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韓非子 / 內儲說下六微第三十一

乃令黎且以女樂六遺哀公,哀公樂之,果怠於政。仲尼諫,不聽,去而之楚。楚王謂干象曰:「吾欲以楚扶甘茂而相之秦,可乎?」干象對曰:「不可也。」王曰:「何也?」曰:「甘茂少而事史舉先生。史舉,上蔡之監門也,大不事君,小不事家,以苛刻聞天下。茂事之,順焉。惠王之明,張儀之辨也,茂事之,取十官而免於罪,是茂賢也。」王曰:「相人敵國而相賢,其不可何也?」干象曰:「前時王使邵滑之越,五年而能亡越。所以然者,越亂而楚治也。日者知用之越,今亡之秦,不亦太亟亡乎!」王曰:「然則爲之柰何?」干象對曰:「不如相共立。」王曰:「共立可相,何也?」對曰:「共立少見愛幸,長爲貴卿,被王衣,含杜若,握玉環,以聽於朝,且利以亂秦矣。」吳政荆,子胥使人宣言於荆曰:「子期用,將擊之;子常用,將去之。」荆人聞之,因用子常而退子期也。吳人擊之,遂勝之。晉獻公伐虞、虢,乃遺之屈産之乘,垂棘之璧,女樂六,以榮其意而亂其政。叔向之讒萇弘也,爲書曰:「萇弘謂叔向曰:『子爲我謂晉君,所與君期者,時可矣,何不亟以兵來?』」因佯遺其書周君之庭而急去行。周以萇弘爲賣周也,乃誅萇弘而殺之。

新字:乃令黎且以女楽六遺哀公,哀公楽之,果怠於政。仲尼諫,不聴,去而之楚。楚王謂干象曰:「吾欲以楚扶甘茂而相之秦,可乎?」干象対曰:「不可也。」王曰:「何也?」曰:「甘茂少而事史舉先生。史舉,上蔡之監門也,大不事君,小不事家,以苛刻聞天下。茂事之,順焉。恵王之明,張儀之弁也,茂事之,取十官而免於罪,是茂賢也。」王曰:「相人敵国而相賢,其不可何也?」干象曰:「前時王使邵滑之越,五年而能亡越。所以然者,越乱而楚治也。日者知用之越,今亡之秦,不亦太亟亡乎!」王曰:「然則為之柰何?」干象対曰:「不如相共立。」王曰:「共立可相,何也?」対曰:「共立少見愛幸,長為貴卿,被王衣,含杜若,握玉環,以聴於朝,且利以乱秦矣。」呉政荆,子胥使人宣言於荆曰:「子期用,将撃之;子常用,将去之。」荆人聞之,因用子常而退子期也。呉人撃之,遂勝之。晋献公伐虞、虢,乃遺之屈産之乗,垂棘之璧,女楽六,以栄其意而乱其政。叔向之讒萇弘也,為書曰:「萇弘謂叔向曰:『子為我謂晋君,所与君期者,時可矣,何不亟以兵来?』」因佯遺其書周君之庭而急去行。周以萇弘為売周也,乃誅萇弘而殺之。

書き下し

乃ち黎且をして女楽六を以て哀公に遺らしむ、哀公之を楽しみ、果して政を怠る。仲尼諫む、聴かず、去りて楚に之く。楚王干象に謂ひて曰く、「吾楚を以て甘茂を扶けて之を秦に相とせんと欲す、可ならんか。」干象対へて曰く、「不可なり。」王曰く、「何ぞや。」曰く、「甘茂少くして史挙先生に事ふ。史挙は、上蔡の監門なり、大は君に事へず、小は家に事へず、苛刻を以て天下に聞ゆ。茂之に事へて、順ふ。恵王の明、張儀の弁なるも、茂之に事へて、十官を取りて罪を免る、是れ茂賢なり。」王曰く、「人を敵国に相として相賢なるは、其の不可なるは何ぞや。」干象曰く、「前時王邵滑をして越に之かしむ、五年にして能く越を亡ぼす。然る所以の者は、越乱れて楚治まればなり。日者之を越に用ふるを知り、今之を秦に亡る、亦太だ亟やかに亡るにあらずや。」王曰く、「然らば則ち之を為すこと奈何。」干象対へて曰く、「共立を相とするに如かず。」王曰く、「共立相とすべきは、何ぞや。」対へて曰く、「共立少くして愛幸せられ、長じて貴卿と為る、王の衣を被り、杜若を含み、玉環を握り、以て朝に聴く、且つ利にして以て秦を乱さん。」呉荊を攻む、子胥人をして荊に宣言せしめて曰く、「子期用ひられなば、将に之を撃たんとす。子常用ひられなば、将に之を去らんとす。」荊人之を聞き、因りて子常を用ひて子期を退くるなり。呉人之を撃ち、遂に之に勝つ。晋の献公虞・虢を伐たんとし、乃ち之に屈産の乗、垂棘の璧、女楽六を遺り、以て其の意を栄にして其の政を乱す。叔向の萇弘を讒するや、書を為りて曰く、「萇弘叔向に謂ひて曰く、子我が為に晋君に謂へ、君と期する所の者は、時可なり、何ぞ亟やかに兵を以て来らざる、と。」因りて佯りて其の書を周君の庭に遺して急ぎ去り行く。周萇弘を以て周を売ると為し、乃ち萇弘を誅して之を殺す。

現代語訳

そこで黎且に歌舞の女六人を魯の哀公へ贈らせた。哀公はこれを楽しみ、案の定政治を怠った。孔子は諫めたが聞き入れられず、魯を去って楚に行った。楚王が干象に言った。「私は楚の力で甘茂を後押しして秦の宰相にしたいと思う。よいだろうか。」干象は「いけません」と答えた。王が「なぜか」と言うと、干象は言った。「甘茂は若いころ史挙先生に仕えました。史挙は上蔡の門番で、大きくは君主に仕えず、小さくは家にも仕えず、厳しく容赦ないことで天下に知られていました。甘茂はその人に仕えて、よく従いました。秦の恵王は明察で、張儀は弁舌に優れていましたが、甘茂はその二人に仕えて十の官職を得ながら罪に問われませんでした。つまり甘茂は賢いのです。」王が「敵国の宰相に据える人物が賢いのに、なぜいけないのか」と言うと、干象は言った。「以前、王は邵滑を越に行かせ、五年で越を滅ぼすことができました。そうなったのは、越が乱れ楚が治まっていたからです。あのときは越にその手を使うことを知っていたのに、今は秦に対してそれを忘れておられる。あまりに早く忘れすぎではありませんか。」王が「それではどうすればよいか」と言うと、干象は「共立を宰相にさせるのが一番です」と答えた。王が「共立を宰相にするのがよいのはなぜか」と言うと、干象は答えた。「共立は若いころから寵愛され、成長して高位の卿となりました。王の衣を着て、香草の杜若を口に含み、玉の環を握って朝廷で政務を聞いています。しかも(そういう人物を宰相にすれば)楚に都合よく、秦を乱すことができます。」呉が楚を攻めたとき、伍子胥は人をやって楚にこう言いふらさせた。「子期が用いられれば攻め込むが、子常が用いられれば引き揚げる。」楚の人々はこれを聞いて、子常を用い子期を退けた。呉はそこで楚を攻め、ついに勝った。晋の献公は虞と虢を討とうとして、屈の地に産する名馬、垂棘の璧玉、歌舞の女六人を贈り、その心を得意にさせて政治を乱した。晋の叔向が周の萇弘を陥れたとき、偽の手紙を作ってこう書いた。「萇弘が叔向に言う。私のために晋君に伝えてほしい。君と約束した件は、もう時機が来ている。どうして早く兵を率いて来ないのか。」そしてわざとその手紙を周の君の庭に落として急いで立ち去った。周は萇弘が周を売ったと思い、萇弘を誅殺した。

解説

「廃置」の説話の続きで、敵国の人事や判断を外から操る工作が並びます。干象は、賢い甘茂を秦の宰相にすれば秦が強くなるだけだと見抜き、寵愛で出世した貴公子を推すよう王に勧めました。伍子胥の噂で楚が有能な子期を退けた話、晋の献公が名馬と璧で虞と虢を油断させた話は、『左伝』にも見える「仮途滅虢」の故事です。叔向の偽手紙は、確かめようのない証拠で忠臣を消させる手口でした。韓非の論点は、敵が勧める人事、敵が恐れてみせる人物こそ疑えということです。取引先や競合が特定の人物を持ち上げたり貶めたりするとき、それが誰の得になるのかを考える視点は今も役に立ちます。

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