韓非子 / 和氏第十三
當今之世,大臣貪重,細民安亂,甚於秦、楚之俗,而人主無悼王、孝公之聽,則法術之士,安能蒙二子之危也而明己之法術哉?
新字:当今之世,大臣貪重,細民安乱,甚於秦、楚之俗,而人主無悼王、孝公之聴,則法術之士,安能蒙二子之危也而明己之法術哉?
書き下し
当今の世、大臣は重きを貪り、細民は乱に安んずること、秦・楚の俗よりも甚だし。而して人主に悼王・孝公の聴無ければ、則ち法術の士、安んぞ能く二子の危ふきを蒙りて己の法術を明らかにせんや。
現代語訳
今の世では、大臣は権勢をむさぼり、下々の民は乱れた状態に安住していて、それは(呉起や商鞅の時代の)秦や楚の風習よりもひどい。しかも君主には悼王や孝公のように聞き入れる度量がない。そうであれば、法術の士が、どうしてあの二人のような危険を冒してまで自分の法術を明らかにできようか。
解説
「和氏」篇の結びです。呉起と商鞅は、悼王と孝公という理解ある君主がいたからこそ改革を進められましたが、それでも最後は殺されました。韓非は、今の世はそれ以上に大臣が権勢をむさぼり、民も乱れに慣れているのに、君主には二人の王ほどの度量もないと嘆きます。これでは誰が命を懸けて法術を説くだろうか、という問いで篇は終わります。韓の国で自説を用いられなかった韓非自身の憤りがにじむ一節とも読めます。組織が改革者を得られないのは、人材がいないからではなく、改革者を支えるトップがいないからかもしれない、と考えさせられます。
関連する章句
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『韓非子』和氏第十三昔者、呉起楚の悼王に教ふるに楚国の俗を以てして曰く、「大臣太だ重く、封君太だ衆し。此くの若くんば、則ち上は主に偪り、下は民を虐ぐ。此れ国を貧しくし兵を弱くするの道なり。封君の子孫三世にして爵禄を収め、百吏の禄秩を絶減し、不急の枝官を損じて、以て選練の士を奉ずるに如かず」と。悼王之を行ふこと期年にして薨ず。呉起楚に枝解せらる。商君秦の孝公に教ふるに、什伍を連ね、告坐の過を設け、詩書を燔きて法令を明らかにし、私門の請を塞ぎて公家の労を遂げ、游宦の民を禁じて耕戦の士を顕らかにするを以てす。孝公之を行ひ、主以て尊安、国以て富強なり。八年にして薨じ、商君秦に車裂せらる。
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『韓非子』和氏第十三今人主の法術に於けるや、未だ必ずしも和璧の急ならざるなり。而して群臣士民の私邪を禁ず。然らば則ち有道者の僇せられざるは、特だ帝王の璞未だ献ぜられざるのみ。
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『韓非子』和氏第十三然り而して呉起を枝解して商君を車裂する者は何ぞや。大臣は法に苦しみて、細民は治を悪めばなり。
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『韓非子』和氏第十三楚、呉起を用いずして削亂し、秦、商君の法を行いて富強なり。二子の言なるや巳に當れり。
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『韓非子』問田第四十二是に由りて之を観れば、夫れ屯伯の試、州部の関無きは、豈に明主の備へならんや。」堂谿公、韓子に謂ひて曰く、「臣聞く、礼に服し辞譲するは、全うするの術なり。行を修め智を退くるは、遂ぐるの道なりと。今先生は法術を立て、度数を設く、臣竊かに以て身に危ふく軀に殆ふしと為す。何を以て之を效さん。先生の術を聞く所に曰く、『楚は呉起を用ひずして削乱し、秦は商君を行ひて富彊なり。二子の言已に当たれり、然り而して呉起は支解せられ商君は車裂せらるる者は、世に逢ひ主に遇はざるの患なり』と。逢遇は必すべからざるなり、患禍は斥くべからざるなり。夫れ全遂の道を舎てて危殆の行を肆にするは、竊かに先生の為に取る無し。」韓子曰く、「臣先生の言を明らかにせり。夫れ天下を治むるの柄、民萌を斉ふるの度は、甚だ未だ処り易からざるなり。然れども先王の教へを廃して、賤臣の取る所を行ふ所以の者は、竊かに以為へらく、法術を立て、度数を設くるは、民萌を利し、衆庶を便にするの道なればなり。
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『韓非子』和氏第十三主、術を用うれば則ち大臣、斷を擅にするを得ず、近習、敢て重を賣らざらん。…則ち法術なる者は乃ち群臣士民の禍とする所なり。