韓非子 / 說林上二十二
田伯鼎好士而存其君,白公好士而亂荆。其好士則同,其所以爲則異。公孫友自刖而尊百里,竪刁自宫而諂桓公。其自刑則同,其所以自刑之爲則異。慧子曰:「狂者東走,逐者亦東走。其東走則同,其所以東走之爲則畢。故曰:同事之人,不可不審察也。」
新字:田伯鼎好士而存其君,白公好士而乱荆。其好士則同,其所以為則異。公孫友自刖而尊百里,竪刁自宮而諂桓公。其自刑則同,其所以自刑之為則異。慧子曰:「狂者東走,逐者亦東走。其東走則同,其所以東走之為則畢。故曰:同事之人,不可不審察也。」
書き下し
田伯鼎、士を好みて其の君を存し、白公、士を好みて荊を乱す。其の士を好むは則ち同じくして、其の為す所以は則ち異なる。公孫友は自ら刖りて百里を尊び、豎刁は自ら宮して桓公に諂ふ。其の自ら刑するは則ち同じくして、其の自ら刑する所以の為は則ち異なる。慧子曰く、「狂者東に走り、逐ふ者も亦東に走る。其の東に走るは則ち同じくして、其の東に走る所以の為は則ち畢なり。故に曰く、事を同じくするの人は、審察せざるべからざるなり」と。
現代語訳
田伯鼎は士を好んで主君の国を保ち、白公勝は士を好んで楚を乱した。士を好んだという点は同じだが、それによって目指したものは違った。公孫友は自ら足を切って百里奚を推し立て、豎刁は自ら去勢して桓公にへつらった。自分の身に刑を加えたという点は同じだが、そうした目的は違った。恵子(慧子)は言った。「狂人が東へ走ると、それを追う者も東へ走る。東へ走るという点は同じだが、東へ走る理由は異なる。だから、同じことをしている人でも、よくよく見極めなければならないというのである」。
解説
説林上篇の結びで、外に現れた行為が同じでも、その目的は正反対でありうると説きます。士を集めて国を守った田伯鼎と、士を集めて反乱を起こした白公勝、自らの身を傷つけて賢者を推した公孫友と、宦官となって桓公に取り入り、のちに斉を乱した豎刁が対になっています。恵施の「狂人が東に走れば追う者も東に走る」は、行為だけでは人を判断できないことを示す名高い比喩です。底本の「則畢」は、前の二つの対句から見て「則異」の誤りと思われます。人事評価でも、同じ残業、同じ人脈づくり、同じ献身が、組織のためか自分のためかで意味がまるで違います。行為の裏の目的を見る目が求められます。
関連する章句
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