韓非子 / 喻老第二十一
周有玉版,紂令膠鬲索之,文王不予;費仲來求,因予之。是膠鬲賢而費仲無道也。周惡賢者之得志也,故予費仲。文王舉太公於渭濵者,貴之也;而資費仲玉版者,是愛之也。故曰:「不貴其師,不愛其資,雖知大迷,是謂要妙。」
新字:周有玉版,紂令膠鬲索之,文王不予;費仲来求,因予之。是膠鬲賢而費仲無道也。周悪賢者之得志也,故予費仲。文王舉太公於渭浜者,貴之也;而資費仲玉版者,是愛之也。故曰:「不貴其師,不愛其資,雖知大迷,是謂要妙。」
書き下し
周に玉版有り、紂、膠鬲をして之を索めしむるも、文王予へず。費仲来り求むれば、因りて之を予ふ。是れ膠鬲は賢にして費仲は無道なればなり。周、賢者の志を得るを悪む、故に費仲に予ふ。文王の太公を渭浜に挙ぐるは、之を貴ぶなり。而して費仲に玉版を資するは、是れ之を愛するなり。故に曰く、「其の師を貴ばず、其の資を愛せずんば、知ると雖も大いに迷ふ、是を要妙と謂ふ」と。
現代語訳
周に宝の玉版があった。殷の紂王は膠鬲を使者としてそれを求めさせたが、(周の)文王は与えなかった。ところが費仲が来て求めると、すぐに与えた。これは膠鬲が賢者で、費仲が道にはずれた者だったからである。周は、(殷の)賢者が志を得て重用されることを嫌ったので、費仲に与えたのである。文王が太公望を渭水のほとりから登用したのは彼を貴んだからであり、費仲に玉版を与えたのは彼を大事にした(殷の中で力を持たせたかった)からである。だから(老子は)「その師を貴ばず、その資けを大事にしなければ、知恵があっても大いに迷う。これを要妙という」と言うのである。
解説
喩老篇の結びで、周の文王が殷に仕掛けた人事工作の話です。紂王の使者のうち、賢臣の膠鬲には宝を渡さず、佞臣の費仲には渡しました。費仲に手柄を立てさせて殷の宮廷で重く用いられるようにし、賢者を干すためです。韓非は老子の「善人は不善人の師、不善人は善人の資」を、自国では賢者を師として貴び、敵国では愚か者を資けとして大事にする、という戦略に読み替えます。相手の組織の中で誰を勝たせるかまで考えるという、冷徹な術の発想です。交渉や競争の場で、相手方の誰に手柄を渡すかが、相手組織の力を左右しうることを示しています。
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