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韓非子 / 內儲說下六微第三十一

「能舉大事乎?」曰:「能。」於是乃起宿營之甲而攻成王。成王請食熊膰而死,不許,遂自殺。韓廆相韓哀侯,嚴遂重於君,二人甚相害也。嚴遂乃令人刺韓廆於朝,韓廆走君而抱之,遂刺韓廆而兼哀侯。田恒相齊,闞止重於簡公,二人相憎而欲相賊也。田恒因行私惠以取其國,遂殺簡公而奪之政。戴驩爲宋太宰,皇喜重於君,二人争事而相害也,皇喜遂殺宋君而奪其政。狐突曰:「國君好内則太子危,好外則相室危。」鄭君問鄭昭曰:「太子亦何如?」對曰:「太子未生也。」君曰:「太子已置而曰『未生』,何也?」對曰:「太子雖置,然而君之好色不已,所愛有子,君必愛之,愛之則必欲以爲後,臣故曰『太子未生』也。」六。文王資費仲而遊於紂之旁,令之諫紂而亂其心。荆王使人之秦,秦王甚禮之。王曰:「敵國有賢者,國之憂也。今荆王之使者甚賢,寡人患之。」羣臣諫曰:「以王之賢聖與國之資厚,願荆王之賢人,王何不深知之而陰有之。荆以爲外用也,則必誅之。」仲尼爲政於魯,道不拾遺,齊景公患之。黎且謂景公曰:「去仲尼猶吹毛耳。君何不迎之以重祿高位,遺哀公女樂以驕榮其意。哀公新樂之,必怠於政,仲尼必諫,諫必輕絶於魯。」景公曰:「善。」

新字:「能舉大事乎?」曰:「能。」於是乃起宿営之甲而攻成王。成王請食熊膰而死,不許,遂自殺。韓廆相韓哀侯,厳遂重於君,二人甚相害也。厳遂乃令人刺韓廆於朝,韓廆走君而抱之,遂刺韓廆而兼哀侯。田恒相斉,闞止重於簡公,二人相憎而欲相賊也。田恒因行私恵以取其国,遂殺簡公而奪之政。戴驩為宋太宰,皇喜重於君,二人争事而相害也,皇喜遂殺宋君而奪其政。狐突曰:「国君好内則太子危,好外則相室危。」鄭君問鄭昭曰:「太子亦何如?」対曰:「太子未生也。」君曰:「太子已置而曰『未生』,何也?」対曰:「太子雖置,然而君之好色不已,所愛有子,君必愛之,愛之則必欲以為後,臣故曰『太子未生』也。」六。文王資費仲而遊於紂之旁,令之諫紂而乱其心。荆王使人之秦,秦王甚礼之。王曰:「敵国有賢者,国之憂也。今荆王之使者甚賢,寡人患之。」羣臣諫曰:「以王之賢聖与国之資厚,願荆王之賢人,王何不深知之而陰有之。荆以為外用也,則必誅之。」仲尼為政於魯,道不拾遺,斉景公患之。黎且謂景公曰:「去仲尼猶吹毛耳。君何不迎之以重禄高位,遺哀公女楽以驕栄其意。哀公新楽之,必怠於政,仲尼必諫,諫必軽絶於魯。」景公曰:「善。」

書き下し

「能く大事を挙げんか。」曰く、「能くす。」是に於て乃ち宿営の甲を起して成王を攻む。成王熊膰を食ひて死せんことを請ふ、許さず、遂に自殺す。韓廆韓の哀侯に相たり、厳遂君に重し、二人甚だ相害す。厳遂乃ち人をして韓廆を朝に刺さしむ、韓廆走りて君を抱く、遂に韓廆を刺して哀侯を兼ぬ。田恒斉に相たり、闞止簡公に重し、二人相憎みて相賊せんと欲す。田恒因りて私恵を行ひて以て其の国を取り、遂に簡公を殺して之が政を奪ふ。戴驩宋の太宰と為り、皇喜君に重し、二人事を争ひて相害す、皇喜遂に宋君を殺して其の政を奪ふ。狐突曰く、「国君内を好めば則ち太子危く、外を好めば則ち相室危し。」鄭君鄭昭に問ひて曰く、「太子亦何如。」対へて曰く、「太子未だ生れざるなり。」君曰く、「太子已に置きて未だ生れずと曰ふは、何ぞや。」対へて曰く、「太子置かると雖も、然れども君の色を好むこと已まず、愛する所子有らば、君必ず之を愛せん、之を愛すれば則ち必ず以て後と為さんと欲せん、臣故に太子未だ生れずと曰ふなり。」六。文王費仲に資して紂の旁に遊ばしめ、之をして紂を諫めて其の心を乱さしむ。荊王人をして秦に之かしむ、秦王甚だ之を礼す。王曰く、「敵国に賢者有るは、国の憂ひなり。今荊王の使者甚だ賢なり、寡人之を患ふ。」群臣諫めて曰く、「王の賢聖と国の資厚きとを以てすれば、荊王の賢人を願ふ、王何ぞ深く之に知られて陰かに之を有せざる。荊以て外用と為さば、則ち必ず之を誅せん。」仲尼魯に政を為し、道に遺ちたるを拾はず、斉の景公之を患ふ。黎且景公に謂ひて曰く、「仲尼を去ること猶ほ毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を迎ふるに重禄高位を以てし、哀公に女楽を遺りて以て其の意を驕栄せしめざる。哀公新たに之を楽しまば、必ず政を怠らん、仲尼必ず諫めん、諫むれば必ず軽く魯に絶たん。」景公曰く、「善し。」

現代語訳

(潘崇が)「大事(反乱)を起こせますか」と言うと、(商臣は)「できる」と答えた。そこで宿衛の兵を動かして成王を攻めた。成王は熊の掌を食べてから死にたいと願ったが許されず、ついに自殺した。韓廆は韓の哀侯の宰相であり、厳遂は君に重んじられていて、二人はひどく憎み合っていた。厳遂は人をやって朝廷で韓廆を刺させた。韓廆が逃げて君に抱きつくと、刺客はそのまま韓廆を刺し、哀侯までも刺した。田恒(田常)は斉の宰相であり、闞止は簡公に重んじられていて、二人は憎み合い、殺し合おうとしていた。田恒は私的に恩恵を施して国の人心をつかみ、ついに簡公を殺して政権を奪った。戴驩は宋の太宰となり、皇喜は君に重んじられていて、二人は政務を争って傷つけ合った。皇喜はついに宋君を殺して政権を奪った。狐突は言った。「国君が奥向き(女色)を好めば太子が危うくなり、外向き(寵臣)を好めば宰相が危うくなる。」鄭の君が鄭昭に「太子はどうか」と尋ねた。鄭昭は「太子はまだ生まれておりません」と答えた。君が「太子はもう立てたのに、まだ生まれていないとはどういうことか」と言うと、鄭昭は答えた。「太子を立てられたとはいえ、君の女色好みは止みません。寵愛する女に子ができれば、君は必ずその子をかわいがり、かわいがれば必ず跡継ぎにしたくなるでしょう。ですから私は、太子はまだ生まれていないと申したのです。」(ここから説六。)周の文王は費仲に資金を与えて殷の紂王のそばに仕えさせ、紂王に進言させてその心を乱させた。楚王が秦に使者を送ると、秦王はその使者を厚くもてなした。秦王は言った。「敵国に賢者がいるのは、こちらの国の憂いだ。今、楚王の使者はたいそう賢い。私はそれが気がかりだ。」群臣が諫めて言った。「王の賢明さと国の豊かさをもってすれば、楚王の賢臣を味方にすることもできます。王はどうして彼と深く親しんで、ひそかに味方につけないのですか。楚が彼を外国のために働く者だとみなせば、必ず誅殺するでしょう。」孔子が魯で政治を行うと、道に落ちている物を拾う者もいないほどになった。斉の景公はそれを憂えた。黎且が景公に言った。「孔子を魯から去らせるのは、毛を吹き飛ばすようにたやすいことです。君はどうして手厚い俸禄と高い地位で孔子を招き、魯の哀公に歌舞の女たちを贈って、その心をおごり高ぶらせないのですか。哀公が新しい楽しみにふければ、必ず政治を怠ります。孔子は必ず諫めるでしょうし、諫めれば必ずあっさりと魯を見限るでしょう。」景公は「よかろう」と言った。

解説

前半は「参疑」の説話の結びです。宰相と寵臣が並び立った韓・斉・宋では、いずれも君主まで殺されました。狐突と鄭昭の言葉は、君主の好みそのものが後継と宰相の地位を不安定にするという洞察で、太子を立てても君主の愛情が移ろえば「まだ生まれていない」に等しいと言い切ります。「六」からは経六「廃置」の説話で、敵国の人事に手を入れる工作が並びます。孔子が魯を去った経緯は『史記』孔子世家では定公の時の出来事とされ、ここで哀公とするのは伝えの違いです。競合相手の優秀な人材を引き抜いたり、評判を落としたりする手口は今もあり、自社の人事が外から揺さぶられていないかを見る目が要ります。

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