韓非子 / 說林上二十二
以管仲之聖而隰朋之智,至其所不知,不難師於老馬與蟻。今人不知以其愚心而師聖人之智,不亦過乎?有獻不死之藥於荆王者,謁者操之以入。中射之士問曰:「可食乎?」曰:「可。」因奪而食之。王大怒,使人殺中射之士。中射之士使人說王曰:「臣問謁者,曰『可食』,臣故食之,是臣無罪而罪在謁者也。且客獻不死之藥,臣食之而王殺臣,是死藥也,是客欺王也。夫殺無罪之臣而明人之欺王也,不如釋臣。」王乃不殺。田駟欺鄒君,鄒君將使人殺之。田駟恐,告惠子。惠子見鄒君曰:「今有人見君,則䀹其一目,奚如?」君曰:「我必殺之。」惠子曰:「瞽,兩目䀹,君奚爲不殺?」君曰:「不能勿䀹。」惠子曰:「田駟東慢齊侯,南欺荆王。駟之於欺人,瞽也,君奚怨焉?」鄒君乃不殺。魯穆公使衆公子或宦於晉,或宦於荆。犁鉏曰:「假人於越而救溺子,越人雖善遊,子必不生矣。失火而取水於海,海水雖多,火必不滅矣,遠水不救近火也。今晉與荆雖強,而齊近,魯患其不救乎!」嚴遂不善周君,患之。馮沮曰:「嚴遂相,而韓傀貴於君。不如行賊於韓傀,則君必以爲嚴氏也。」張譴相韓,病將死。公乘無正懷三十金而問其疾。居一日,君問張譴曰:「若子死,將誰使代子?」
新字:以管仲之聖而隰朋之智,至其所不知,不難師於老馬与蟻。今人不知以其愚心而師聖人之智,不亦過乎?有献不死之薬於荆王者,謁者操之以入。中射之士問曰:「可食乎?」曰:「可。」因奪而食之。王大怒,使人殺中射之士。中射之士使人説王曰:「臣問謁者,曰『可食』,臣故食之,是臣無罪而罪在謁者也。且客献不死之薬,臣食之而王殺臣,是死薬也,是客欺王也。夫殺無罪之臣而明人之欺王也,不如釈臣。」王乃不殺。田駟欺鄒君,鄒君将使人殺之。田駟恐,告恵子。恵子見鄒君曰:「今有人見君,則䀹其一目,奚如?」君曰:「我必殺之。」恵子曰:「瞽,両目䀹,君奚為不殺?」君曰:「不能勿䀹。」恵子曰:「田駟東慢斉侯,南欺荆王。駟之於欺人,瞽也,君奚怨焉?」鄒君乃不殺。魯穆公使衆公子或宦於晋,或宦於荆。犁鉏曰:「仮人於越而救溺子,越人雖善遊,子必不生矣。失火而取水於海,海水雖多,火必不滅矣,遠水不救近火也。今晋与荆雖強,而斉近,魯患其不救乎!」厳遂不善周君,患之。馮沮曰:「厳遂相,而韓傀貴於君。不如行賊於韓傀,則君必以為厳氏也。」張譴相韓,病将死。公乗無正懐三十金而問其疾。居一日,君問張譴曰:「若子死,将誰使代子?」
書き下し
管仲の聖と隰朋の智とを以てするも、其の知らざる所に至りては、老馬と蟻とに師とすることを難しとせず。今人、其の愚心を以てして聖人の智を師とすることを知らず、亦過たずや。不死の薬を荊王に献ずる者有り。謁者之を操りて以て入る。中射の士問ひて曰く、「食ふべきか」と。曰く、「可なり」と。因りて奪ひて之を食ふ。王大いに怒り、人をして中射の士を殺さしむ。中射の士、人をして王に説かしめて曰く、「臣、謁者に問ふに、『食ふべし』と曰ふ、臣故に之を食ふ。是れ臣は罪無くして罪は謁者に在るなり。且つ客、不死の薬を献じ、臣之を食ひて王臣を殺さば、是れ死薬なり、是れ客、王を欺くなり。夫れ無罪の臣を殺して人の王を欺くを明らかにするは、臣を釈くに如かず」と。王乃ち殺さず。田駟、鄒君を欺く、鄒君将に人をして之を殺さしめんとす。田駟恐れて恵子に告ぐ。恵子、鄒君に見えて曰く、「今人有りて君に見え、則ち其の一目を䀹すれば、奚如」と。君曰く、「我必ず之を殺さん」と。恵子曰く、「瞽は両目を䀹す、君奚為れぞ殺さざる」と。君曰く、「䀹せざること能はざればなり」と。恵子曰く、「田駟は東のかた斉侯を慢り、南のかた荊王を欺く。駟の人を欺くに於けるや、瞽なり、君奚ぞ怨まん」と。鄒君乃ち殺さず。魯の穆公、衆公子をして或いは晋に宦し、或いは荊に宦せしむ。犁鉏曰く、「人を越に仮りて溺子を救はば、越人善く遊ぐと雖も、子必ず生きず。火を失して水を海に取らば、海水多しと雖も、火必ず滅えず。遠水は近火を救はざるなり。今晋と荊と強しと雖も、斉は近し、魯の患ひは其れ救はざらんか」と。厳遂、周君に善からず、之を患ふ。馮沮曰く、「厳遂相たり、而して韓傀、君に貴ばる。賊を韓傀に行ふに如かず、則ち君必ず以て厳氏と為さん」と。張譴、韓に相たり、病みて将に死せんとす。公乗無正、三十金を懐にして其の疾を問ふ。居ること一日、君、張譴に問ひて曰く、「若し子死なば、将に誰をして子に代はらしめん」と。
現代語訳
管仲ほどの聖人と隰朋ほどの知者でも、自分の知らないことに出くわすと、老いた馬や蟻を師とすることをためらわなかった。ところが今の人は、自分の愚かな心のままで、聖人の知恵を師とすることを知らない。何と誤っていることではないか。楚王に不死の薬を献上する者があった。取次ぎ役がそれを持って奥へ入ると、宮中の護衛の士が「食べられるものか」と尋ねた。取次ぎ役が「食べられる」と答えると、護衛の士はそれを奪って食べてしまった。王は大いに怒り、人をやって護衛の士を殺させようとした。護衛の士は人をやって王にこう説かせた。「わたしが取次ぎ役に尋ねると『食べられる』と言ったので、わたしは食べたのです。つまりわたしに罪はなく、罪は取次ぎ役にあります。しかも客が不死の薬を献上し、わたしがそれを食べて王がわたしを殺すのなら、それは死の薬であり、客が王を欺いたことになります。罪のない臣を殺して、人が王を欺いたことを世に明らかにするよりは、わたしを許す方がよろしいでしょう」。王はそこで殺さなかった。田駟が鄒の君を欺き、鄒の君は人をやって彼を殺させようとした。田駟は恐れて恵子(恵施)に打ち明けた。恵子は鄒の君に会って言った。「いま殿に目通りした者が、片目をつぶってみせたらどうなさいますか」。君は「わしは必ず殺す」と言った。恵子は「盲人は両目をつぶっていますが、殿はなぜ殺さないのですか」と言った。君は「つぶらずにはいられないからだ」と言った。恵子は言った。「田駟は東では斉侯を侮り、南では楚王を欺いてきました。田駟が人を欺くのは盲人(が目をつぶるの)と同じで、どうにもならない性分です。殿がなぜ恨まれましょう」。鄒の君はそこで殺さなかった。魯の穆公が公子たちを、ある者は晋に、ある者は楚に仕えさせた。犁鉏が言った。「遠い越の国から人を借りてきて溺れている子を救おうとしても、越の人がいくら泳ぎがうまくても、子はきっと助かりません。火事を出して海から水を汲んでこようとしても、海の水がいくら多くても、火はきっと消えません。遠くの水は近くの火を救えないのです。いま晋と楚は強いけれども、斉は近くにあります。魯の心配は、救ってもらえないことではないでしょうか」。厳遂は周の君と折り合いが悪く、周の君はそれを気に病んでいた。馮沮が言った。「厳遂は(韓の)宰相であり、韓傀は(韓の)君に重んじられています。韓傀に刺客を送るのがよい。そうすれば韓の君はきっと厳氏の仕業だと思うでしょう」。張譴は韓の宰相であったが、病で死にかけていた。公乗無正は三十金を懐にして見舞いに行った。一日たって、韓の君が張譴に尋ねた。「もしそなたが死んだら、誰に後を継がせればよいか」。
解説
関連する章句
-
『韓非子』說林上二十二温人、周に之く。周、客を納れず。之に問ひて曰く、「客か」と。対へて曰く、「主人なり」と。其の巷人に問ひて知らざるなり、吏因りて之を囚ふ。君、人をして之に問はしめて曰く、「子は周人に非ざるなり、而るに自ら客に非ずと謂ふは何ぞや」と。対へて曰く、「臣少くして詩を誦して曰く、『普天の下、王土に非ざるは莫く、率土の浜、王臣に非ざるは莫し』と。今君は天子なれば、則ち我は天子の臣なり。豈に人の臣と為りて又之が客と為る者有らんや。故に主人と曰ふなり」と。君、之を出ださしむ。韓の宣王、樛留に謂ひて曰く、「吾、公仲・公叔を両用せんと欲す、其れ可ならんか」と。対へて曰く、「不可なり。晋は六卿を用ひて国分かれ、簡公は田成・闞止を両用して簡公殺され、魏は犀首・張儀を両用して西河の外亡ぶ。今王之を両用せば、其の力多き者は其の党を樹て、力寡なき者は外権を借らん。群臣に内に党を樹てて以て主に驕る有り、外に交はりを為して以て地を削る有らば、則ち王の国危ふし」と。紹績昧、酔ひ寐ねて其の裘を亡ふ。宋君曰く、「酔ふこと以て裘を亡ふに足るか」と。対へて曰く、「桀は酔ひを以て天下を亡ふ。而して康誥に『彝酒する毋かれ』と曰ふ者、彝酒とは常酒なり。常酒する者は、天子は天下を失ひ、匹夫は其の身を失ふ」と。管仲・隰朋、桓公に従ひて孤竹を伐ち、春往きて冬反り、迷惑して道を失ふ。
-
『韓非子』說林下二十三恵子曰く、「羿、決を執り扞を持し、弓を操り機を関けば、越人も争ひて為に的を持つ。弱子弓を扜けば、慈母も室に入りて戸を閉づ」と。故に曰く、「必とすべくんば、則ち越人も羿を疑はず。必とすべからずんば、則ち慈母も弱子を逃る」と。桓公、管仲に問ふ、「富に涯有るか」と。答へて曰く、「水の涯を以てするは、其の水無き者なり。富の涯を以てするは、其の富已に足る者なり。人自ら足るに止まること能はずして、其の富の涯を亡ふか」と。宋の富賈に監止子なる者有り、人と百金の璞玉を争ひ買ふ。因りて佯りて失ひて之を毀ち、其の百金を負ひて、其の毀瑕を理め、千溢を得たり。事には之を挙げて敗有るも、其の之を挙ぐること毋きに賢る者有り、之を負ふの時なり。御を以て荊王に見えんと欲する者有り、衆騶之を妬む。因りて曰く、「臣能く鹿を撽つ」と。王に見ゆ。王、御を為して鹿に及ばず、自ら御して之に及ぶ。王其の御を善しとし、乃ち衆騶の之を妬むを言ふ。荊、公子をして将として陳を伐たしむ。丈人之を送りて曰く、「晋は彊し、慎まざるべからざるなり」と。公子曰く、「丈人奚ぞ憂へん。吾丈人の為に晋を破らん」と。丈人曰く、「可なり。吾方に陳の南門の外に廬せん」と。公子曰く、「是れ何ぞや」と。曰く、「我は勾践を笑ふなり。人の為すこと是の如く其れ易きに、己独り何為れぞ密密として十年難めるや」と。堯、天下を以て許由に譲る。許由之を逃れ、家人に舎る。家人其の皮冠を蔵す。夫れ天下を棄つるに、家人其の皮冠を蔵するは、是れ許由を知らざる者なり。三虱相与に訟ふ。一虱之に過りて曰く、「訟ふる者奚をか説く」と。三虱曰く、「肥饒の地を争ふ」と。一虱曰く、「若も亦臘の至りて茅の燥くを患へざるのみ。若又奚ぞ是を患へん」と。乃ち相与に聚まりて其の母を嘬ひて之を食ふ。彘臞せて、人乃ち殺さず。虫に螝なる者有り、一身両口、食を争ひて相齕む。遂に相殺し、因りて自ら殺す。人臣の事を争ひて其の国を亡ぼす者は、皆螝の類なり。
-
『韓非子』內儲說下六微第三十一左右に私かに善からざる者有り、乃ち之が為に王に請ひて曰く、「公子甚だ貧しく、馬甚だ痩す、王何ぞ之に馬食を益さざる。」王許さず。左右因りて微かに夜芻廐を焼かしむ。王以て賤公子と為すや、乃ち之を誅す。魏に老儒有りて済陽君に善からず。客に老儒と私怨有る者有り、因りて老儒を攻めて之を殺し、以て済陽君に徳として曰く、「臣其の君に善からざるが為なり、故に君の為に之を殺せり。」済陽君因りて察せずして之を賞す。一に曰く、済陽君に少庶子有り、知られずして君に愛を入れんと欲する者有り。斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、済陽の少庶子以て功と為さんと欲し、入りて君に見えて曰く、「斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、名は薬を掘るなるも、実は君の国を間するなり。君之を殺さずんば、是れ将に済陽君を以て罪を斉に抵さんとす。臣請ふ之を刺さん。」君曰く、「可なり。」是に於て明日之を城陰に得て之を刺す、済陽君還りて益ます之を親しむ。四。陳需は、魏王の臣なり、荊王に善し、而して荊をして魏を攻めしむ。荊魏を攻む、陳需因りて魏王の為に行きて之を解かんことを請ひ、因りて荊の勢を以て魏に相たり。韓の昭侯の時、黍種嘗て貴きこと甚し。昭侯人をして廩を覆さしむ、吏果して黍種を竊みて之を糶ること甚だ多し。昭奚恤の荊に用ひらるるや、倉廥窌を焼く者有りて其の人を知らず。昭奚恤吏をして茅を販ぐ者を執へて之を問はしむ、果して焼けり。昭僖侯の時、宰人食を上るに羹中に生肝有り、昭侯宰人の次を召して之を誚めて曰く、「若何為れぞ生肝を寡人の羹中に置く。」宰人頓首して死罪に服して曰く、「竊かに尚宰人を去らんと欲するなり。」一に曰く、僖侯浴す、湯中に礫有り。僖侯曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち当に代るべき者有るか。」左右対へて曰く、「有り。」僖侯曰く、「召して来れ。」之を譙めて曰く、「何為れぞ礫を湯中に置く。」対へて曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち臣之に代るを得ん、是を以て礫を湯中に置く。」
-
呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
-
『韓非子』說林上二十二君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。
-
『韓非子』說林下二十三乃ち之を去る。果たして文子の後車二乗を収めて之を其の君に献ず。周趮、宮他に謂ひて曰く、「我が為に斉王に謂ひて曰へ、斉を以て我を魏に資けよ、請ふ魏を以て王に事へん、と」と。宮他曰く、「不可なり。是れ之に魏無きを示すなり。斉王必ず魏無き者を資けずして、以て魏有る者に怨まれん。公曰ふに如かず、『王の欲する所を以て、臣請ふ魏を以て王に聴かしめん』と。斉王必ず公を以て魏有りと為し、必ず公に因らん。是れ公斉有るなり、因りて以て斉・魏を有たん」と。白圭、宋の大尹の為に曰く、「君長じて自ら政を知らば、公事無からん。今君は少主なり、而して名を務む。荊をして君の孝を賀せしむるに如かず。則ち君、公の位を奪はず、大いに公を敬重せん。則ち公常に宋に用ひられん」と。管仲・鮑叔相謂ひて曰く、「君の乱甚だし、必ず国を失はん。斉国の諸公子の其の輔くべき者は、公子糾に非ずんば則ち小白なり。子と人ごとに一人に事へ、先に達する者相収めん」と。管仲乃ち公子糾に従ひ、鮑叔は小白に従ふ。国人果たして君を弑す。小白先に入りて君と為る。魯人、管仲を拘へて之を效す。鮑叔言ひて之を相とす。故に諺に曰く、「巫咸善く祝すと雖も、自ら祓ふこと能はず。秦医善く除くと雖も、自ら弾ずること能はず」と。管仲の聖を以てして鮑叔の助けを待つ、此れ鄙諺の所謂「虜自ら裘を売りて售れず、士自ら辯を誉めて信ぜられず」なる者なり。荊王、呉を伐つ。呉、沮衛・蹶融をして荊師を犒はしむ。而して将軍曰く、「之を縛れ、殺して以て鼓に釁らん」と。之に問ひて曰く、「汝来るに、卜せしか」と。答へて曰く、「卜せり」と。「卜は吉なりしか」と。曰く、「吉なり」と。荊人曰く、「今荊将に女を以て鼓に釁らんと欲す、其れ何ぞや」と。答へて曰く、「是れ故に其の吉なる所以なり。呉の臣をして来らしむるは、固より将軍の怒りを視んとてなり。将軍怒らば、将に溝を深くし塁を高くせんとす。将軍怒らずんば、将に懈怠せんとす。今や将軍臣を殺さば、則ち呉必ず警守せん。且つ国の卜は、一臣の為に卜するに非ず。