韓非子 / 二柄第七
齊桓公妬而好内,故竪刁自宫以治内;桓公好味,易牙蒸其子首而進之;燕子噲好賢,故子之明不受國。故君見惡,則羣臣匿端;君見好,則羣臣誣能。人主欲見,則羣臣之情態得其資矣。故子之託於賢以奪其君者也,竪刁、易牙因君之欲以侵其君者也。其卒,子噲以亂死,桓公蟲流出户而不葬。
新字:斉桓公妬而好内,故竪刁自宮以治内;桓公好味,易牙蒸其子首而進之;燕子噲好賢,故子之明不受国。故君見悪,則羣臣匿端;君見好,則羣臣誣能。人主欲見,則羣臣之情態得其資矣。故子之託於賢以奪其君者也,竪刁、易牙因君之欲以侵其君者也。其卒,子噲以乱死,桓公虫流出戸而不葬。
書き下し
斉の桓公妬みて内を好む、故に豎刁自ら宮して以て内を治む。桓公味を好む、易牙其の子の首を蒸して之を進む。燕の子噲賢を好む、故に子之明らかに国を受けず。故に君悪を見せば、則ち群臣端を匿す。君好を見せば、則ち群臣能を誣ふ。人主の欲見るれば、則ち群臣の情態其の資を得。故に子之は賢に託して以て其の君を奪ふ者なり。豎刁・易牙は君の欲に因りて以て其の君を侵す者なり。其の卒、子噲は乱を以て死し、桓公は虫戸より流れ出でて葬られず。
現代語訳
斉の桓公は嫉妬深く後宮の女性を好んだので、豎刁は自ら去勢して後宮の取り締まりを任された。桓公は美味を好んだので、易牙は自分の子の首を蒸して献上した。燕の王噲(子噲)は賢者を好んだので、子之は国を譲られても受けないふりをして賢者らしく見せた。だから君主が嫌うものを見せれば、臣下たちは本心を隠す。君主が好むものを見せれば、臣下たちは能力を偽る。君主の欲が表に出れば、臣下たちの取り繕いはそれを元手にできる。だから子之は賢者を装って君主から国を奪った者であり、豎刁と易牙は君主の欲につけ込んで君主を侵した者である。その結果、子噲は内乱で死に、桓公は死後に遺体から蛆が戸口まで流れ出ても葬られなかった。
解説
君主が好みを見せると、臣下はそれにつけ込んで取り入り、ついには君主を滅ぼす、と三つの故事で示す一節です。斉の桓公に取り入った豎刁と易牙、燕王噲に賢者を装って国を譲られた子之の話はいずれも有名で、十過篇でも管仲が豎刁や易牙を用いるなと遺言した話が詳しく描かれます。子之の件は紀元前316年ごろ燕が大乱に陥った史実とされます。好みを見せれば臣下は能力を偽り、嫌いを見せれば欠点を隠す、というのが韓非の結論です。上司が何を喜ぶかを部下が知り尽くしている職場では、報告も振る舞いもそれに合わせて作られます。好みを隠すことは、人を正しく見るための防御でもあります。
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