呂氏春秋 / 簡選②
殷湯良車七十乘,必死六千人,以戊子戰於郕,遂禽〔推〕移、大犧,登自鳴條,乃入巢門,遂有夏。桀既奔走,於是行大仁慈,以恤黔首;反桀之事,遂其賢良,順民所喜;遠近歸之,故王天下。
新字:殷湯良車七十乗,必死六千人,以戊子戦於郕,遂禽〔推〕移、大犠,登自鳴条,乃入巣門,遂有夏。桀既奔走,於是行大仁慈,以恤黔首;反桀之事,遂其賢良,順民所喜;遠近歸之,故王天下。
書き下し
殷湯は、良車七十乘、必死六千人、戊子を以て郕に戰い、遂に推移・大犧を禽にし、鳴條自り登り、乃ち巢門に入り、遂に夏を有つ。桀既に奔走す。是に於て大いに仁慈を行い、以て黔首を恤む。桀の事に反し、其の賢良を遂げしめ、民の喜ぶ所に順う。遠近之に歸し、故に天下に王たり。
現代語訳
殷の湯王は、良い戦車七十乗、決死の兵六千人で、戊子の日に郕で戦い、ついに推移と大犧を捕らえ、鳴条から攻め上って巣門に入り、ついに夏を我がものとした。桀王は逃げ去った。そこで湯王は大いに仁慈を施して人民をあわれみ、桀の悪政を改め、賢良の人を登用し、民の喜ぶことに従った。遠近の人々が帰服し、こうして天下に王となった。
解説
この段は、殷の湯王が少数精鋭で夏の桀を破り、仁政によって天下の王となった経緯を語ります。七十乗・六千人という限られた精鋭で勝ったのち、湯は仁慈を施し、桀の悪政を改め賢良を登用して民心を得ました。武力による勝利を、勝ってのちの善政で仕上げた点が、簡選篇の説く選抜と義とを兼ねた実例となっています。精鋭による勝利の後に人心を得る施策で基盤を固めるという流れは、成果を出したうえで信頼を築いていく組織運営の順序にも通じます。
この章句が説くこと
殷湯桀鳴条仁政簡選精鋭