韓非子 / 喻老第二十一
子釋之,不穀知之矣。」處半年,乃自聽政。所廢者十,所起者九;誅大臣五,舉處士六,而邦大治。舉兵誅齊,敗之徐州,勝晉於河雍,合諸侯於宋,遂霸天下。莊王不爲小害善,故有大名;不蚤見示,故有大功。故曰:「大器晩成,大音希聲。」楚莊王欲伐越,杜子諫曰:「王之伐越,何也?」曰:「政亂兵弱。」杜子曰:「臣愚患之。智如目也,能見百步之外而不能自見其睫。王之兵自敗於秦、晉,喪地數百里,此兵之弱也;莊蹊蹻爲盜於境内而吏不能禁,此政之亂也。
新字:子釈之,不穀知之矣。」処半年,乃自聴政。所廃者十,所起者九;誅大臣五,舉処士六,而邦大治。舉兵誅斉,敗之徐州,勝晋於河雍,合諸侯於宋,遂覇天下。荘王不為小害善,故有大名;不蚤見示,故有大功。故曰:「大器晩成,大音希声。」楚荘王欲伐越,杜子諫曰:「王之伐越,何也?」曰:「政乱兵弱。」杜子曰:「臣愚患之。智如目也,能見百歩之外而不能自見其睫。王之兵自敗於秦、晋,喪地数百里,此兵之弱也;荘蹊蹻為盗於境内而吏不能禁,此政之乱也。
書き下し
子之を釈け、不穀之を知れり」と。処ること半年、乃ち自ら政を聴く。廃する所の者十、起こす所の者九。大臣五を誅し、処士六を挙げて、邦大いに治まる。兵を挙げて斉を誅し、之を徐州に敗り、晋に河雍に勝ち、諸侯を宋に合し、遂に天下に霸たり。荘王、小を為して善を害せず、故に大名有り。蚤く見示せず、故に大功有り。故に曰く、「大器は晩成し、大音は声希なり」と。楚の荘王、越を伐たんと欲す。杜子諫めて曰く、「王の越を伐つは何ぞや」と。曰く、「政乱れ兵弱し」と。杜子曰く、「臣愚、之を患ふ。智は目の如きなり。能く百歩の外を見て自ら其の睫を見ること能はず。王の兵、自ら秦・晋に敗れ、地を喪ふこと数百里、此れ兵の弱きなり。荘蹻、境内に盗を為して吏禁ずること能はず、此れ政の乱るるなり。
現代語訳
(荘王は言った。)「そなたはそのことは置いておけ。わしにはわかっている」。そのまま半年たって、荘王はようやく自ら政務を執った。廃止したものが十、新たに興したものが九あった。大臣五人を誅し、在野の士六人を登用して、国は大いに治まった。兵を挙げて斉を討って徐州で破り、晋に河雍で勝ち、諸侯を宋に会盟させて、ついに天下の覇者となった。荘王は小さなことのために大きな善を損なわなかったから大きな名声を得、早いうちに手の内を見せなかったから大きな功を得た。だから(老子は)「大きな器は遅れて完成し、大きな音はかすかにしか聞こえない」と言うのである。楚の荘王が越を討とうとしたとき、杜子が諫めて、「王が越を討たれるのはなぜですか」と尋ねた。王は「政治が乱れ、兵が弱いからだ」と答えた。杜子は言った。「私は愚かながら、それを心配いたします。知恵は目のようなものです。百歩先まで見えても、自分のまつげは見えません。王の兵は秦や晋に敗れて、数百里の土地を失いました。これは(楚の)兵が弱いということです。荘蹻が国内で盗賊を働いても役人は取り締まれません。これは(楚の)政治が乱れているということです。
解説
関連する章句
-
『韓非子』喻老第二十一飛ぶ無しと雖も、飛べば必ず天に沖せん。鳴く無しと雖も、鳴けば必ず人を驚かさん。
-
史記 楚世家莊王淫楽を罷め、政を聴くに及び、誅する所の者数百人、進むる所の者数百人。是の歳庸を滅ぼす。六年、宋を伐ち、五百乗を獲。八年、陸渾の戎を伐ち、遂に洛に至る。莊王遂に諸侯に霸たり。
-
『韓非子』喻老第二十一今君、後るれば則ち臣に逮ばんと欲し、先んずれば則ち臣に逮ばるるを恐る。夫れ誘道して遠きを争ふは、先んずるに非ざれば則ち後るるなり。而して先後の心皆臣に在り、上何を以てか馬に調はん。此れ君の後るる所以なり」と。白公勝、乱を慮り、朝を罷め、杖を倒にして策の鋭、顊を貫き、血流れて地に至るも知らず。鄭人之を聞きて曰く、「顊をすら之れ忘る、将た何をか忘れざらんや」と。故に曰く、「其の出づること弥々遠ければ、其の知ること弥々少なし」と。此れ智、遠きに周ければ、則ち遺す所近きに在るを言ふなり。是を以て聖人は常行無きなり。能く智を並す、故に曰く、「行かずして知る」と。能く視を並す、故に曰く、「見ずして明らかなり」と。時に随ひて以て事を挙げ、資に因りて功を立て、万物の能を用ひて利を其の上に獲る、故に曰く、「為さずして成る」と。楚の荘王、政に莅むこと三年、令の発する無く、政の為す無きなり。
-
史記 楚世家莊王即位三年、号令を出ださず、日夜楽を為す。伍舉入りて諫む。伍舉曰く、「願はくは隠を進むる有らん」と。曰く、「鳥有り阜に於てす、三年蜚ばず鳴かず、是れ何の鳥ぞや」と。莊王曰く、「三年蜚ばざるも、蜚べば将に天を沖かんとす、三年鳴かざるも、鳴けば将に人を驚かさんとす。舉退け、吾之を知れり」と。
-
呂氏春秋・重言③荊の莊王立ちて三年、聽かずして讔を好む。成公賈入りて諫む。王曰く、「不穀、諫むる者を禁ず。今子諫むるは、何の故ぞ。」對えて曰く、「臣敢て諫むるに非ざるなり。君王と讔せんことを願うなり。」王曰く、「胡ぞ不穀に設けざる。」對えて曰く、「鳥の南方の阜に止まる有り。三年動かず、飛ばず鳴かず。是れ何の鳥ぞや。」王之を射て曰く、「鳥の南方の阜に止まる有り、其の三年動かざるは、將に以て志意を定めんとするなり。其の飛ばざるは、將に以て羽翼を長ぜんとするなり。其の鳴かざるは、將に以て民則を覽んとするなり。是の鳥飛ぶこと無しと雖も、飛べば將に天に沖らんとす。鳴くこと無しと雖も、鳴けば將に人を駭かさんとす。賈、出でよ。不穀之を知れり。」明日朝し、進むる所の者五人、退くる所の者十人。群臣大いに說び、荊國の衆相賀せり。故に詩に曰く、「何ぞ其れ久しきや、必ず以有るなり。何ぞ其れ處るや、必ず與有るなり。」其れ莊王の謂か。成公賈の讔や、太宰嚭の說に賢れるなり。太宰嚭の說は、夫差に聽かれて、吳國墟と為るも、成公賈の讔は、荊王に喩られて、荊國以て霸たり。
-
『新序』雜事第二楚の莊王政に蒞むこと三年、治めずして隱戲を好む。社稷危うく、國將に亡びんとす。士慶左右の羣臣に問いて曰く、王政に蒞むこと三年、治めずして隱戲を好む。社稷危うく、國將に亡びんとす。胡ぞ入りて諫めざる、と。左右曰く、子其れ入れ、と。士慶入りて再拜して進みて曰く、隱に大鳥有り。來たりて南山の陽に止まる。三年蜚ばず鳴かず。其の故の何なるかを審らかにせず、と。王曰く、子其れ去れ。寡人之を知れり、と。士慶曰く、臣言うも亦た死し、言わざるも亦た死す。願わくは其の説を聞かん、と。王曰く、此の鳥蜚ばざるは、以て羽翼を長ずるなり。鳴かざるは、以て羣臣の慝を觀るなり。是の鳥蜚ばずと雖も、蜚べば必ず天を沖かん。鳴かずと雖も、鳴けば必ず人を驚かさん、と。士慶稽首して曰く、願い聞く所已めり、と。王大いに士慶の問いを悦び、之を拜して以て令尹と爲し、之に相印を授く。士慶喜び、門を出でて左右を顧みて笑いて曰く、吾が王は成王なり、と。中庶子之を聞き、跪きて泣きて曰く、臣衣冠を尚どりて郎に御すること十三年なり。前には豪矢と爲り、後には藩蔽と爲る。王士慶に相印を賜いて臣に賜わず。臣死せんこと將に日有らんとす、と。王曰く、寡人泥塗の中に居るに、子の寡人と言う所の者は、内は國家に及ばず、外は諸侯に及ばず。子の如き者は、富ます可くして貴くす可からざるなり、と。是に於いて乃ち其の國寶の璧玉を出だして以て之に賜う。曰く、忠信は士の行なり。言語は士の道路なり。道路修まらずんば、士を治むるも行う所無し、と。