韓非子 / 說林上二十二
陳軫貴於魏王。惠子曰:「必善事左右。夫楊,横樹之即生,倒樹之即生,折而樹之又生。
新字:陳軫貴於魏王。恵子曰:「必善事左右。夫楊,横樹之即生,倒樹之即生,折而樹之又生。
書き下し
陳軫、魏王に貴ばる。恵子曰く、「必ず善く左右に事へよ。夫れ楊は、之を横に樹うれば即ち生じ、之を倒に樹うれば即ち生じ、折りて之を樹うれば又生ず。
現代語訳
陳軫が魏王に重んじられていた。恵子(恵施)が言った。「必ず王の側近たちにはよく仕えなさい。柳というものは、横に植えても根づき、逆さに植えても根づき、折って植えてもまた根づきます。
解説
戦国時代の遊説家・陳軫が魏王に重用されたとき、恵施が与えた忠告の前半です。柳はどう植えても根づくほど生命力の強い木ですが、次の単位で、十人が植えても一人が抜けば枯れると続きます。王の寵愛という根づいた立場も、周囲の多くの側近に抜こうとする者がいれば長くはもたない、という比喩です。韓非は、君主の信任だけに頼る臣下の危うさと、側近の力の大きさを繰り返し指摘します。恵施は荘子の論敵として知られる名家の思想家で、説林篇では機知に富んだ助言者として何度も登場します。上司に評価されていても、周囲の同僚との関係を疎かにすれば足元はすぐ崩れる、という教えとして読めます。
関連する章句
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戦国策・田需貴於魏王田需魏王に貴(たっと)ばる。惠子曰く、「子必ず左右を善くせよ。今夫れ楊は、横たえて之を樹(う)うれば則ち生じ、倒(さかしま)に之を樹うれば則ち生じ、折りて之を樹うれば又生ず。然れども十人をして楊を樹えしめ、一人之を抜かば、則ち生ずる楊無からん。故に十人の衆を以て、生じ易きの物を樹うるに、然れども一人に勝たざる者は、何ぞや。之を樹うるは難くして之を去るは易ければなり。今子自ら王に樹うと雖も、而れども子を去らんと欲する者衆ければ、則ち子必ず危うし」と。
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『韓非子』說林上二十二然れども十人をして之を樹えて、一人をして之を抜かしめば、則ち生楊母からん。...之を樹うるは難くして、之を去るは易ければなり。
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『韓非子』說林上二十二乃ち伐らざるなり。楊子、宋の東の逆旅に過る。
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『韓非子』揚權第八一家二貴なれば、事乃ち功無し。夫妻政を持てば、子適從する無し。人君爲る者は、數々其の木を披(ひら)き、木枝をして扶踈ならしむる毋(なか)れ。木枝扶踈なれば、將に公閭を塞がんとし、私門將に實ち、公庭將に虚しく、主將に壅圉(ようぎょ)せられんとす。
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『韓非子』揚權第八数々其の木を披き、木枝をして外に拒がしむる無かれ。木枝外に拒げば、将に主の処に逼らんとす。数々其の木を披き、枝をして大に本をして小ならしむる毋かれ。
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『韓非子』說林上二十二子、工みに自ら王に樹つと雖も、子を去らんと欲する者衆ければ、子必ず危ふし」と。魯の季孫、新たに其の君を弑し、呉起焉に仕ふ。或ひと起に謂ひて曰く、「夫れ死者は、始め死して血あり、已に血ありて衄あり、已に衄ありて灰あり、已に灰ありて土あり。其の土に及ぶや、為すべき者無し。今季孫は乃ち始めて血あり、其れ毋乃ち未だ知るべからざらんか」と。呉起因りて之を去りて晋に之く。隰斯弥、田成子に見ゆ。田成子与に台に登りて四望す。三面皆暢びたり、南に望めば、隰子の家の樹之を蔽ふ。田成子も亦言はず。隰子帰り、人をして之を伐らしむ。斧離れて数創ありて、隰子之を止む。其の相室曰く、「何ぞ変ずることの数なるや」と。