韓非子 / 說林上二十二
子圉見孔子於商太宰。孔子出,子圉入,請問客。太宰曰:「吾已見孔子,則視子猶蚤虱之細者也。吾今見之於君。」
書き下し
子圉、孔子を商の太宰に見えしむ。孔子出で、子圉入りて、客を請問す。太宰曰く、「吾已に孔子を見たれば、則ち子を視ること猶ほ蚤虱の細なる者のごときなり。吾今之を君に見えしめん」と。
現代語訳
子圉が孔子を商(宋)の太宰(宰相)に引き合わせた。孔子が退出すると、子圉が入って客(孔子)の印象を尋ねた。太宰は言った。「わたしは孔子に会ってしまったので、あなたを見るとまるでノミかシラミのような小さな者に見える。わたしは今からあの人を主君に引き合わせよう」。
解説
人を推薦することの危うさを描く小話です。子圉は善意か見栄で孔子を宋の宰相に紹介しましたが、宰相は孔子に感服し、紹介者の子圉がノミやシラミのように小さく見えると言い放ち、孔子を君主に推そうとします。このあと子圉は、孔子が重用されれば自分の立場が危うくなると恐れ、宰相を思いとどまらせたと続きます。人の心は、自分より優れた者の登場を喜ぶより恐れるものだという、韓非らしい人間観察です。職場でも、優秀な人を紹介したり採用したりすることは、紹介者自身の相対的な評価を下げかねません。推薦が止まる組織には、そうした恐れが働いていることがあります。
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