韓非子 / 說林上二十二
曾從子,善相劒者也。衞君怨吳王。曾從子曰:「吳王好劒,臣相劒者也。臣請爲吳王相劒,拔而示之,因爲君刺之。」衞君曰:「子之爲是也,非緣義也,爲利也。吳強而富,衞弱而貧。子必往,吾恐子爲吳王用之於我也。」乃逐之。紂爲象箸而箕子怖,以爲象箸必不盛羹於土鉶,則必犀王之杯;玉柸象箸必不盛菽藿,則必旄象豹胎;旄象豹胎必不衣短褐而舍茅茨之下,則必錦衣九重、高臺廣室也。
新字:曽従子,善相劒者也。衛君怨呉王。曽従子曰:「呉王好劒,臣相劒者也。臣請為呉王相劒,抜而示之,因為君刺之。」衛君曰:「子之為是也,非縁義也,為利也。呉強而富,衛弱而貧。子必往,吾恐子為呉王用之於我也。」乃逐之。紂為象箸而箕子怖,以為象箸必不盛羹於土鉶,則必犀王之杯;玉柸象箸必不盛菽藿,則必旄象豹胎;旄象豹胎必不衣短褐而舎茅茨之下,則必錦衣九重、高台広室也。
書き下し
曾従子は善く剣を相する者なり。衛君、呉王を怨む。曾従子曰く、「呉王は剣を好む、臣は剣を相する者なり。臣請ふ呉王の為に剣を相し、抜きて之に示し、因りて君の為に之を刺さん」と。衛君曰く、「子の是を為すや、義に縁るに非ざるなり、利の為なり。呉は強くして富み、衛は弱くして貧し。子必ず往かば、吾恐らくは子、呉王の為に之を我に用ひん」と。乃ち之を逐ふ。紂、象箸を為りて箕子怖る。以為へらく、象箸は必ず羹を土鉶に盛らず、則ち必ず犀王の杯ならん。玉杯象箸は必ず菽藿を盛らず、則ち必ず旄象豹胎ならん。旄象豹胎は必ず短褐を衣て茅茨の下に舎らず、則ち必ず錦衣九重、高台広室ならん、と。
現代語訳
曾従子は剣の目利きに長けた者であった。衛の君が呉王を恨んでいた。曾従子が言った。「呉王は剣を好みます。わたしは剣の目利きです。どうか呉王のために剣を鑑定させてください。剣を抜いて見せ、その隙に殿のために呉王を刺してみせましょう」。衛の君は言った。「そなたがこれをするのは、義によるのではなく、利のためだ。呉は強く豊かで、衛は弱く貧しい。そなたが行けば、わしは、そなたが呉王のためにその剣をわしに向けるのではないかと恐れる」。そこで彼を追放した。殷の紂王が象牙の箸を作らせると、箕子は恐れた。こう考えたのである。象牙の箸なら、汁物を土の器には盛るまい。きっと犀の角や玉の杯を使うだろう。玉の杯と象牙の箸なら、豆や豆の葉は盛るまい。きっと旄牛や象や豹の胎児の肉を盛るだろう。そんな美食なら、粗末な衣を着て茅ぶきの家には住むまい。きっと錦の衣を幾重にも着て、高い楼台と広い宮殿に住むだろう、と。
解説
関連する章句
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『韓非子』喻老第二十一今日晋、虢を滅ぼさば、明日虞必ず之に随ひて亡びん」と。虞君聴かず、其の璧を受けて之に道を仮す。晋已に虢を取り、還りて反りて虞を滅ぼす。此の二臣は皆腠理に争ふ者なり、而るに二君用ゐざるなり。然らば則ち叔瞻・宮之奇も亦虞・鄭の扁鵲なり、而るに二君聴かず、故に鄭は以て破れ、虞は以て亡ぶ。故に曰く、「其の安きは持し易く、其の未だ兆さざるは謀り易し」と。昔者、紂、象箸を為りて箕子怖る。以為へらく、象箸は必ず土鉶に加へず、必ず将に犀玉の杯ならんとす。象箸玉杯は必ず菽藿を羹にせず、必ず旄・象・豹胎ならん。旄・象・豹胎は必ず短褐を衣て茅屋の下に食はず、則ち錦衣九重、広室高台ならん。吾其の卒を畏る、故に其の始めを怖る、と。居ること五年、紂、肉圃を為り、炮烙を設け、糟丘に登り、酒池に臨み、紂遂に以て亡ぶ。故に箕子は象箸を見て以て天下の禍を知る。故に曰く、
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『斉家論』上殷の紂王、始めて象の箸を為る時、箕子慨歎して、彼象の箸を為り玉はば、必ず玉の杯を為るべし。玉の杯を為らば、必ず遠方珍怪の物を思うてこれを用ひ、輿馬宮室の漸、此れより始まり、振ふべからずといへり。君子の眼違はずして、遂に振はずして亡びたり。天下の主として、象の箸はわづかなれど、高山も微塵よりなるごとく、終には民を暴虐し、殷の天下を亡ぼすに至る。高下ありといへども、家を興し家を亡ぼす理は一なり。奢りは日に長じ安し、恐れ慎むべき事なり。子曰く、礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよと。又約を以て、是を失する者はすくなしと。聖人の意味は、深長にして格別の事なり。しかれども先づ倹約に思ひ付かるることこそ殊勝なれ。
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『韓非子』說林下二十三衛の将軍文子、曾子に見ゆ。曾子起たずして坐席に延き、身を奥に正す。文子、其の御に謂ひて曰く、「曾子は愚人なるかな。我を以て君子と為さば、君子安んぞ敬すること毋かるべけんや。我を以て暴人と為さば、暴人安んぞ侮るべけんや。曾子の僇せられざるは命なり」と。鳥に翢翢なる者有り、首重くして尾屈し、将に河に飲まんと欲すれば、則ち必ず顛る。乃ち其の羽を銜みて之を飲む。人の飲むこと足らざる所有る者は、其の羽を索めざるべからざるなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二名に信なれば、則ち群臣職を守り、善悪踰えず、百事怠らず。事に信なれば、則ち天の時を失はず、百姓踰えず。義に信なれば、則ち近親勧勉して遠き者之に帰す。」呉起出でて、故人に遇ひて之を止めて食せしむ。故人曰く、「諾、今返りて御せん。」呉子曰く、「公を待ちて食せん。」故人暮に至るも来らず、起食せずして之を待つ。明日早く、人をして故人を求めしむ。故人来り、方に之と食す。魏の文侯虞人と猟を期す。明日、会ま天疾風す、左右文侯を止む、聴かず、曰く、「風疾きの故を以て信を失ふべからず、吾為さざるなり。」遂に自ら車を駆りて往き、風を犯して虞人を罷む。曾子の妻市に之く、其の子之に随ひて泣く。其の母曰く、「女還れ、顧反して女の為に彘を殺さん。」適ま市より来る、曾子彘を捕へて之を殺さんと欲す。妻之を止めて曰く、「特だ嬰児と戯るるのみ。」
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『韓非子』說林下二十三夫れ一臣を殺して一国を存す、其れ吉と言はざるは何ぞや。且つ死者知無くんば、則ち臣を以て鼓に釁るも益無きなり。死者知有らば、臣将に戦ひに当たるの時、臣鼓をして鳴らざらしめん」と。荊人因りて殺さざるなり。知伯将に仇由を伐たんとして道難くして通ぜず、乃ち大鐘を鋳て仇由の君に遺る。仇由の君大いに説び、道を除きて将に之を内れんとす。赤章曼枝曰く、「不可なり。此れ小の大に事ふる所以なり、而るに今や大以て来る、卒必ず之に随はん、内るべからざるなり」と。仇由の君聴かず、遂に之を内る。赤章曼枝因りて轂を断ちて駆り、斉に至り、七月にして仇由亡ぶ。越已に呉に勝ち、又卒を荊に索めて晋を攻めんとす。左史倚相、荊王に謂ひて曰く、「夫れ越は呉を破りて、豪士死し、鋭卒尽き、大甲傷つく。今又卒を索めて以て晋を攻むるは、我に病まざるを示すなり。師を起こして与に呉を分かつに如かず」と。荊王曰く、「善し」と。因りて師を起こして越に従ふ。越王怒り、将に之を撃たんとす。大夫種曰く、「不可なり。吾が豪士尽き、大甲傷つく。我与に戦はば、必ず克たず。之に賂ふに如かず」と。乃ち露山の陰五百里を割きて以て之に賂ふ。荊、陳を伐ち、呉之を救ふ。軍間三十里。雨ふること十日、夜星あり。左史倚相、子期に謂ひて曰く、「雨ふること十日、甲輯まりて兵聚まる。呉人必ず至らん、之に備ふるに如かず」と。乃ち陳を為す。陳未だ成らざるに呉人至り、荊の陳を見て反る。左史曰く、「呉は反覆六十里、其の君子必ず休み、小人必ず食はん。我三十里を行きて之を撃たば、必ず敗るべきなり」と。乃ち之に従ひ、遂に呉の軍を破る。韓・趙相与に難を為す。韓子、兵を魏に索めて曰く、「願はくは師を借りて以て趙を伐たん」と。魏の文侯曰く、「寡人は趙と兄弟なり、以て従ふべからず」と。趙も又兵を索めて以て韓を攻めんとす。文侯曰く、「寡人は韓と兄弟なり、敢へて従はず」と。二国、兵を得ずして、怒りて反る。
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『淮南子』人間訓太宰嚭 甚だ之を悅び、之を王に薦めんと欲す。子貢曰く「子 說を王に行う能わず。奈何ぞ吾 子に因らんや」と。太宰嚭曰く「子 焉んぞ嚭の能わざるを知る」と。子貢曰く「衛君の來るや、衛國の半ばは曰く、晉に朝するに若かずと。其の半ばは曰く、吳に朝するに若かずと。然れども衛君 以て吳は骸骨を歸す可しと爲す。故に身を束ねて以て命を受く。今 子 衛君を受けて之を囚え、又た之を海に流さんと欲す。是れ晉に朝せんと言う者を賞して、吳に朝せんと言う者を罰するなり。且つ衛君の來るや、諸侯 皆な以て蓍龜の兆と爲す。今 吳に朝して利あらずんば、則ち皆な心を晉に移さん。子の霸王の業を成さんと欲するも、亦た難からずや」と。太宰嚭 入りて、之を王に復す。王 報じて令を百官に出だして曰く「十日に比べて、衛君の禮 具わらざる者は死せん」と。子貢は說く所以を知ると謂う可し。