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韓非子 / 內儲說上七術第三十

人爭徙之。乃下令曰:「明日且攻亭,有能先登者,仕之國大夫,賜之上田宅。」人爭趨之。於是攻亭,一朝而拔之。李悝爲魏文侯上地之守,而欲人之善射也,乃下令曰:「人之有狐疑之訟者,令之射的,中之者勝,不中者負。」令下而人皆疾習射,日夜不休。及與秦人戰,大敗之,以人之善戰射也。宋崇門之巷人服喪而毁甚瘠,上以爲慈愛於親,舉以爲官師。明年,人之所以毁死者歲十餘人。子之服親喪者,爲愛之也,而尚可以賞勸也,況君上之於民乎!越王慮伐吳,欲人之輕死也,出見怒鼃,乃爲之式。從者曰:「奚敬於此?」王曰:「爲其有氣故也。」明年之請以頭獻王者歲十餘人。由此觀之,譽之足以殺人矣。一曰:越王勾踐見怒鼃而式之。御者曰:「何爲式?」王曰:「鼃有氣如此,可無爲式乎?」士人聞之曰:「鼃有氣,王猶爲式,況士人有勇者乎!」是歲,人有自剄死以其頭獻者。故越王將復吳而試其教:燔臺而鼓之,使民赴火者,賞在火也;臨江而鼓之,使人赴水者,賞在水也;臨戰而使人絶頭刳腹而無顧心者,賞在兵也。又況據法而進賢,其勸甚此矣。

新字:人争徙之。乃下令曰:「明日且攻亭,有能先登者,仕之国大夫,賜之上田宅。」人争趨之。於是攻亭,一朝而抜之。李悝為魏文侯上地之守,而欲人之善射也,乃下令曰:「人之有狐疑之訟者,令之射的,中之者勝,不中者負。」令下而人皆疾習射,日夜不休。及与秦人戦,大敗之,以人之善戦射也。宋崇門之巷人服喪而毀甚瘠,上以為慈愛於親,舉以為官師。明年,人之所以毀死者歳十余人。子之服親喪者,為愛之也,而尚可以賞勧也,況君上之於民乎!越王慮伐呉,欲人之軽死也,出見怒鼃,乃為之式。従者曰:「奚敬於此?」王曰:「為其有気故也。」明年之請以頭献王者歳十余人。由此観之,誉之足以殺人矣。一曰:越王勾践見怒鼃而式之。御者曰:「何為式?」王曰:「鼃有気如此,可無為式乎?」士人聞之曰:「鼃有気,王猶為式,況士人有勇者乎!」是歳,人有自剄死以其頭献者。故越王将復呉而試其教:燔台而鼓之,使民赴火者,賞在火也;臨江而鼓之,使人赴水者,賞在水也;臨戦而使人絶頭刳腹而無顧心者,賞在兵也。又況拠法而進賢,其勧甚此矣。

書き下し

人争ひて之を徙す。乃ち令を下して曰く、「明日且に亭を攻めんとす。能く先に登る者有らば、之を国大夫に仕へしめ、之に上田宅を賜はん」と。人争ひて之に趨く。是に於て亭を攻め、一朝にして之を抜く。李悝、魏の文侯の為に上地の守と為りて、人の善く射んことを欲す。乃ち令を下して曰く、「人の狐疑の訟有る者は、之をして的を射しめ、之に中つる者は勝ち、中てざる者は負けん」と。令下りて人皆疾く射を習ひ、日夜休まず。秦人と戦ふに及び、大いに之を敗る、人の善く戦射するを以てなり。宋の崇門の巷人、喪に服して毀して甚だ瘠す。上以て親に慈愛なりと為し、挙げて以て官師と為す。明年、人の毀を以て死する所の者、歳に十余人。子の親の喪に服する者は、之を愛するが為なり、而るに尚ほ賞を以て勧むべきなり、況んや君上の民に於けるをや。越王、呉を伐たんことを慮り、人の死を軽んぜんことを欲す。出でて怒鼃を見て、乃ち之が為に式す。従者曰く、「奚ぞ此を敬する」と。王曰く、「其の気有るが為の故なり」と。明年の頭を以て王に献ぜんことを請ふ者、歳に十余人。此に由りて之を観れば、誉は以て人を殺すに足る。一に曰く、越王勾践、怒鼃を見て之に式す。御者曰く、「何為れぞ式する」と。王曰く、「鼃に気有ること此の如し、式すること無かるべけんや」と。士人之を聞きて曰く、「鼃に気有れば、王猶ほ式を為す、況んや士人の勇有る者をや」と。是の歳、人に自剄して死し、其の頭を以て献ずる者有り。故に越王将に呉に復せんとして其の教へを試む。台を燔きて之を鼓し、民をして火に赴かしむる者は、賞火に在ればなり。江に臨みて之を鼓し、人をして水に赴かしむる者は、賞水に在ればなり。戦に臨みて人をして頭を絶ち腹を刳きて顧みる心無からしむる者は、賞兵に在ればなり。又況んや法に拠りて賢を進むれば、其の勧むること此より甚だし。

現代語訳

(呉起が車の轅を北門の外に立てかけ、「これを南門の外に移した者には上等の田と家を与える」と布告すると、はじめは誰も移さなかったが、移した者に本当に褒美を与えると)人々は争って(次に置かれた赤豆の石を)移した。そこで命令を下した。「明日、砦を攻める。真っ先に城壁に登った者は、国の大夫に取り立て、上等の田と家を与える」。人々は争って駆けつけた。そこで砦を攻めると、一朝で落とした。李悝は魏の文侯のために上地の長官となり、人々に弓がうまくなってほしいと思った。そこで命令を下した。「どちらとも決めがたい訴訟があれば、当事者に的を射させ、当てた者を勝ちとし、外した者を負けとする」。命令が下ると、人々はみな急いで弓を習い、昼も夜も休まなかった。秦と戦うに及んで大いに打ち破ったのは、人々が戦いの弓射に長じていたからである。宋の崇門という町の人が、親の喪に服してひどくやせ衰えた。お上はこれを親に対して慈愛深いとして、取り立てて役人の長にした。翌年、喪に服してやせ衰えて死ぬ者が、一年に十人余りも出た。子が親の喪に服するのは、親を愛しているからである。それでもなお賞によって励ますことができる。まして君主が民に対するときはなおさらである。越王は呉を討つことを考え、人々に死を恐れないようになってほしいと思った。外出したとき、怒って腹をふくらませている蛙を見て、車の上で敬礼した。従者が「なぜこんなものに敬意を払われるのですか」と尋ねると、王は「気概があるからだ」と答えた。翌年、自分の首を王に献上したいと願い出る者が、一年に十人余りもいた。このことから見れば、褒め言葉は人を死なせるほどの力がある。別の伝えでは、越王勾践が怒った蛙を見て敬礼した。御者が「なぜ敬礼なさるのですか」と尋ねると、王は「蛙でさえこれほどの気概がある。敬礼せずにいられようか」と言った。士人たちはそれを聞いて、「蛙に気概があるだけで、王はそれでも敬礼なさる。まして勇気のある士ならなおさらだ」と言った。その年、自ら首をはねて死に、その首を献上する者が出た。そこで越王は呉に報復しようとして、その教えを試した。楼台を焼いて太鼓を打ち、民を火に向かわせたのは、賞が火の中にあったからである。大河に臨んで太鼓を打ち、人を水に向かわせたのは、賞が水の中にあったからである。戦いに臨んで、人に首を断たれ腹を裂かれても顧みない心を持たせたのは、賞が戦いの中にあったからである。まして法に基づいて賢者を登用するなら、その励みはこれよりはるかに大きい。

解説

賞誉の術の説話が続きます。冒頭は、呉起が車の轅を移した者に約束どおり褒美を与えて信を示し、砦を一朝で落とした話の結びで、商鞅の「移木の信」と同じ趣旨です。李悝は判断のつかない訴訟を弓の的当てで決め、民を弓の名手に変えました。宋の崇門の話と越王の蛙の話は、賞や褒め言葉には、喪で死ぬ者や首を献じる者が出るほどの力があることを示しています。韓非は、賞誉の力の強さを説くと同時に、その恐ろしさも描いています。評価制度は人の行動を強く変えますが、何を評価するかを誤れば、人は体を壊すほど間違った方向に走ります。評価の対象は慎重に選ばなければなりません。

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