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韓非子 / 說林下二十三

惠子曰:「羿執決持扞,操弓關機,越人爭爲持旳。弱子扜弓,慈母入室閉户。」故曰:「可必,則越人不疑羿;不可必,則慈母逃弱子。」桓公問管仲:「富有涯乎?」答曰:「水之以涯,其無水者也;富之以涯,其富已足者也。人不能自止於足,而亡其富之涯乎!」宋之富賈有監止子者,與人爭買百金之璞玉,因佯失而毁之,負其百金,而理其毁瑕,得千溢焉。事有舉之而有敗,而賢其毋舉之者,負之時也。有欲以御見荆王者,衆騶妬之。因曰:「臣能撽鹿。」見王。王爲禦,不及鹿;自御,及之。王善其御也,乃言衆騶妬之。荆令公子將伐陳。丈人送之曰:「晉彊,不可不慎也。」公子曰:「丈人奚憂?吾爲丈人破晉。」丈人曰:「可。吾方廬陳南門之外。」公子曰:「是何也?」曰:「我笑勾踐也。爲人之如是其易也,己獨何爲密密十年難乎?」堯以天下讓許由,許由逃之,舍於家人,家人藏其皮冠。夫弃天下而家人藏其皮冠,是不知許由者也。三虱相與訟,一虱過之,曰:「訟者奚說?」三虱曰:「爭肥饒之地。」一虱曰:「若亦不患臘之至而茅之燥耳,若又奚患於是?」乃相與聚嘬其母而食之。彘臞,人乃弗殺。蟲有螝者,一身兩口,爭食相齕也。遂相殺,因自殺。人臣之爭事而亡其國者,皆螝類也。

新字:恵子曰:「羿執決持扞,操弓関機,越人争為持旳。弱子扜弓,慈母入室閉戸。」故曰:「可必,則越人不疑羿;不可必,則慈母逃弱子。」桓公問管仲:「富有涯乎?」答曰:「水之以涯,其無水者也;富之以涯,其富已足者也。人不能自止於足,而亡其富之涯乎!」宋之富賈有監止子者,与人争買百金之璞玉,因佯失而毀之,負其百金,而理其毀瑕,得千溢焉。事有舉之而有敗,而賢其毋舉之者,負之時也。有欲以御見荆王者,衆騶妬之。因曰:「臣能撽鹿。」見王。王為禦,不及鹿;自御,及之。王善其御也,乃言衆騶妬之。荆令公子将伐陳。丈人送之曰:「晋彊,不可不慎也。」公子曰:「丈人奚憂?吾為丈人破晋。」丈人曰:「可。吾方廬陳南門之外。」公子曰:「是何也?」曰:「我笑勾践也。為人之如是其易也,己独何為密密十年難乎?」堯以天下譲許由,許由逃之,舎於家人,家人蔵其皮冠。夫弃天下而家人蔵其皮冠,是不知許由者也。三虱相与訟,一虱過之,曰:「訟者奚説?」三虱曰:「争肥饒之地。」一虱曰:「若亦不患臘之至而茅之燥耳,若又奚患於是?」乃相与聚嘬其母而食之。彘臞,人乃弗殺。虫有螝者,一身両口,争食相齕也。遂相殺,因自殺。人臣之争事而亡其国者,皆螝類也。

書き下し

恵子曰く、「羿、決を執り扞を持し、弓を操り機を関けば、越人も争ひて為に的を持つ。弱子弓を扜けば、慈母も室に入りて戸を閉づ」と。故に曰く、「必とすべくんば、則ち越人も羿を疑はず。必とすべからずんば、則ち慈母も弱子を逃る」と。桓公、管仲に問ふ、「富に涯有るか」と。答へて曰く、「水の涯を以てするは、其の水無き者なり。富の涯を以てするは、其の富已に足る者なり。人自ら足るに止まること能はずして、其の富の涯を亡ふか」と。宋の富賈に監止子なる者有り、人と百金の璞玉を争ひ買ふ。因りて佯りて失ひて之を毀ち、其の百金を負ひて、其の毀瑕を理め、千溢を得たり。事には之を挙げて敗有るも、其の之を挙ぐること毋きに賢る者有り、之を負ふの時なり。御を以て荊王に見えんと欲する者有り、衆騶之を妬む。因りて曰く、「臣能く鹿を撽つ」と。王に見ゆ。王、御を為して鹿に及ばず、自ら御して之に及ぶ。王其の御を善しとし、乃ち衆騶の之を妬むを言ふ。荊、公子をして将として陳を伐たしむ。丈人之を送りて曰く、「晋は彊し、慎まざるべからざるなり」と。公子曰く、「丈人奚ぞ憂へん。吾丈人の為に晋を破らん」と。丈人曰く、「可なり。吾方に陳の南門の外に廬せん」と。公子曰く、「是れ何ぞや」と。曰く、「我は勾践を笑ふなり。人の為すこと是の如く其れ易きに、己独り何為れぞ密密として十年難めるや」と。堯、天下を以て許由に譲る。許由之を逃れ、家人に舎る。家人其の皮冠を蔵す。夫れ天下を棄つるに、家人其の皮冠を蔵するは、是れ許由を知らざる者なり。三虱相与に訟ふ。一虱之に過りて曰く、「訟ふる者奚をか説く」と。三虱曰く、「肥饒の地を争ふ」と。一虱曰く、「若も亦臘の至りて茅の燥くを患へざるのみ。若又奚ぞ是を患へん」と。乃ち相与に聚まりて其の母を嘬ひて之を食ふ。彘臞せて、人乃ち殺さず。虫に螝なる者有り、一身両口、食を争ひて相齕む。遂に相殺し、因りて自ら殺す。人臣の事を争ひて其の国を亡ぼす者は、皆螝の類なり。

現代語訳

恵子(恵施)は言った。「弓の名人の羿が、弓がけをはめ、腕当てをつけ、弓を手にして引き金をかければ、(縁のない)越の人でさえ争って的を持つ役を買って出る。幼い子が弓を引けば、慈しみ深い母でさえ部屋に入って戸を閉める」。だから「必ず当たると信じられるなら、越の人でも羿を疑わない。必ず当たるとは信じられないなら、慈母でも幼子から逃げる」というのである。斉の桓公が管仲に「富に限りはあるか」と尋ねた。管仲は答えた。「水の限りとは、水がなくなったところです。富の限りとは、富がもう満ち足りたところです。人は自分で満ち足りたところで止まれないから、富の限りを見失うのでしょうか」。宋の富商に監止子という者がいて、ある人と百金の玉の原石を競り合って買おうとした。そこでわざと落としたふりをして傷つけ、百金を弁償して(原石を手に入れ)、その傷を磨いて取り除き、千溢で売った。事には、手を出して失敗しても、手を出さないよりはましな場合がある。それは(弁償という)負い目を引き受ける時である。御者として楚王に仕えたいと望む者がいたが、馬丁たちがこれを妬んだ。そこで彼は「わたしは(馬車で追って)鹿を打つことができます」と申し出て、王に目通りした。王が(馬丁に)御させても鹿に追いつけず、彼が御すると追いついた。王は彼の御し方をほめたので、彼は馬丁たちに妬まれていたことを申し述べた。楚が公子を将軍にして陳を討たせた。老人が見送って言った。「晋は強い。用心しなければなりません」。公子は「ご老人、何を心配なさる。わたしがご老人のために晋を破ってみせましょう」と言った。老人は言った。「それは結構。わたしはさっそく陳の南門の外に庵を結んでおこう(敗れて逃げ帰るのを見届けるために)」。公子が「それはどういうことか」と尋ねると、老人は言った。「わたしは勾践を笑っているのです。人(あなた)がこのように易々とやってのけるのなら、勾践はなぜひとり十年もこつこつと苦労したのでしょうか」。堯が天下を許由に譲ろうとすると、許由は逃げ出して、ある民家に泊まった。その家の者は許由の皮の冠を(盗まれぬよう)しまい込んだ。天下さえ捨てた人なのに、家の者がその皮の冠をしまい込んだのは、許由という人を知らなかったのである。三匹のシラミが言い争っていた。通りかかった一匹のシラミが「何を争っているのか」と尋ねると、三匹は「肥えた場所を取り合っているのだ」と答えた。通りかかったシラミは言った。「お前たちは、年末の祭りが来て(豚が)茅で焼かれることを心配しないのか。なぜそんなことを心配しているのか」。そこで皆で集まって、宿主の豚の血を吸い合った。豚は痩せたので、人は殺さなかった。螝という虫がいて、一つの体に口が二つあり、餌を争って互いにかみつき合い、ついに殺し合って、結局自分を殺してしまう。臣下が権勢を争ってその国を滅ぼすのは、みなこの螝の類である。

解説

説林下篇の短い話が次々に並ぶ段です。羿の弓の話は、人は確実さを信じられる相手なら縁がなくても身を任せ、信じられなければ肉親でも逃げるという、信頼の根拠を突いた名言です。管仲の「富の涯は足るところ」は、止まれない欲への戒めです。三匹のシラミの話は、豚が太って祭りに焼かれれば皆が死ぬのに場所を争っていた者たちが、共通の危機に気づいて協力する寓話です。一身両口の螝は、内部で争う臣下が国を滅ぼし自らも滅ぶことのたとえです。部署同士が予算や手柄を争っているうちに会社そのものが傾く、という構図は、今の組織でもよく見られます。

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