韓非子 / 說林上二十二
湯以伐桀,而恐天下言己爲貪也,因乃讓天下於務光;而恐務光之受之也,乃使人說務光曰:「湯殺君而欲傳惡聲于子,故讓天下於子。」務光因自投於河。秦武王令甘茂擇所欲爲於僕與行事。孟卯曰:「公不如爲僕。
新字:湯以伐桀,而恐天下言己為貪也,因乃譲天下於務光;而恐務光之受之也,乃使人説務光曰:「湯殺君而欲伝悪声于子,故譲天下於子。」務光因自投於河。秦武王令甘茂択所欲為於僕与行事。孟卯曰:「公不如為僕。
書き下し
湯、以て桀を伐ちて、天下の己を言ひて貪と為すを恐るるなり。因りて乃ち天下を務光に譲る。而して務光の之を受くるを恐るるなり、乃ち人をして務光に説かしめて曰く、「湯、君を殺して悪声を子に伝へんと欲す、故に天下を子に譲る」と。務光因りて自ら河に投ず。秦の武王、甘茂をして欲する所を僕と行事とに択び為さしむ。孟卯曰く、「公は僕と為るに如かず。
現代語訳
殷の湯王は夏の桀王を討ったが、天下の人が自分を(天下を)欲張ったと言うことを恐れた。そこで天下を賢者の務光に譲ろうとした。ところが今度は務光が本当に受けてしまうことを恐れ、人をやって務光にこう吹き込ませた。「湯王は主君を殺した悪評をあなたに押しつけようとして、天下をあなたに譲るのです」。務光はそれで自ら河に身を投げた。秦の武王が甘茂に、側近の侍従になるか、使者として外交を担うか、望む方を選ばせた。孟卯が言った。「あなたは侍従になるに越したことはありません。
解説
説林篇は、韓非が集めた説話の資料集で、短い話が次々に並びます。冒頭の湯王と務光の話は、聖王とされる湯でさえ、譲位を演じて評判を守り、しかも相手が本当に受けないよう裏から手を回したという、儒家の聖王像を裏返す読み方です。譲るふりと相手の自発的な辞退を同時に仕組む、権謀の典型として置かれています。続く甘茂の話は、君主のそばに仕える役と外で働く役のどちらが得かという選択で、孟卯は側近を勧めます。その理由は次の既存の章句に続きます。組織でも、表向きの謙譲の裏にある計算を見抜くこと、どの位置にいれば発言力を持てるかを考えることは、今も変わらぬ課題です。
関連する章句
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荘子・譲王湯又た瞀光に譲りて曰く、「知者之を謀り、武者之を遂げ、仁者之に居るは、古の道なり。吾子は胡(なん)ぞ立たざるか」と。瞀光辞して曰く、「上を廃するは、義に非ざるなり。民を殺すは、仁に非ざるなり。人は其の難を犯し、我は其の利を享(う)くるは、廉に非ざるなり。吾之を聞きて曰く、『其の義に非ざる者は、其の禄を受けず。無道の世は、其の土を践まず』と。而るを況んや我を尊ぶをや。吾は久しく見るに忍びざるなり」と。乃ち石を負いて自ら廬水(ろすい)に沈む。
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呂氏春秋・離俗②舜、其の友石戶之農に讓る。石戶之農曰く、「棬棬たるかな、后の人と為りや。葆力の士なり。」舜の德を以て未だ至らざると為す。是に於てか、夫は負い、妻は戴き、子を攜えて以て海に入り、之を去りて、終身反らず。舜、又其の友北人無擇に讓る。北人無擇曰く、「異なるかな、后の人と為りや。甽畝の中に居りて、游んで堯の門に入る。是の若くにして已まず。又其の辱行を以て我を漫さんと欲す。我之を羞づ。」而して自ら蒼領の淵に投ず。湯將に桀を伐たんとし、卞隨に因りて謀る。卞隨辭して曰く、「吾が事に非ざるなり。」湯曰く、「孰か可ならん。」卞隨曰く、「吾知らざるなり。」湯又務光に因りて謀る。務光曰く、「吾が事に非ざるなり。」湯曰く、「孰か可ならん。」務光曰く、「吾知らざるなり。」湯曰く、「伊尹は何如。」務光曰く、「彊いて力め詬を忍ぶ。吾其の他を知らざるなり。」湯遂に伊尹と夏を謀り桀を伐ち、之に克ちて、以て卞隨に讓る。卞隨辭して曰く、「后の桀を伐つや、我に謀るは、必ず我を以て賊と為すなり。桀に勝ちて我に讓るは、必ず我を以て貪と為すなり。吾、亂世に生まれ、無道の人再び來たりて我を詬しむ。吾數々聞くに忍びざるなり。」乃ち自ら潁水に投じて死す。湯又務光に讓りて曰く、「智者之を謀り、武者之を遂げ、仁者之に居るは、古の道なり。吾子胡ぞ之に位せざる。請う吾子に相たらん。」務光辭して曰く、「上を廢するは、義に非ざるなり。民を殺すは、仁に非ざるなり。人、其の難を犯し、我、其の利を享くるは、廉に非ざるなり。吾之を聞く、『其の義に非ざれば、其の利を受けず。無道の世には、其の土を踐まず。』況んや我を尊くするに於いてをや。吾久しく見るに忍びず。」乃ち石を負いて募水に沈む。故に石戶之農・北人無擇・卞隨・務光の如きの者は、其の天下を視ること、六合の外の若く、人の察する能わざる所なり。其の富貴を視るや、苟も已むことを得可ければ、則ち必ず之に賴らず。高節厲行、獨り其の意を樂しみて、物之を害する莫し。利に漫されず、埶に索かれず、而して濁世に居ることを羞づ。惟れ此の四士者の節なり。夫の舜・湯の若きは、則ち苞裹覆容し、已むことを得ざるに縁りて動き、時に因りて為し、愛利を以て本と為し、萬民を以て義と為す。之を譬うれば、釣者の魚に小大有り、餌に宜適有り、羽に動靜有るが若し。
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荘子・譲王湯将に桀を伐たんとす。卞随(べんずい)に因りて謀る。卞随曰く、「吾が事に非ざるなり」と。湯曰く、「孰(たれ)か可なる」と。曰く、「吾は知らざるなり」と。湯又た瞀光(ぼうこう)に因りて謀る。瞀光曰く、「吾が事に非ざるなり」と。湯曰く、「孰か可なる」と。曰く、「吾は知らざるなり」と。湯曰く、「伊尹は何如」と。曰く、「強力にして垢(はじ)を忍ぶ。吾は其の他を知らざるなり」と。湯遂に伊尹と与に桀を伐つを謀る。
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『管子』輕重甲桓公管子に問いて曰く、「夫れ湯は七十里の薄を以て、桀の天下を兼ぬ、其の故は何ぞや」と。管子對えて曰く、「桀なる者は、冬に杠を為らず、夏に柎を束ねず、以て凍溺を觀る。牝虎を㢮ちて市に充たし、以て其の驚駭を觀る。湯に至りては然らず、競を夷らげて粟を積み、饑うる者は之を食らわしめ、寒ゆる者は之に衣し、資らざる者は之を振う、天下の湯に歸すること流水の若し。此れ桀の其の天下を失う所以なり」と。桓公曰く、「桀は湯をして是を為すを得しむ、其の故は何ぞや」と。管子曰く、「女華なる者は、桀の愛する所なり、湯之に事うるに千金を以てす。曲逆なる者は、桀の善しとする所なり、湯之に事うるに千金を以てす。内には則ち女華の隂有り、外には則ち曲逆の陽有り、隂陽の議合して、其の天子と成るを得たり。此れ湯の隂謀なり」と。
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呂氏春秋・簡選②殷湯は、良車七十乘、必死六千人、戊子を以て郕に戰い、遂に推移・大犧を禽にし、鳴條自り登り、乃ち巢門に入り、遂に夏を有つ。桀既に奔走す。是に於て大いに仁慈を行い、以て黔首を恤む。桀の事に反し、其の賢良を遂げしめ、民の喜ぶ所に順う。遠近之に歸し、故に天下に王たり。
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『淮南子』說林訓詐を以て詐に應じ、譎を以て譎に應ずるは、蓑を披て火を救い、瀆を毀ちて水を止むるが若し。乃ち愈々益々多し。西施・毛嬙は、狀貌 同じくす可からざるも、世 其の好きを稱するは、美 鈞しければなり。堯・舜・禹・湯は、法籍 類を殊にするも、民心を得るは一なり。聖人なる者は、時に隨いて事を舉げ、資に因りて功を立つ。涔れば則ち擢對を具え、旱すれば則ち土龍を修む。臨淄の女、紈を織りて行く者を思えば、之が爲に悖戾す。室に美貌有れば、繒 之が爲に纂繹たり。徵羽の操は、鄙人の耳に入らず。抮和切適なれば、坐を舉げて善しとす。