韓非子 / 二柄第七
故越王好勇而民多輕死;楚靈王好細腰而國中多餓人;
新字:故越王好勇而民多軽死;楚霊王好細腰而国中多餓人;
書き下し
楚の靈王、細腰を好みて、國中に餓人多し。
現代語訳
楚の霊王が(個人的に)細い腰(スリムな体型)を好んだため、国中の人々が無理なダイエットに走り、餓死者まで出る事態となった。
解説
楚の国の霊王が細い腰を好んだために、家臣も民衆もこぞって腰を細くしようと無理な食事制限を行い、ついには餓死する者まで出たと韓非子は伝えます。同じ章では、越の王が勇ましさを好んだために、人々が命を粗末にしてまで勇敢さを競ったことも並べて挙げられています。上に立つ人のほんの個人的な好みが、下の者たちには絶対の物差しであるかのように映り、時には健康や命を犠牲にするほどの行き過ぎた行動を引き起こしてしまうのです。これは今も変わりません。親が痩せた体つきをほめれば子供が無理な食事を続けたり、監督が声の大きさを評価すれば選手が体を壊してまで声を張り上げたりします。人の上に立つ者は、自分の何気ない一言や好みがどれほど大きな力を持つかを、常に自覚しておく必要があります。
この章句が説くこと
リーダーの好み忖度トップダウン企業文化歪み
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