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韓非子 / 喻老第二十一

是以欲制物者於其細也,故曰:「圖難於其易也,爲大於其細也。」千丈之堤,以螻蟻之穴潰;百尺之室,以突隙之煙焚。故曰:白圭之行堤也塞其穴,丈人之慎火也塗其隙,是以白圭無水難,丈人無火患。此皆慎易以避難,敬細以遠大者也。扁鵲見蔡桓公,立有間,扁鵲曰:「君有疾在腠理,不治將恐深。」桓侯曰:「寡人無。」扁鵲出。桓侯曰:「醫之好治不病以爲功。」居十日,扁鵲復見曰:「君之病在肌膚,不治將益深。」桓侯不應。扁鵲出。桓侯又不悅。居十日,扁鵲復見曰:「君之病在腸胃,不治將益深。」桓侯又不應。扁鵲出。桓侯又不悅。居十日,扁鵲望桓侯而還走,桓侯故使人問之。扁鵲曰:「疾在腠理,湯熨之所及也;在肌膚,鍼石之所及也;在腸胃,火齊之所及也;在骨髓,司命之所屬,無柰何也。今在骨髄,臣是以無請也。」居五日,桓侯體痛,使人索扁鵲,已逃秦矣。桓侯遂死。故良醫之治病也,攻之於腠理。此皆争之於小者也。夫事之禍福亦有腠理之地,故聖人蚤從事焉。昔晉公子重耳出亡,過鄭,鄭君不禮。叔瞻諫曰:「此賢公子也,君厚待之,可以積德。」鄭君不聽。叔瞻又諫曰:「不厚待之,不若殺之,無令有後患。」鄭君又不聽。及公子返晉邦,舉兵伐鄭,大破之,取八城焉。晉獻公以垂棘之璧假道於虞而伐虢,大夫宫之奇諫曰:「不可。

新字:是以欲制物者於其細也,故曰:「図難於其易也,為大於其細也。」千丈之堤,以螻蟻之穴潰;百尺之室,以突隙之煙焚。故曰:白圭之行堤也塞其穴,丈人之慎火也塗其隙,是以白圭無水難,丈人無火患。此皆慎易以避難,敬細以遠大者也。扁鵲見蔡桓公,立有間,扁鵲曰:「君有疾在腠理,不治将恐深。」桓侯曰:「寡人無。」扁鵲出。桓侯曰:「医之好治不病以為功。」居十日,扁鵲復見曰:「君之病在肌膚,不治将益深。」桓侯不応。扁鵲出。桓侯又不悦。居十日,扁鵲復見曰:「君之病在腸胃,不治将益深。」桓侯又不応。扁鵲出。桓侯又不悦。居十日,扁鵲望桓侯而還走,桓侯故使人問之。扁鵲曰:「疾在腠理,湯熨之所及也;在肌膚,鍼石之所及也;在腸胃,火斉之所及也;在骨髄,司命之所属,無柰何也。今在骨髄,臣是以無請也。」居五日,桓侯体痛,使人索扁鵲,已逃秦矣。桓侯遂死。故良医之治病也,攻之於腠理。此皆争之於小者也。夫事之禍福亦有腠理之地,故聖人蚤従事焉。昔晋公子重耳出亡,過鄭,鄭君不礼。叔瞻諫曰:「此賢公子也,君厚待之,可以積徳。」鄭君不聴。叔瞻又諫曰:「不厚待之,不若殺之,無令有後患。」鄭君又不聴。及公子返晋邦,舉兵伐鄭,大破之,取八城焉。晋献公以垂棘之璧仮道於虞而伐虢,大夫宮之奇諫曰:「不可。

書き下し

是を以て物を制せんと欲する者は其の細に於てす。故に曰く、「難きを其の易きに図り、大を其の細に為す」と。千丈の堤も、螻蟻の穴を以て潰え、百尺の室も、突隙の煙を以て焚く。故に曰く、白圭の堤を行くや其の穴を塞ぎ、丈人の火を慎むや其の隙を塗る、是を以て白圭に水難無く、丈人に火患無し。此れ皆易きを慎みて以て難きを避け、細を敬みて以て大を遠ざくる者なり。扁鵲、蔡の桓公に見え、立つこと間有り。扁鵲曰く、「君に疾有り腠理に在り、治せずんば将に恐らくは深からんとす」と。桓侯曰く、「寡人は無し」と。扁鵲出づ。桓侯曰く、「医の好んで病まざるを治して以て功と為す」と。居ること十日、扁鵲復た見えて曰く、「君の病は肌膚に在り、治せずんば将に益々深からんとす」と。桓侯応ぜず。扁鵲出づ。桓侯又悦ばず。居ること十日、扁鵲復た見えて曰く、「君の病は腸胃に在り、治せずんば将に益々深からんとす」と。桓侯又応ぜず。扁鵲出づ。桓侯又悦ばず。居ること十日、扁鵲、桓侯を望みて還り走る。桓侯故に人をして之を問はしむ。扁鵲曰く、「疾の腠理に在るは、湯熨の及ぶ所なり。肌膚に在るは、鍼石の及ぶ所なり。腸胃に在るは、火斉の及ぶ所なり。骨髄に在るは、司命の属する所にして、奈何ともする無きなり。今骨髄に在り、臣是を以て請ふこと無きなり」と。居ること五日、桓侯体痛み、人をして扁鵲を索めしむるも、已に秦に逃れたり。桓侯遂に死す。故に良医の病を治するや、之を腠理に攻む。此れ皆之を小に争ふ者なり。夫れ事の禍福も亦腠理の地有り、故に聖人は蚤く事に従ふ。昔、晋の公子重耳出亡して、鄭に過る。鄭君礼せず。叔瞻諫めて曰く、「此れ賢公子なり。君厚く之を待たば、以て徳を積むべし」と。鄭君聴かず。叔瞻又諫めて曰く、「厚く之を待たずんば、之を殺すに若かず。後患有らしむること無かれ」と。鄭君又聴かず。公子の晋邦に返るに及び、兵を挙げて鄭を伐ち、大いに之を破り、八城を取る。晋の献公、垂棘の璧を以て道を虞に仮りて虢を伐つ。大夫宮之奇諫めて曰く、「不可なり。

現代語訳

それゆえ物事を制しようとする者は、それが小さいうちに手を打つ。だから(老子は)「難しいことはそれが易しいうちに図り、大きなことはそれが小さいうちに行う」と言うのである。千丈の堤もケラやアリの穴から崩れ、百尺の家も煙突のすき間から漏れた火で焼ける。だから、白圭は堤を見回ってはその穴をふさぎ、老人は火の用心にすき間を塗りこめる。それで白圭には水害がなく、老人には火事がない。これらはみな、易しいうちに慎んで難事を避け、小さいうちに気を配って大事を遠ざけた者である。名医の扁鵲が蔡の桓公に謁見し、しばらく立っていたのち、「殿には病があります。今は皮膚のきめ(腠理)にありますが、治さなければ深く入り込むおそれがあります」と言った。桓公は「わしに病などない」と言った。扁鵲が退出すると、桓公は「医者というものは、病でない者を治して手柄にしたがるものだ」と言った。十日たって扁鵲はまた謁見し、「殿の病は肌肉に入りました。治さなければさらに深くなります」と言った。桓公は答えなかった。扁鵲が退出すると、桓公はまた不機嫌になった。十日たって扁鵲はまた謁見し、「殿の病は腸胃に入りました。治さなければさらに深くなります」と言った。桓公はまた答えず、扁鵲が退出すると、また不機嫌になった。さらに十日たつと、扁鵲は桓公を遠くから見るなり引き返して走り去った。桓公がわざわざ人をやって訳を尋ねさせると、扁鵲は言った。「病が皮膚のきめにあるうちは、湯あてや温湿布で治せます。肌肉にあるうちは、鍼や石鍼で治せます。腸胃にあるうちは、煎じ薬で治せます。骨髄にまで入れば、それは寿命をつかさどる神の領分で、どうしようもありません。今や骨髄にあります。それで私はもう何も申し上げないのです」。五日たって桓公は体が痛みだし、人をやって扁鵲を探させたが、すでに秦へ逃れていた。桓公はそのまま死んだ。だから良医が病を治すときは、皮膚のきめの段階で攻める。これはみな小さいうちに争う者である。物事の禍福にも、この「皮膚のきめ」にあたる段階がある。だから聖人は早いうちに事に取りかかるのである。昔、晋の公子重耳(のちの文公)が亡命して鄭に立ち寄ったとき、鄭の君は礼をもって遇さなかった。叔瞻が諫めて、「これは賢い公子です。殿が手厚くもてなせば、恩徳を積むことができます」と言ったが、鄭の君は聞き入れなかった。叔瞻はまた諫めて、「手厚くもてなさないのなら、いっそ殺してしまうに越したことはありません。後の禍いを残してはなりません」と言ったが、鄭の君はまた聞き入れなかった。公子が晋の国に帰って(君主となると)、兵を挙げて鄭を討ち、大いに破って八つの城を取った。晋の献公が垂棘の宝玉を虞に贈って道を借り、虢を討とうとしたとき、虞の大夫の宮之奇が諫めて言った。「なりません。

解説

「千丈の堤も蟻の穴から」「扁鵲、桓公を見る」という、いずれも有名な二つの話を含む段です。老子の「難きを其の易きに図る」を、白圭の堤防、扁鵲の診断、鄭の叔瞻の進言で重ねて説きます。扁鵲の話は『史記』扁鵲倉公列伝では斉の桓侯とされ、細部が異なります。病は皮膚、肌肉、腸胃、骨髄と段階を追って深まり、手遅れになってからでは名医も手が出せません。韓非は、禍福にも同じ「腠理の段階」があり、兆しのうちに手を打つのが聖人だと言います。組織の不正や不満、品質の小さな異常も、指摘された初期の段階で聞き入れなければ、やがて誰にも手の施しようがなくなります。

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