呻吟語 / 内篇・修身・禍福刑賞は勸懲の大權
君子之為善也,以為理所當為,非要福,非干祿;其不為不善也,以為理所不當為,非懼禍,非遠罪。至於垂世教,則諄諄以禍福刑賞為言。此天地聖王勸懲之大權,君子不敢不奉若而與眾共守也,
新字:君子之為善也,以為理所当為,非要福,非干禄;其不為不善也,以為理所不当為,非懼禍,非遠罪。至於垂世教,則諄諄以禍福刑賞為言。此天地聖王勧懲之大権,君子不敢不奉若而与眾共守也,
書き下し
君子の善を為すや、以て理の當に為すべき所と為す。福を要むるに非ず、祿を干むるに非ず。其の不善を為さざるや、以て理の當に為すべからざる所と為す。禍を懼るるに非ず、罪を遠ざくるに非ず。世教を垂るるに至りては、則ち諄諄として禍福刑賞を以て言と為す。此れ天地聖王勸懲の大權なり。君子敢へて奉若して眾と共に守らずんばあらず。
現代語訳
君子が善をなすのは、道理としてなすべきだと考えるからです。福を求めるためでも俸禄を得るためでもありません。善くないことをしないのは、道理としてしてはならないと考えるからです。禍を恐れるためでも罪を避けるためでもありません。しかし世に教えを垂れるときには、繰り返し禍福や刑賞を言葉にします。これは天地と聖王が勧め懲らす大きな権能であり、君子はそれを敬って受け取り、人々と共に守らないわけにいきません。
解説
自分の動機と、人に教えるときの言い方を分けます。自分は道理だけで動くが、世に教えるときは禍福や賞罰を語る。これは矛盾ではなく、役割の違いだという整理です。高い動機を万人に要求すれば教えは届かない。だから勧善懲悪の言い方を一つの権能として受け取る。教える側の現実感覚がよく表れた一段になっています。教えを届かせるための言い換えを、権能と呼んでいます。
この章句が説くこと
動機教化賞罰道理役割
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『墨子』非命上是の故に古の聖王、憲を發し令を出だし、設けて以て賞罰と為して以て賢を勸む。是を以て入りては則ち親戚に孝慈、出でては則ち鄉里に弟長、坐處に度有り、出入に節有り、男女に辯有り。是の故に官府を治めしむれば則ち盜竊せず、城を守れば則ち崩叛せず、君に難有れば則ち死し、出亡すれば則ち送る。此れ上の賞する所にして、百姓の譽むる所なり。有命を執る者の言に曰く、「上の賞する所は、命、固より且に賞せんとす、賢なるが故に賞するに非ざるなり。上の罰する所は、命、固より且に罰せんとす、暴なるが故に罰するに非ざるなり」と。
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