韓非子 / 和氏第十三
此世所以乱無霸王也。
新字:此世所以乱無覇王也。
書き下し
此れ世の亂れて霸王の無き所以なり。
現代語訳
これこそが世の中が乱れて覇王が現れない理由である。
解説
世の中がいつまでも乱れたままで、抜きん出て天下を治める人物が現れないのは、まさにこうした事情のためだ、と韓非は結論づけます。改革を進めれば重臣からも民衆からも恨まれるという厳しさゆえに、多くの人はその覚悟を持てず、結局は誰も本気で物事を変えようとしないまま、行き詰まりだけが続いてしまうのです。これは今の会社や地域にも通じる話です。皆が「このままではまずい」と分かっていながら、反発を恐れて誰も手を付けないまま、問題が先送りされ続けることはよくあります。子育てや近所付き合いでも同じで、波風を立てたくない気持ちが、結局は根本的な改善を遠ざけてしまいます。恨まれる覚悟を持って一歩を踏み出す人がいなければ、行き詰まりは変わらないという、厳しくも大切な教えです。
この章句が説くこと
リーダーシップの不在停滞既得権益決断力変革
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