韓非子 / 解老第二十
知治人者,其思慮靜;知事天者,其孔竅虚。思慮靜,故德不去;孔竅虚,則和氣日入。故曰:「重積德。」夫能令故德不去,新和氣日至者,蚤服者也。故曰:「蚤服,是謂重積德。」積德而後神静,神静而後和多,和多而後計得,計得而後能御萬物,能御萬物則戰易勝敵,戰易勝敵而論必蓋世,論必蓋世,故曰:「無不克。」無不克本於重積德,故曰:「重積德,則無不克。」戰易勝敵,則兼有天下;論必蓋世,則民人從。進兼天下而退從民人,其術遠,則衆人莫見其端末。莫見其端末,是以莫知其極。故曰:「無不克,則莫知其極。」凡有國而後亡之,有身而後殃之,不可謂能有其國、能保其身。夫能有其國,必能安其社禝;能保其身,必能終其天年,而後可謂能有其國、能保其身矣。夫能有其國、保其身者,必且體道。體道,則其智深;其智深,則其會遠;其會遠,衆人莫能見其所極。唯夫能令人不見其事極,不見其事極者爲保其身、有其國。故曰:「莫知其極。」「莫知其極,則可以有國。」所謂「有國之母」:母者,道也;道也者,生於所以有國之術;所以有國之術,故謂之「有國之母」。夫道以與世周旋者,其建生也長,持禄也久。故曰:「有國之母,可以長久。」樹木有曼根,有直根。
新字:知治人者,其思慮静;知事天者,其孔竅虚。思慮静,故徳不去;孔竅虚,則和気日入。故曰:「重積徳。」夫能令故徳不去,新和気日至者,蚤服者也。故曰:「蚤服,是謂重積徳。」積徳而後神静,神静而後和多,和多而後計得,計得而後能御万物,能御万物則戦易勝敵,戦易勝敵而論必蓋世,論必蓋世,故曰:「無不克。」無不克本於重積徳,故曰:「重積徳,則無不克。」戦易勝敵,則兼有天下;論必蓋世,則民人従。進兼天下而退従民人,其術遠,則衆人莫見其端末。莫見其端末,是以莫知其極。故曰:「無不克,則莫知其極。」凡有国而後亡之,有身而後殃之,不可謂能有其国、能保其身。夫能有其国,必能安其社禝;能保其身,必能終其天年,而後可謂能有其国、能保其身矣。夫能有其国、保其身者,必且体道。体道,則其智深;其智深,則其会遠;其会遠,衆人莫能見其所極。唯夫能令人不見其事極,不見其事極者為保其身、有其国。故曰:「莫知其極。」「莫知其極,則可以有国。」所謂「有国之母」:母者,道也;道也者,生於所以有国之術;所以有国之術,故謂之「有国之母」。夫道以与世周旋者,其建生也長,持禄也久。故曰:「有国之母,可以長久。」樹木有曼根,有直根。
書き下し
人を治むることを知る者は、其の思慮静かなり。天に事ふることを知る者は、其の孔竅虚なり。思慮静かなり、故に徳去らず。孔竅虚なれば、則ち和気日に入る。故に曰く、「重ねて徳を積む」と。夫れ能く故徳をして去らざらしめ、新和気日に至らしむる者は、蚤服する者なり。故に曰く、「蚤服す、是れを重ねて徳を積むと謂ふ」と。徳を積みて後に神静かなり。神静かにして後に和多し。和多くして後に計得。計得て後に能く万物を御す。能く万物を御すれば則ち戦ひて易く敵に勝つ。戦ひて易く敵に勝ちて論必ず世を蓋ふ。論必ず世を蓋ふ、故に曰く、「克たざる無し」と。克たざる無きは重ねて徳を積むに本づく。故に曰く、「重ねて徳を積めば、則ち克たざる無し」と。戦ひて易く敵に勝てば、則ち兼ねて天下を有つ。論必ず世を蓋へば、則ち民人従ふ。進みては天下を兼ね、退きては民人を従ふ。其の術遠し、則ち衆人其の端末を見ること莫し。其の端末を見ること莫し、是を以て其の極を知ること莫し。故に曰く、「克たざる無ければ、則ち其の極を知ること莫し」と。凡そ国を有ちて後に之を亡ぼし、身を有ちて後に之を殃するは、能く其の国を有ち、能く其の身を保つと謂ふべからず。夫れ能く其の国を有つは、必ず能く其の社稷を安んず。能く其の身を保つは、必ず能く其の天年を終ふ。而る後に能く其の国を有ち、能く其の身を保つと謂ふべし。夫れ能く其の国を有ち、其の身を保つ者は、必ず且に道を体せんとす。道を体すれば、則ち其の智深し。其の智深ければ、則ち其の会遠し。其の会遠ければ、衆人能く其の極まる所を見ること莫し。唯夫れ能く人をして其の事の極を見ざらしむ。其の事の極を見ざる者は、其の身を保ち、其の国を有つと為す。故に曰く、「其の極を知ること莫し」と。「其の極を知ること莫ければ、則ち以て国を有つべし」と。所謂「国を有つの母」とは、母は、道なり。道なる者は、国を有つ所以の術に生ず。国を有つ所以の術なり、故に之を「国を有つの母」と謂ふ。夫れ道以て世と周旋する者は、其の生を建つること長く、禄を持すること久し。故に曰く、「国を有つの母は、以て長久なるべし」と。樹木に曼根有り、直根有り。
現代語訳
人を治めることを知る者は、その思慮が静かである。天に仕えることを知る者は、その(目や耳などの)穴がむなしく開いている。思慮が静かであるから、もとからの徳が去らない。穴がむなしく開いていれば、調和の気が日ごとに入ってくる。だから「重ねて徳を積む」と言うのである。もとからの徳を去らせず、新たな調和の気を日ごとに招き入れることができるのは、早く道に従う者である。だから「早く従う、これを重ねて徳を積むという」と言うのである。徳を積んでこそ精神は静まり、精神が静まってこそ調和が多くなり、調和が多くなってこそ計略がうまくいき、計略がうまくいってこそ万物を制御できる。万物を制御できれば、戦ってたやすく敵に勝ち、戦ってたやすく敵に勝てば、その議論は必ず世を覆う。議論が必ず世を覆うので「勝たないものはない」と言うのである。勝たないものがないのは、重ねて徳を積むことにもとづく。だから「重ねて徳を積めば、勝たないものはない」と言うのである。戦ってたやすく敵に勝てば、天下をあわせ持つ。議論が必ず世を覆えば、民は従う。進んでは天下をあわせ、退いては民を従える。その術は奥深いので、多くの人はその始まりも終わりも見ることができない。始まりも終わりも見えないので、その行き着く果てを知ることができない。だから「勝たないものがなければ、その果てを知る者はない」と言うのである。およそ国を持ちながら後にこれを滅ぼし、身を持ちながら後にこれに災いを招くのは、国をよく持ち、身をよく保つとは言えない。国をよく持つ者は、必ず国家を安定させる。身をよく保つ者は、必ず天寿を全うする。そうであってはじめて、国をよく持ち、身をよく保つと言えるのである。国をよく持ち身をよく保つ者は、必ず道を体得している。道を体得すれば、その知恵は深い。知恵が深ければ、その計らいは遠くに及ぶ。計らいが遠くに及べば、多くの人はその行き着く所を見ることができない。ただ人にその事の果てを見せないことができる者だけが、身を保ち国を持つことができる。だから「その果てを知る者はない」と言い、「その果てを知る者がなければ、国を持つことができる」と言うのである。いわゆる「国を持つ母」の母とは、道のことである。道とは、国を持つための術から生まれるものである。国を持つための術であるから、それを「国を持つ母」というのである。道によって世の中とうまく付き合う者は、その命の土台を長く保ち、俸禄を長く維持する。だから「国を持つ母があれば、長く久しくいられる」と言うのである。樹木には横に張る根があり、まっすぐ下に伸びる根がある。
解説
関連する章句
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老子・第59章人を治め天に事うるは、嗇に若くは莫し。夫れ唯だ嗇、是を早服と謂う。早服は之を重ねて徳を積むと謂う。重ねて徳を積めば則ち克たざる無く、克たざる無ければ則ち其の極を知る莫し。其の極を知る莫ければ、以て国を有つべし。国を有つの母は、以て長久なるべし。是を根を深くし柢を固くし、長生久視の道と謂う。
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『韓非子』解老第二十慈母の弱子に於けるや、務めて其の福を致す。務めて其の福を致せば、則ち事其の禍を除く。事其の禍を除けば、則ち思慮熟す。思慮熟すれば、則ち事理を得。事理を得れば、則ち必ず功を成す。必ず功を成せば、則ち其の之を行ふや疑はず。疑はざる、之を勇と謂ふ。聖人の万事に於けるや、尽く慈母の弱子の為に慮るが如し。故に必行の道を見る。必行の道を見れば則ち明らかなり。其の事に従ふも亦疑はず。疑はざる、之を勇と謂ふ。疑はざるは慈に生ず。故に曰く、「慈なり、故に能く勇なり」と。周公曰く、「冬日の閉凍や固からざれば、則ち春夏の草木を長ずるや茂らず」と。天地も常に侈り常に費やすこと能はず、而るを況んや人に於てをや。故に万物は必ず盛衰有り、万事は必ず弛張有り、国家は必ず文武有り、官治は必ず賞罰有り。是を以て智士は倹しく其の財を用ゐれば則ち家富み、聖人は愛しみて其の神を宝とすれば則ち精盛んなり、人君は重んじて其の卒を戦はしむれば則ち民衆し。民衆ければ則ち国広し。是を以て之を挙げて曰く、「倹なり、故に能く広し」と。凡そ物の形有る者は裁ち易く、割き易し。何を以て之を論ずる。形有れば則ち短長有り、短長有れば則ち小大有り、小大有れば則ち方円有り、方円有れば則ち堅脆有り、堅脆有れば則ち軽重有り、軽重有れば則ち白黒有り。短長・大小・方円・堅脆・軽重・白黒、之を理と謂ふ。理定まりて物割き易し。故に大庭に議して而る後に言へば則ち立つ。権議の士は之を知る。故に方円を成さんと欲して其の規矩に随へば、則ち万事の功形はる。而して万物は規矩有らざるは莫し。議言の士は、規矩を計会するなり。聖人は尽く万物の規矩に随ふ。故に曰く、「敢へて天下の先と為らず」と。敢へて天下の先と為らざれば、則ち事として事とせざる無く、功として功とせざる無くして、議必ず世を蓋ふ。大官に処ること無からんと欲するも、其れ得べけんや。
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『韓非子』解老第二十衆人は多くして聖人は寡し。寡の衆に勝たざるは、数なり。今挙動して天下と之れ讎を為すは、全身長生の道に非ざるなり。是を以て軌節を行ひて之を挙ぐるなり。故に曰く、「方にして割かず、廉にして穢さず、直にして肆ならず、光りて耀かず」と。聡明睿智は、天なり。動静思慮は、人なり。人なる者は、天明に乗じて以て視、天聡に寄りて以て聴き、天智に託して以て思慮す。故に視ること強ければ、則ち目明らかならず。聴くこと甚だしければ、則ち耳聡からず。思慮度を過ぐれば、則ち智識乱る。目明らかならざれば、則ち黒白の分を決すること能はず。耳聡からざれば、則ち清濁の声を別つこと能はず。智識乱るれば、則ち得失の地を審らかにすること能はず。目黒白の色を決すること能はざる、則ち之を盲と謂ふ。耳清濁の声を別つこと能はざる、則ち之を聾と謂ふ。心得失の地を審らかにすること能はざる、則ち之を狂と謂ふ。盲なれば則ち昼日の険を避くること能はず。聾なれば則ち雷霆の害を知ること能はず。狂なれば則ち人間の法令の禍を免るること能はず。書の所謂「人を治む」とは、動静の節に適ひ、思慮の費を省くなり。所謂「天に事ふ」とは、聡明の力を極めず、智識の任を尽くさざるなり。苟も極め尽くせば、則ち神を費やすこと多し。神を費やすこと多ければ、則ち盲聾悖狂の禍至る。是を以て之を嗇しむ。之を嗇しむとは、其の精神を愛しみ、其の智識を嗇しむなり。故に曰く、「人を治め天に事ふるは嗇に如くは莫し」と。衆人の神を用ゐるや躁なり。躁なれば則ち費やすこと多し。費やすこと多き、之を侈と謂ふ。聖人の神を用ゐるや静なり。静なれば則ち費やすこと少なし。費やすこと少なき、之を嗇と謂ふ。嗇の謂ひは術なり、道理に生ず。夫れ能く嗇しむは、是れ道に従ひて理に服する者なり。衆人は患ひに離り、禍に陥りて、猶未だ退くことを知らずして、道理に服従せず。聖人は未だ禍患の形を見ずと雖も、虚無にして道理に服従す。以て蚤服と称す。故に曰く、「夫れ謂ふ嗇、是を以て蚤服す」と。
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『韓非子』解老第二十竽なる者は、五声の長なる者なり。故に竽先んずれば則ち鍾瑟皆随ひ、竽唱ふれば則ち諸楽皆和す。今大姦作れば則ち俗の民唱ひ、俗の民唱へば則ち小盗必ず和す。故に「文采を服し、利剣を帯び、飲食に厭き、而して貨資余り有る者、是れを之れ盗竽と謂ふ」と。人は愚智と無く、趨舎有らざるは莫し。恬淡平安なれば、禍福の由りて来たる所を知らざるは莫し。好悪に得られ、淫物に怵かされて、而る後に変乱す。然る所以の者は、外物に引かれ、玩好に乱さるればなり。恬淡なれば趨舎の義有り、平安なれば禍福の計を知る。而るに今や玩好之を変じ、外物之を引く。之を引きて往く、故に「抜く」と曰ふ。聖人に至りては然らず。一たび其の趨舎を建つれば、好む所の物を見ると雖も引くこと能はず。引くこと能はざる、之を「抜けず」と謂ふ。其の情に一なれば、欲すべきの類有りと雖も神為に動かず。神為に動かざる、之を「脱せず」と謂ふ。人の子孫為る者、此の道を体して以て宗廟を守れば、宗廟滅びず、之を「祭祀絶えず」と謂ふ。身は精を積むを以て徳と為し、家は資財を以て徳と為し、郷国天下は皆民を以て徳と為す。今身を治めて外物其の精神を乱すこと能はず、故に曰く、「之を身に修むれば、其の徳乃ち真なり」と。真なる者は、慎みの固きなり。家を治めて、無用の物其の計を動かすこと能はざれば、則ち資余り有り。故に曰く、「之を家に修むれば、其の徳余り有り」と。郷を治むる者此の節を行へば、則ち家の余り有る者益々衆し。故に曰く、「之を郷に修むれば、其の徳乃ち長し」と。邦を治むる者此の節を行へば、則ち郷の徳有る者益々衆し。故に曰く、「之を邦に修むれば、其の徳乃ち豊かなり」と。天下に莅む者此の節を行へば、則ち民の生、其の沢を受けざるは莫し。故に曰く、「之を天下に修むれば、其の徳乃ち普し」と。身を修むる者は此れを以て君子小人を別ち、郷を治め邦を治め天下に莅む者は各々此れを以て科して息耗を適観すれば、則ち万に一を失はず。故に曰く、「身を以て身を観、家を以て家を観、郷を以て郷を観、邦を以て邦を観、天下を以て天下を観る。吾奚を以て天下の然るを知るや。此れを以てなり」と。
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『韓非子』解老第二十子に慈なる者は敢へて衣食を絶たず。身に慈なる者は敢へて法度を離れず。方円に慈なる者は敢へて規矩を舎てず。故に兵に臨みて士吏に慈なれば則ち戦ひて敵に勝ち、器械に慈なれば則ち城堅固なり。故に曰く、「慈なれば、戦ふに於ては則ち勝ち、以て守れば則ち固し」と。夫れ能く自ら全くして尽く万物の理に随ふ者は、必ず且に天生有らんとす。天生なる者は、生心なり。故に天下の道は尽く之れ生なり。若し慈を以て之を衛れば、事必ず万全にして、挙げて当たらざる無し、則ち之を宝と謂ふ。故に曰く、「吾に三宝有り、持して之を宝とす」と。書の所謂「大道」なる者は、端道なり。所謂貌「施」なる者は、邪道なり。所謂「径」大なる者は、佳麗なり。佳麗なる者は、邪道の分なり。「朝甚だ除す」とは、獄訟繁きなり。獄訟繁ければ則ち田荒る。田荒るれば則ち府倉虚し。府倉虚しければ則ち国貧し。国貧しくして民俗淫侈なり。民俗淫侈なれば則ち衣食の業絶ゆ。衣食の業絶ゆれば則ち民巧詐を飾ること無きを得ず。巧詐を飾れば則ち采文を知る。采文を知る、之を「文采を服す」と謂ふ。獄訟繁く、倉廩虚しくして、淫侈を以て俗と為す有れば、則ち国の傷つくや利剣を以て之を刺すが若し。故に曰く、「利剣を帯ぶ」と。諸夫の智故を飾りて以て国を傷つくるに至る者は、其の私家必ず富む。私家必ず富む、故に曰く、「資貨余り有り」と。国に是くの若き者有れば、則ち愚民術無くして之に效はざるを得ず。之に效へば則ち小盗生ず。
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『韓非子』解老第二十故に理を以て之を観れば、大衆を事として数々之を揺らせば、則ち功を成すこと少なし。大器を蔵して数々之を徒せば、則ち敗傷すること多し。小鮮を烹て数々之を撓せば、則ち其の沢を賊ふ。大国を治めて数々法を変ずれば、則ち民之に苦しむ。是を以て有道の君は静を貴びて、法を変ずることを重んぜず。故に曰く、「大国を治むる者は小鮮を烹るが若し」と。人は疾に処れば医を貴び、禍有れば鬼を畏る。聖人上に在れば、則ち民欲少なし。民欲少なければ、則ち血気治まりて挙動理あり。挙動理あれば、則ち禍害少なし。夫れ内に痤疽癉痔の害無くして、外に刑罰法誅の禍無き者は、其の鬼を軽恬すること甚だし。故に曰く、「道を以て天下に莅めば、其の鬼神ならず」と。治世の民は、鬼神と相害せず。故に曰く、「其の鬼神ならざるに非ざるなり、其の神人を傷つけざるなり」と。鬼祟りて人を疾ましむる、之を鬼人を傷つくと謂ふ。人之を逐除する、之を人鬼を傷つくと謂ふなり。民法令を犯す、之を民上を傷つくと謂ふ。上民を刑戮する、之を上民を傷つくと謂ふ。民法を犯さざれば、則ち上も亦刑を行はず。上刑を行はざる、之を上人を傷つけずと謂ふ。故に曰く、「聖人も亦民を傷つけず」と。上民と相害せず、而して人鬼と相傷つけず。故に曰く、「両ながら相傷つけず」と。民敢へて法を犯さざれば、則ち上内は刑罰を用ゐずして、外は其の産業を利することを事とせず。上内は刑罰を用ゐずして、外は其の産業を利することを事とせざれば、則ち民蕃息す。民蕃息して畜積盛んなり。民蕃息して畜積盛んなる、之を徳有りと謂ふ。凡そ所謂崇とは、魂魄去りて精神乱るるなり。精神乱るれば則ち徳無し。鬼人に祟らざれば則ち魂魄去らず。魂魄去らずして精神乱れず。精神乱れざる、之を徳有りと謂ふ。上畜積を盛んにして鬼其の精神を乱さざれば、則ち徳尽く民に在り。故に曰く、「両ながら相傷つけざれば、則ち徳交々帰す」と。其の徳上下交々盛んにして倶に民に帰するを言ふなり。