韓非子 / 南面第十八
人主者,明能知治,嚴必行之,故雖拂於民,必立其治。說在商君之内外而鐵殳,重盾而豫戒也。故郭偃之始治也,文公有官卒;管仲始治也,桓公有武車:戒民之備也。是以遇贛窳墯之民,苦小費而忘大利也,故夤虎受阿謗。而𨌑小變而失長便,故鄒賈非載旅。狎習於亂而容於治,故鄭人不能歸。
新字:人主者,明能知治,厳必行之,故雖払於民,必立其治。説在商君之内外而鉄殳,重盾而予戒也。故郭偃之始治也,文公有官卒;管仲始治也,桓公有武車:戒民之備也。是以遇贛窳墯之民,苦小費而忘大利也,故夤虎受阿謗。而𨌑小変而失長便,故鄒賈非載旅。狎習於乱而容於治,故鄭人不能帰。
書き下し
人主は、明は能く治を知り、厳は必ず之を行ふ。故に民に払ると雖も、必ず其の治を立つ。説は商君の内外して鉄殳し、盾を重ねて豫め戒むるに在り。故に郭偃の始めて治むるや、文公に官卒有り。管仲の始めて治むるや、桓公に武車有り。民を戒むるの備へなり。是を以て贛窳墯の民に遇へば、小費に苦しみて大利を忘る。故に夤虎阿謗を受く。而して小変に𨌑して長便を失ふ。故に鄒賈旅を載するを非とす。乱に狎習して治に容る。故に鄭人帰ること能はず。
現代語訳
君主とは、その明察によって政治のあり方を知り、その厳しさによって必ずそれを実行する者である。だから民の意に逆らっても、必ずその政治を打ち立てる。その説明は、商君(商鞅)が出入りの際に鉄の矛を持った者と盾を重ねた者に護衛させ、あらかじめ警戒したことにある。だから郭偃が(晋で)はじめて政治を改めたとき、文公には護衛の兵がいた。管仲がはじめて政治を改めたとき、桓公には戦車の備えがあった。民の反発に備えるためである。だから、愚かで怠惰な民に出会えば、民は小さな出費に苦しんで大きな利益を忘れる。だから夤虎はおもねりとそしりを受けた。また民は小さな変化にこだわって長い目で見た便利さを失う。だから鄒賈は(兵を)旅に出すことを非難した。民は乱れに慣れ親しんで、治まった状態を受け入れようとしない。だから鄭の人は(治まった国へ)帰ることができなかった。
解説
関連する章句
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『韓非子』南面第十八管仲、斉を易うる毋く、郭偃、晋を更むる毋くんば、則ち桓・文覇たらず。凡そ人の古を変うるを難しとするは、民の安きを易うるを憚ればなり。夫れ古を変えざる者は、乱の迹を襲ぎ、民心に適う者は、姦の行を恣にす。民愚にして乱を知らず、上懦にして更むること能わざるは、是れ治の失なり。
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『商君書』更法公孫鞅曰く、「臣これを聞く、『疑行に成無く、疑事に功無し』と。君亟やかに變法の慮を定め、殆ど天下のこれを議するを顧みる無かれ。且つ夫れ高人の行い有る者は、固より世に負かれ、獨知の慮有る者は、必ず民に訾らる。語に曰く、『愚者は成事に闇く、知者は未萌に見る。民とは始めを慮るべからずして、成るを樂しむべし』と。郭偃の法に曰く、『至德を論ずる者は、俗に和せず、大功を成す者は、眾に謀らず』と。法とは、民を愛する所以なり、禮とは、事を便にする所以なり。是を以て聖人は苟くも以て國を強くすべくんば、その故に法らず、苟くも以て民を利すべくんば、その禮に循わず」と。
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『韓非子』南面第十八人主の過ちは、已に臣に任じて、又必ず反って其の任ぜざる所の者と之に備ふるに在り。此れ其の説必ず其の任ずる所の者と讎と為りて、主反って其の任ぜざる所の者に制せらる。
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『韓非子』南面第十八今、大費するも罪無くして少しく得るを功と為せば、則ち人臣大費を出だして小功を成し、小功成りて主も亦た害有り。治を知らざる者は、必ず曰く、「古を変うる無かれ、常を易うる毋かれ」と。変と不変とは、聖人聴かず、治を正すのみ。
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『韓非子』南面第十八人主に事に誘はるる者有り、言に壅がるる者有り。二者察せざるべからざるなり。
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『韓非子』南面第十八非誉交々争へば、則ち主惑乱す。人臣たる者は、名誉請謁に非ざれば以て進取すること無く、法に背き専制するに非ざれば以て威を為すこと無く、忠信を仮るに非ざれば以て禁ぜられざること無し。