韓非子 / 說林下二十三
宫有堊,器有滌,則潔矣。行身亦然,無滌堊之地則寡非矣。公子糾將爲亂,桓公使使者視之。使者報曰:「笑不樂,視不見,必爲亂。」乃使魯人殺之。公孫弘斷髪而爲越王騎,公孫喜使人絶之,曰:「吾不與子爲昆弟矣。」公孫弘曰:「我斷髪,子斷頸而爲人用兵,我將謂子何?」周南之戰,公孫喜死焉。有與悍者鄰,欲賣宅而避之。人曰:「是其貫將滿矣,子姑待之。」答曰:「吾恐其以我滿貫也。」遂去之。故曰:「物之幾者,非所靡也。」孔子謂弟子曰:「孰能導子西之釣名也?」子貢曰:「賜也能。」乃導之,不復疑也。孔子曰:「寛哉,不被於利!絜哉,民性有恒!曲爲曲,直爲直。」孔子曰:「子西不免。」白公之難,子西死焉。故曰:「直於行者曲於欲。」晉中行文子出亡,過於縣邑。從者曰:「此嗇夫,公之故人。
新字:宮有堊,器有滌,則潔矣。行身亦然,無滌堊之地則寡非矣。公子糾将為乱,桓公使使者視之。使者報曰:「笑不楽,視不見,必為乱。」乃使魯人殺之。公孫弘断髪而為越王騎,公孫喜使人絶之,曰:「吾不与子為昆弟矣。」公孫弘曰:「我断髪,子断頸而為人用兵,我将謂子何?」周南之戦,公孫喜死焉。有与悍者鄰,欲売宅而避之。人曰:「是其貫将満矣,子姑待之。」答曰:「吾恐其以我満貫也。」遂去之。故曰:「物之幾者,非所靡也。」孔子謂弟子曰:「孰能導子西之釣名也?」子貢曰:「賜也能。」乃導之,不復疑也。孔子曰:「寛哉,不被於利!絜哉,民性有恒!曲為曲,直為直。」孔子曰:「子西不免。」白公之難,子西死焉。故曰:「直於行者曲於欲。」晋中行文子出亡,過於県邑。従者曰:「此嗇夫,公之故人。
書き下し
宮に堊有り、器に滌有れば、則ち潔し。身を行ふも亦然り。滌堊の地無ければ則ち非寡なし。公子糾将に乱を為さんとす。桓公、使者をして之を視しむ。使者報じて曰く、「笑ふも楽しまず、視るも見ず、必ず乱を為さん」と。乃ち魯人をして之を殺さしむ。公孫弘、髪を断ちて越王の騎と為る。公孫喜、人をして之を絶たしめて曰く、「吾子と昆弟為らず」と。公孫弘曰く、「我は髪を断ち、子は頸を断ちて人の為に兵を用ふ、我将に子を何と謂はんとす」と。周南の戦に、公孫喜焉に死す。悍者と隣する有り、宅を売りて之を避けんと欲す。人曰く、「是れ其の貫将に満ちんとす、子姑く之を待て」と。答へて曰く、「吾其の我を以て貫を満たさんことを恐る」と。遂に之を去る。故に曰く、「物の幾き者は、靡くる所に非ざるなり」と。孔子、弟子に謂ひて曰く、「孰か能く子西の釣名を導かん」と。子貢曰く、「賜や能くす」と。乃ち之を導き、復た疑はざるなり。孔子曰く、「寛なるかな、利に被られず。絜なるかな、民性に恒有り。曲を曲と為し、直を直と為す」と。孔子曰く、「子西は免れじ」と。白公の難に、子西焉に死す。故に曰く、「行ひに直なる者は欲に曲がる」と。晋の中行文子出亡し、県邑に過る。従者曰く、「此の嗇夫は公の故人なり。
現代語訳
宮殿に白土を塗り、器を洗っておけば清潔である。身の行いもまた同じで、洗ったり塗り直したりする必要のあるところがなければ、過ちは少ない。公子糾が乱を起こそうとしていたとき、斉の桓公は使者に様子を探らせた。使者は報告して言った。「笑っても楽しそうでなく、見ていても目に入っていない様子です。必ず乱を起こします」。そこで魯の人に彼を殺させた。公孫弘は髪を切って越王の騎兵となった。兄の公孫喜は人をやって縁を切らせ、「わたしはもうお前と兄弟ではない」と言った。公孫弘は言った。「わたしは髪を切ったが、兄上は首を切られる覚悟で人のために兵を率いている。わたしは兄上を何と言えばよいのか」。周南の戦いで、公孫喜はそこで死んだ。乱暴者と隣り合わせに住む者がいて、家を売って避けようとした。ある人が「あいつの悪事の数はもうすぐ満ちて(罰せられる)。もうしばらく待ちなさい」と言うと、彼は「わたしは、あいつがわたしを最後の一つにして数を満たすのではないかと恐れるのです」と答え、とうとう立ち去った。だから「危険が迫っているものに、ぐずぐず留まってはならない」というのである。孔子が弟子に言った。「誰か子西の名声欲を正しく導ける者はいないか」。子貢が「わたしにできます」と言い、子西を導くと、子西はもう迷わなくなった。孔子は言った。「寛大なことだ、利に心を覆われない。清廉なことだ、人としての本性に常の筋がある。曲がったものを曲がったとし、真っすぐなものを真っすぐとする」。(しかし)孔子は「子西は(禍いを)免れまい」と言った。白公勝の乱で、子西はそこで死んだ。だから「行いが真っすぐな者は、(他人の)欲によって曲げられる」というのである。晋の中行文子が亡命して、ある県の町を通りかかった。従者が言った。「この町の役人はあなたの旧知の者です。
解説
関連する章句
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『韓非子』說林下二十三乃ち之を去る。果たして文子の後車二乗を収めて之を其の君に献ず。周趮、宮他に謂ひて曰く、「我が為に斉王に謂ひて曰へ、斉を以て我を魏に資けよ、請ふ魏を以て王に事へん、と」と。宮他曰く、「不可なり。是れ之に魏無きを示すなり。斉王必ず魏無き者を資けずして、以て魏有る者に怨まれん。公曰ふに如かず、『王の欲する所を以て、臣請ふ魏を以て王に聴かしめん』と。斉王必ず公を以て魏有りと為し、必ず公に因らん。是れ公斉有るなり、因りて以て斉・魏を有たん」と。白圭、宋の大尹の為に曰く、「君長じて自ら政を知らば、公事無からん。今君は少主なり、而して名を務む。荊をして君の孝を賀せしむるに如かず。則ち君、公の位を奪はず、大いに公を敬重せん。則ち公常に宋に用ひられん」と。管仲・鮑叔相謂ひて曰く、「君の乱甚だし、必ず国を失はん。斉国の諸公子の其の輔くべき者は、公子糾に非ずんば則ち小白なり。子と人ごとに一人に事へ、先に達する者相収めん」と。管仲乃ち公子糾に従ひ、鮑叔は小白に従ふ。国人果たして君を弑す。小白先に入りて君と為る。魯人、管仲を拘へて之を效す。鮑叔言ひて之を相とす。故に諺に曰く、「巫咸善く祝すと雖も、自ら祓ふこと能はず。秦医善く除くと雖も、自ら弾ずること能はず」と。管仲の聖を以てして鮑叔の助けを待つ、此れ鄙諺の所謂「虜自ら裘を売りて售れず、士自ら辯を誉めて信ぜられず」なる者なり。荊王、呉を伐つ。呉、沮衛・蹶融をして荊師を犒はしむ。而して将軍曰く、「之を縛れ、殺して以て鼓に釁らん」と。之に問ひて曰く、「汝来るに、卜せしか」と。答へて曰く、「卜せり」と。「卜は吉なりしか」と。曰く、「吉なり」と。荊人曰く、「今荊将に女を以て鼓に釁らんと欲す、其れ何ぞや」と。答へて曰く、「是れ故に其の吉なる所以なり。呉の臣をして来らしむるは、固より将軍の怒りを視んとてなり。将軍怒らば、将に溝を深くし塁を高くせんとす。将軍怒らずんば、将に懈怠せんとす。今や将軍臣を殺さば、則ち呉必ず警守せん。且つ国の卜は、一臣の為に卜するに非ず。
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『韓非子』說林下二十三恵子曰く、「羿、決を執り扞を持し、弓を操り機を関けば、越人も争ひて為に的を持つ。弱子弓を扜けば、慈母も室に入りて戸を閉づ」と。故に曰く、「必とすべくんば、則ち越人も羿を疑はず。必とすべからずんば、則ち慈母も弱子を逃る」と。桓公、管仲に問ふ、「富に涯有るか」と。答へて曰く、「水の涯を以てするは、其の水無き者なり。富の涯を以てするは、其の富已に足る者なり。人自ら足るに止まること能はずして、其の富の涯を亡ふか」と。宋の富賈に監止子なる者有り、人と百金の璞玉を争ひ買ふ。因りて佯りて失ひて之を毀ち、其の百金を負ひて、其の毀瑕を理め、千溢を得たり。事には之を挙げて敗有るも、其の之を挙ぐること毋きに賢る者有り、之を負ふの時なり。御を以て荊王に見えんと欲する者有り、衆騶之を妬む。因りて曰く、「臣能く鹿を撽つ」と。王に見ゆ。王、御を為して鹿に及ばず、自ら御して之に及ぶ。王其の御を善しとし、乃ち衆騶の之を妬むを言ふ。荊、公子をして将として陳を伐たしむ。丈人之を送りて曰く、「晋は彊し、慎まざるべからざるなり」と。公子曰く、「丈人奚ぞ憂へん。吾丈人の為に晋を破らん」と。丈人曰く、「可なり。吾方に陳の南門の外に廬せん」と。公子曰く、「是れ何ぞや」と。曰く、「我は勾践を笑ふなり。人の為すこと是の如く其れ易きに、己独り何為れぞ密密として十年難めるや」と。堯、天下を以て許由に譲る。許由之を逃れ、家人に舎る。家人其の皮冠を蔵す。夫れ天下を棄つるに、家人其の皮冠を蔵するは、是れ許由を知らざる者なり。三虱相与に訟ふ。一虱之に過りて曰く、「訟ふる者奚をか説く」と。三虱曰く、「肥饒の地を争ふ」と。一虱曰く、「若も亦臘の至りて茅の燥くを患へざるのみ。若又奚ぞ是を患へん」と。乃ち相与に聚まりて其の母を嘬ひて之を食ふ。彘臞せて、人乃ち殺さず。虫に螝なる者有り、一身両口、食を争ひて相齕む。遂に相殺し、因りて自ら殺す。人臣の事を争ひて其の国を亡ぼす者は、皆螝の類なり。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一左右に私かに善からざる者有り、乃ち之が為に王に請ひて曰く、「公子甚だ貧しく、馬甚だ痩す、王何ぞ之に馬食を益さざる。」王許さず。左右因りて微かに夜芻廐を焼かしむ。王以て賤公子と為すや、乃ち之を誅す。魏に老儒有りて済陽君に善からず。客に老儒と私怨有る者有り、因りて老儒を攻めて之を殺し、以て済陽君に徳として曰く、「臣其の君に善からざるが為なり、故に君の為に之を殺せり。」済陽君因りて察せずして之を賞す。一に曰く、済陽君に少庶子有り、知られずして君に愛を入れんと欲する者有り。斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、済陽の少庶子以て功と為さんと欲し、入りて君に見えて曰く、「斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、名は薬を掘るなるも、実は君の国を間するなり。君之を殺さずんば、是れ将に済陽君を以て罪を斉に抵さんとす。臣請ふ之を刺さん。」君曰く、「可なり。」是に於て明日之を城陰に得て之を刺す、済陽君還りて益ます之を親しむ。四。陳需は、魏王の臣なり、荊王に善し、而して荊をして魏を攻めしむ。荊魏を攻む、陳需因りて魏王の為に行きて之を解かんことを請ひ、因りて荊の勢を以て魏に相たり。韓の昭侯の時、黍種嘗て貴きこと甚し。昭侯人をして廩を覆さしむ、吏果して黍種を竊みて之を糶ること甚だ多し。昭奚恤の荊に用ひらるるや、倉廥窌を焼く者有りて其の人を知らず。昭奚恤吏をして茅を販ぐ者を執へて之を問はしむ、果して焼けり。昭僖侯の時、宰人食を上るに羹中に生肝有り、昭侯宰人の次を召して之を誚めて曰く、「若何為れぞ生肝を寡人の羹中に置く。」宰人頓首して死罪に服して曰く、「竊かに尚宰人を去らんと欲するなり。」一に曰く、僖侯浴す、湯中に礫有り。僖侯曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち当に代るべき者有るか。」左右対へて曰く、「有り。」僖侯曰く、「召して来れ。」之を譙めて曰く、「何為れぞ礫を湯中に置く。」対へて曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち臣之に代るを得ん、是を以て礫を湯中に置く。」
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『韓非子』內儲說下六微第三十一「能く大事を挙げんか。」曰く、「能くす。」是に於て乃ち宿営の甲を起して成王を攻む。成王熊膰を食ひて死せんことを請ふ、許さず、遂に自殺す。韓廆韓の哀侯に相たり、厳遂君に重し、二人甚だ相害す。厳遂乃ち人をして韓廆を朝に刺さしむ、韓廆走りて君を抱く、遂に韓廆を刺して哀侯を兼ぬ。田恒斉に相たり、闞止簡公に重し、二人相憎みて相賊せんと欲す。田恒因りて私恵を行ひて以て其の国を取り、遂に簡公を殺して之が政を奪ふ。戴驩宋の太宰と為り、皇喜君に重し、二人事を争ひて相害す、皇喜遂に宋君を殺して其の政を奪ふ。狐突曰く、「国君内を好めば則ち太子危く、外を好めば則ち相室危し。」鄭君鄭昭に問ひて曰く、「太子亦何如。」対へて曰く、「太子未だ生れざるなり。」君曰く、「太子已に置きて未だ生れずと曰ふは、何ぞや。」対へて曰く、「太子置かると雖も、然れども君の色を好むこと已まず、愛する所子有らば、君必ず之を愛せん、之を愛すれば則ち必ず以て後と為さんと欲せん、臣故に太子未だ生れずと曰ふなり。」六。文王費仲に資して紂の旁に遊ばしめ、之をして紂を諫めて其の心を乱さしむ。荊王人をして秦に之かしむ、秦王甚だ之を礼す。王曰く、「敵国に賢者有るは、国の憂ひなり。今荊王の使者甚だ賢なり、寡人之を患ふ。」群臣諫めて曰く、「王の賢聖と国の資厚きとを以てすれば、荊王の賢人を願ふ、王何ぞ深く之に知られて陰かに之を有せざる。荊以て外用と為さば、則ち必ず之を誅せん。」仲尼魯に政を為し、道に遺ちたるを拾はず、斉の景公之を患ふ。黎且景公に謂ひて曰く、「仲尼を去ること猶ほ毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を迎ふるに重禄高位を以てし、哀公に女楽を遺りて以て其の意を驕栄せしめざる。哀公新たに之を楽しまば、必ず政を怠らん、仲尼必ず諫めん、諫むれば必ず軽く魯に絶たん。」景公曰く、「善し。」
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『韓非子』外儲說左下第三十三故に曰く、与に居る所に在らず、与に謀る所に在るなり。」孔子魯の哀公に御坐す、哀公之に桃と黍とを賜ふ。哀公曰く、「請ふ用ひよ。」仲尼先づ黍を飯して後に桃を啗ふ、左右皆口を揜ひて笑ふ。哀公曰く、「黍は、之を飯するに非ざるなり、以て桃を雪ふなり。」仲尼対へて曰く、「丘之を知れり。夫れ黍は、五穀の長なり、先王を祭るに上盛と為す。果蓏六有り、而して桃を下と為す、先王を祭るに廟に入るを得ず。丘の聞くや、君子は賤を以て貴を雪ふ、貴を以て賤を雪ふを聞かず。今五穀の長を以て果蓏の下を雪ふは、是れ上を以て下を雪ふなり。丘以て義を妨ぐと為す、故に敢て以て宗廟の盛に先んぜざるなり。」簡主左右に謂ふ、「車席泰だ美なり。夫れ冠は賤しと雖も、頭必ず之を戴く。屨は貴しと雖も、足必ず之を履む。今車席此の如く、太だ美なり、吾将に何の屩か以て之を履まんとする。夫れ下を美にして上を耗らすは、義を妨ぐるの本なり。」費仲紂に説きて曰く、「西伯昌は賢なり、百姓之を悦び、諸侯焉に附く、誅せざるべからず。誅せずんば、必ず殷の禍と為らん。」紂曰く、「子の言ふ、義主なり、何ぞ誅すべけんや。」費仲曰く、「冠は穿弊すと雖も、必ず頭に戴く。履は五采なりと雖も、必ず之を地に践む。今西伯昌は、人臣なり、義を修めて人之に向ふ。卒に天下の患と為るは、其れ必ず昌ならんか。人臣其の賢を以て其の主の為にせざれば、誅せざるべきに非ざるなり。且つ主にして臣を誅す、焉んぞ過有らん。」紂曰く、「夫れ仁義は、上の下を勧むる所以なり。今昌仁義を好む、之を誅するは不可なり。」三たび説きて用ひられず、故に亡ぶ。斉の宣王匡倩に問ひて曰く、「儒者は博するか。」曰く、「不なり。」王曰く、「何ぞや。」匡倩対へて曰く、「博は梟を貴ぶ、勝つ者は必ず梟を殺す。梟を殺すは、是れ貴ぶ所を殺すなり。儒者以て義を害すと為す、故に博せざるなり。」又問ひて曰く、「儒者は弋するか。」曰く、「不なり。弋は、下より上を害する者なり、是れ下より君を傷つくるなり。
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『韓非子』外儲説右上第三十四凡そ姦なる者は、行ふこと久しくして積を成し、積成りて力多く、力多くして能く殺す、故に明主は蚤く之を絶つ。今田常の乱を為すや、漸見はるること有り、而るに君誅せず。晏子は其の君をして侵陵の臣を禁ぜしめずして、其の主をして恵を行はしむ、故に簡公其の禍を受く。故に子夏曰く、「善く勢を持する者は、蚤く姦の萌を絶つ」と。季孫魯に相たり、子路郈の令たり。魯五月を以て衆を起こして長溝を為る、此の為に当たりて、子路其の私の秩粟を以て漿飯を為り、溝を作る者を五父の衢に要へて之に飡はしむ。孔子之を聞き、子貢をして往きて其の飯を覆し、其の器を撃毀せしめて、曰く、「魯君民を有つ、子奚為れぞ乃ち之に飡はしむる」と。子路怫然として怒り、肱を攘ひて入り、請ひて曰く、「夫子は由の仁義を為すを疾むか。夫子に学ぶ所の者は、仁義なり。仁義なる者は、天下と其の有する所を共にして其の利を同じくする者なり。今由の秩粟を以て民に飡はしむるを不可とするは、何ぞや」と。孔子曰く、「由の野なるや。吾女を以て之を知ると為せしに、女徒だ未だ及ばざるなり。女故より是の如く礼を知らざるなり。女の之に飡はしむるは、之を愛するが為なり。夫れ礼は、天子は天下を愛し、諸侯は境内を愛し、大夫は官職を愛し、士は其の家を愛す、其の愛する所を過ぐるを侵と曰ふ。今魯君民を有ちて子擅に之を愛す、是れ子侵すなり、亦誣ならずや」と。言未だ卒らざるに、季孫の使者至り、譲めて曰く、「肥や民を起こして之を使ふに、先生弟子をして徒役に令して之に飡はしむ、将に肥の民を奪はんとするか」と。孔子駕して魯を去る。孔子の賢を以てして、季孫は魯君に非ざるも、人臣の資を以て、人主の術を仮りて、蚤く未形に禁じて、子路其の私恵を行ふを得ずして、害生ずるを得ず、況んや人主をや。景公の勢を以て田常の侵を禁ぜば、則ち必ず劫弑の患無からん。