韓非子 / 解老第二十
直根者,書之所謂「柢」也。柢也者,木之所以建生也;曼根者,木之所以持生也。德也者,人之所以建生也;禄也者,人之所以持生也。今建於理者,其持禄也久,故曰:「深其根。」體其道者,其生日長,故曰:「固其柢。」柢固則生長,根深則視久,故曰:「深其根,固其柢,長生久視之道也。」
新字:直根者,書之所謂「柢」也。柢也者,木之所以建生也;曼根者,木之所以持生也。徳也者,人之所以建生也;禄也者,人之所以持生也。今建於理者,其持禄也久,故曰:「深其根。」体其道者,其生日長,故曰:「固其柢。」柢固則生長,根深則視久,故曰:「深其根,固其柢,長生久視之道也。」
書き下し
直根は、書の所謂「柢」なり。柢なる者は、木の生を建つる所以なり。曼根なる者は、木の生を持する所以なり。徳なる者は、人の生を建つる所以なり。禄なる者は、人の生を持する所以なり。今理に建つ者は、其の禄を持すること久し。故に曰く、「其の根を深くす」と。其の道を体する者は、其の生日に長し。故に曰く、「其の柢を固くす」と。柢固ければ則ち生長く、根深ければ則ち視ること久し。故に曰く、「其の根を深くし、其の柢を固くするは、長生久視の道なり」と。
現代語訳
まっすぐ下に伸びる根は、書物(『老子』)のいう「柢」である。柢とは、木がその命の土台を立てるものである。横に張る根は、木がその命を保つものである。徳とは、人がその命の土台を立てるものである。俸禄とは、人がその命を保つものである。いま道理の上に立つ者は、その俸禄を長く保つ。だから「その根を深くする」と言うのである。その道を体得する者は、その命が日ごとに長くなる。だから「その柢を固くする」と言うのである。柢が固ければ命は長く、根が深ければ長く世を見ることができる。だから「その根を深くし、その柢を固くするのは、長生きし長く世を見る道である」と言うのである。
解説
『老子』第五十九章の結び「根を深くし柢を固くす、長生久視の道なり」の注釈です。韓非は木の根を二つに分け、まっすぐ下に伸びる直根を「柢」、横に広がる曼根を「根」とします。直根は木の命の土台を立て、曼根は木の命を支え養う。これを人に当てはめると、徳が命の土台であり、俸禄が生活を支えるものだと言います。そして、道理の上に立つ者は俸禄を長く保ち、道を体得する者は命が長くなる、と結びます。組織に置き換えれば、理念や信頼という見えない直根と、収益という横に張る根の両方が必要だということでしょう。どちらか一方だけでは、長く立ち続けることはできません。
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