓踰えず。義に信なれば、則ち近親勧勉して遠き者之に帰す。」呉起出でて、故人に遇ひて之を止めて食せしむ。故人曰く、「諾、今返りて御せん。」呉子曰く、「公を待ちて食せん。」故人暮に至るも来らず、起食せずして之を待つ。明日早く、人をして故人を求めしむ。故人来り、方に之と食す。魏の文侯虞人と猟を期す。明日、会ま天疾風す、左右文侯を止む、聴かず、曰く、「風疾きの故を以て信を失ふべからず、吾為さざるなり。」遂に自ら車を駆りて往き、風を犯して虞人を罷む。曾子の妻市に之く、其の子之に随ひて泣く。其の母曰く、「女還れ、顧反して女の為に彘を殺さん。」適ま市より来る、曾子彘を捕へて之を殺さんと欲す。妻之を止めて曰く、「特だ嬰児と戯るるのみ。」
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『韓非子』外儲說左下第三十三一。罪を以て誅を受くれば、人上を怨まず、跀危子皐を生かす。功を以て賞を受くれば、臣君を徳とせず、翟璜右契を操りて軒に乗る。襄王知らず、故に昭卯五乗にして屩を履む。上任を過さず、臣能を誣ひざれば、即ち臣将に夫の少室周と為らんとす。二。勢を恃みて信を恃まず、故に東郭牙管仲を議す。術を恃みて信を恃まず、故に渾軒文公を非る。故に有術の主は、賞を信にして以て能を尽くさしめ、罰を必にして以て邪を禁ず、駮行有りと雖も、必ず利する所を得。簡主の陽虎に相たらしむる、哀公の一足を問ふ。三。臣主の理を失へば、則ち文王自ら履きて矜る。朝燕の処を易へざれば、則ち季孫終身荘にして賊に遇ふ。四。禁ずる所を利し、利する所を禁ずれば、神と雖も行はれず。罪する所を誉め、賞する所を毀れば、堯と雖も治まらず。夫れ門を為りて入らしめず、利を委ねて進ましめざるは、乱の産ずる所以なり。斉侯左右を聴かず、魏主誉むる者を聴かずして、明察羣臣を照らせば、則ち鉅も金銭を費さず、孱も璧を用ひず。西門豹復た鄴を治めんことを請ふ、以て之を知るに足る。猶ほ盗嬰児の裘を矜ると跀危子の衣を栄とするがごとし。子綽左右に画く、蟻を去り蠅を駆る。安んぞ桓公の官を索むるを憂ふると宣主の馬を臞するを患ふること無きを得んや。五。臣卑倹を以て行ひと為せば、則ち爵以て賞を観すに足らず。寵光節無ければ、則ち臣下侵偪す。説は苗賁皇の献伯を非り、孔子の晏嬰を議するに在り。故に仲尼管仲と孫叔敖とを論ず。而して出入の容変ずるは、陽虎の言其の臣を見るなり。而して簡主の人臣に応ずるや主術を失ふ。朋党相和し、臣下欲を得れば、則ち人主孤なり。羣臣公に挙げ、下相和せざれば、則ち人主明なり。陽虎将に趙武の賢、解狐の公と為らんとす、而して簡主以て枳棘と為す、国に教ふる所以に非ざるなり。六。公室卑ければ則ち直言を忌み、私行勝てば則ち公功少なし。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二先王の言、其の為す所小にして世之を大と意ふ有り、其の為す所大にして世之を小と意ふ有り、未だ必ずしも知るべからざるなり。説は宋人の書を解すると梁人の記を読むとに在り。故に先王に郢書有りて、後世に燕説多し。夫れ国事に適はずして先王を謀るは、皆帰りて度を取る者なり。四。利の在る所、民之に帰し、名の彰るる所、士之に死す。是を以て功法に外れて賞加はれば、則ち上下に利する所を得ること能はず。名法に外れて誉加はれば、則ち士名を勧めて之を君に畜はれず。故に中章・胥己仕へて、中牟の民田圃を棄てて文学に随ふ者邑の半ばなり。平公腓痛み足痺れて敢て坐を壊らず、晋国の仕を辞して託する者国の錘なり。此の三士は、言法に襲へば、則ち官府の籍なり。行事に中れば、則ち令の如きの民なり、二君の礼太だ甚し。若し言法を離れて行功に遠ければ、則ち縄外の民なり、二君又何ぞ之を礼せん。之を礼すれば当に亡ぶべし。且つ居学の士は、国事無ければ力を用ひず、難有れば甲を被らず。之を礼すれば、則ち耕戦の功を脩むるに惰る。礼せざれば、則ち主上の法を害す。国安ければ則ち尊顕し、危ければ則ち屈公の威と為る、人主奚ぞ居学の士に得んや。故に明主李疵の中山を視るを論ず。五。詩に曰く、「躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。」傅之に説くに衣紫無きを以てし、之を援くに鄭簡・宋襄を以てし、之を責むるに耕戦を尊厚するを以てす。夫れ分を明らかにせず、誠を責めずして、躬親を以て下に位し、且つ下走・睡臥を為し、夫の揜弊・微服と与にす。孔丘知らず、故に猶ほ盂のごとしと称す。鄒君知らず、故に先づ自ら僇す。明主の道は、叔向の猟を賦すると昭侯の奚ぞ聴かんとの如し。六。小信成れば則ち大信立つ、故に明主は信を積む。
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『韓非子』外儲說左上第三十二孔子曰く、「人君為る者は猶ほ盂のごときなり、民は猶ほ水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり。」鄒君長纓を服することを好み、左右皆長纓を服す、纓甚だ貴し。鄒君之を患ひ、左右に問ふ、左右曰く、「君服することを好めば、百姓亦多く服す、是を以て貴し。」君因りて先づ自ら其の纓を断ちて出づ、国中皆長纓を服せず。君下令して百姓の為に服度を為して以て之を禁ずること能はず、纓を断ちて出でて以て民に先んじて示す、是れ先づ戮して以て民に蒞むなり。叔向猟を賦す、功多き者は多きを受け、功少き者は少きを受く。韓の昭侯申子に謂ひて曰く、「法度甚だ行ひ易からざるなり。」申子曰く、「法は、功を見て賞を与へ、能に因りて官を受く。今君法度を設けて左右の請を聴く、此れ行ひ難き所以なり。」昭侯曰く、「吾今より以来法を行ふを知れり、寡人奚ぞ聴かん。」一日、申子其の従兄を官に仕へしめんことを請ふ。昭侯曰く、「子に学ぶ所に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を敗らんか、亡た子の謁を用ひんか。」申子舎を辟けて罪を請ふ。六。晋の文公原を攻む、十日の糧を裹み、遂に大夫と十日を期す。原に至りて十日にして原下らず、金を撃ちて退き、兵を罷めて去る。士に原中より出づる者有り、曰く、「原三日にして即ち下らん。」群臣左右諫めて曰く、「夫れ原の食竭き力尽く、君姑く之を待て。」公曰く、「吾士と十日を期す、去らずんば、是れ吾が信を亡ふなり。原を得て信を失ふは、吾為さざるなり。」遂に兵を罷めて去る。原人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、帰する無かるべけんや。」乃ち公に降る。衛人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、従ふ無かるべけんや。」乃ち公に降る。孔子聞きて之を記して曰く、「原を攻めて衛を得たる者は、信なり。」文公箕鄭に問ひて曰く、「餓を救ふこと奈何。」対へて曰く、「信なり。」公曰く、「安んぞ信ならん。」曰く、「名に信に、事に信に、義に信なり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五子罕出彘と為り、田恒圃池と為る、故に宋君・簡公弑せらる。患は王良・造父の車を共にし、田連・成竅の琴を共にするに在るなり。二。治強は法に生じ、弱乱は阿に生ず、君此に明らかなれば、則ち賞罰を正して下に仁するに非ざるなり。爵禄は功に生じ、誅罰は罰に生ず、臣此に明らかなれば、則ち死力を尽くして君に忠なるに非ざるなり。君不仁に通じ、臣不忠に通ずれば、則ち以て王たる可し。昭襄は主の情を知りて五苑を発せず、田鮪は臣の情を知る故に田章に教へ、而して公儀は魚を辞す。三。明主なる者は、外に鑒みるなり、而して外事成らざるを得ず、故に蘇代斉王を非る。人主は上に鑒みるなり、而して居る者適はざれば顕れず、故に潘寿禹の情を言ふ。人主覚悟する所無し、方吾之を知る、故に衣を同じくし族を同じくするを恐る、而るを況んや権を借すをや。呉章之を知る、故に説くに佯を以てす、而るを況んや誠を借すをや。趙王虎目を悪みて壅がる。明主の道は、周の行人の衛侯を却くるが如きなり。四。人主なる者は、法を守り成を責めて以て功を立つる者なり。吏乱ると雖も独善の民有るを聞くも、乱民有りて独治の吏有るを聞かず、