晏子春秋 / 問上・景公問忠臣之事君何若晏子對以不與君陷於難
景公問于晏子曰:「忠臣之事君何若?」晏子對曰:「有難不死,出亡不送。」公不說、曰:「君裂地而封之,疏爵而貴之。君有難不死,出亡不送。其說何也?」對曰:「言而見用,終身無難,臣奚死焉?謀而見從,終身不亡,臣奚送焉?若言不見用,有難而死之,是妄死也;謀而不見從,出亡而送之,是詐偽也。故忠臣也者,能納善於君,不能與君陷於難。」
新字:景公問于晏子曰:「忠臣之事君何若?」晏子対曰:「有難不死,出亡不送。」公不説、曰:「君裂地而封之,疏爵而貴之。君有難不死,出亡不送。其説何也?」対曰:「言而見用,終身無難,臣奚死焉?謀而見従,終身不亡,臣奚送焉?若言不見用,有難而死之,是妄死也;謀而不見従,出亡而送之,是詐偽也。故忠臣也者,能納善於君,不能与君陥於難。」
書き下し
景公、晏子に問いて曰く、「忠臣の君に事うること何若」と。晏子対えて曰く、「難有るも死せず、出亡するも送らず」と。公説ばず、曰く、「君、地を裂きて之を封じ、爵を疏ちて之を貴くす。君に難有るも死せず、出亡するも送らず。其の説は何ぞや」と。対えて曰く、「言いて用いらるれば、終身難無し、臣奚ぞ死せん。謀りて従わるれば、終身亡びず、臣奚ぞ送らん。若し言用いられざるに、難有りて之に死せば、是れ妄死なり。謀りて従われざるに、出亡して之を送らば、是れ詐偽なり。故に忠臣なる者は、善を君に納るる能うも、君と難に陥るる能わず」と。
現代語訳
景公が晏子に尋ねました。「忠臣は君にどのように仕えるものか」。晏子は「君に災難があっても死なず、君が国外へ逃れても見送りません」と答えました。公は不機嫌になり、言いました。「君が土地を分けて領地を与え、爵位を分けて尊くした。その臣が、君に災難があっても死なず、国を出るときも見送らない。どういうわけか」。晏子は答えます。「申し上げたことが用いられれば、君は生涯災難に遭わないのですから、臣が死ぬ必要がありません。謀りごとが聞き入れられれば、君は生涯国を失わないのですから、臣が見送る必要がありません。もし言葉が用いられないのに、災難に遭って殉じれば、それは意味のない死です。謀りごとが聞き入れられないのに、国外へ逃れる君を見送れば、それは偽りです。ですから忠臣とは、君に善を受け入れさせることはできても、君と一緒に災難に陥ることはできないのです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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廟堂忠告・獻納第九人臣の言を君に納るるや、事いまだ然らざるに之を言えば、則ち十に八九從う。事無ければ則ち游畋般樂(ゆうでんはんらく)し、日に相親比す。一旦不可なる所有れば、乃ち左に遮り右に挽き、其の力を極めて以て之を救うも、殆ど其の濟る者を見ず。政(たと)い或いは允すも、亦必ず勉強に出でて其の本心に非ず。若し夫れ納言に善き者は則ち然らず、或いは進見に因り、或いは講讀に因り、或いは燕居に因り、事に先だちて陳說す、「是くの如くなれば則ち國安し、是くの如くなれば則ち國危うし、是くの如くなれば則ち聖君と為り、是くの如くなれば則ち暴主と為る」と。或いは古昔を引き、或いは祖宗を援き、必ず之をして心悟神會せしめ、表裏聳然として、乃ち善を陳べて扞格(かんかく)の患い無かるべし。昔孟子三たび齊王に見えて事を言わず、曰く、「我先ず其の邪心を攻めん」と。大臣の君に事うる、職當に此くの如くなるべし。古人甚だしきに至りては自ら言うに難き者有り、往往にして名の耆年宿德(きねんしゅくとく)なる者を旁(かたわら)にして、諸(これ)を左右に置き、人君をして畏憚する所有りて敢えて恣(ほしいまま)にせざらしむ、則ち其の慮を為すこと亦深遠なり。然りと雖も、臣の君に於けるや、入りては則ち懇懇として以て忠を盡し、出でては則ち謙謙として以て自ら悔ゆ。凡そ上に白す所の者、外に洩らして諸人に伐(ほこ)るべからず。善は則ち君に歸し、過ちは則ち巳に歸す。其れ是くの如き者は、嫌を遠ざけ禍を避けんと欲するに非ず、大臣の體(たい)の當に然るべき所なり。坤の六二、章を含みて貞にすべし、盖し亦此の意なり。甞て見る、近代の執政、建白する所有りて呶呶(どうどう)焉として惟だ人の知らざるを恐れ、卒に讒譖(ざんせん)の之に乘ずるに至り、中途にして棄てらる。易の大係に謂う所の「君密ならざれば則ち臣を失い、臣密ならざれば則ち身を失う」とは、諒(まこと)なるかな。
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『講孟余話』公孫丑下 第五章「霊丘を辞して士師を請ふ」。霊丘は下邑なり、其の大夫は今の代官の類にして、而も常に治所に居る。故に都城に遠くして、数々得失を上言することを得ず。故に士師を請ふ。士師は都城の官なれば、上言も心の儘なるを以てなり。漢の武帝元狩五年、初めて諫大夫を置く。是れより以前は諫官と云ふ者なき故に、諸官皆上言することを得しなり。註に「士師は王に近く、以て刑罰の中らざる者を諫むることを得」と云ふ。然れども士師の言ふことを得る、恐らくは刑罰を諫むるに止まらざるべし。
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言志四録・言志晩録 別存 第三十四条 奏疏の通患公嘗て余に語りて曰く、「古人の奏疏は、固より忠言讜論多く、時弊に切中す。然れども事未だ発せずして之を言へば、率ね用ゐられず。已に発して之を言へば、遂に及ばず。是れ古今の通患なり」と。余其の言の的然たるに服す。
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『韓非子』難言第三故に文王紂に説きて紂之を囚ふ。翼侯は炙られ、鬼侯は腊にせられ、比干は心を剖かれ、梅伯は醢にせられ、夷吾は束縛せられ、而して曹羈は陳に奔り、伯里子は道に乞ひ、傅説は転鬻せられ、孫子は魏に臏脚せられ、呉起は岸門に抆泣し、西河の秦と為るを痛み、卒に楚に枝解せられ、公叔痤は国器を言ひて反りて悖と為され、公孫鞅は秦に奔り、関竜逄は斬られ、萇弘は胣を分かたれ、尹子は棘に穽せられ、司馬子期は死して江に浮かべられ、田明は辜射せられ、宓子賤・西門豹は闘はずして人の手に死し、董安于は死して市に陳ねられ、宰予は田常に免れず、
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史記 万石張叔列伝建老いて白首なるも、万石君尚ほ恙無し。建郎中令と為り、五日毎に洗沐して帰りて親に謁し、子舎に入り、竊かに侍者に問ひ、親の中帬廁牏を取りて、身自ら浣滌し、復た侍者に与へ、敢へて万石君をして知らしめず、以て常と為す。建郎中令と為り、事の言ふべき有れば、人を屏けて恣に言ひ、極めて切なり。廷見するに至りては、言ふ能はざる者の如し。是を以て上乃ち親しく之を尊礼す。
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『講孟余話』公孫丑下 第五章「今既に数月なり、未だ以て言ふべからざるか」。未の一字妙甚し。唐の韓退之の争臣論、宋の欧陽永叔の上范司諫書、皆此の字より敷衍し来るなり。蚳鼃士師を請ふの初心、固より国の利弊得失を極言せんが為なり。其の官に拝するに至りては、宜しく朝に拝して夕に言ふべし。然るに数月に至りて曾て一言なき者は、初めて官を拝し、未だ其の職事を通知すること能はず、言を発するに暇あらざるか。又は同僚先官を憚る所ありて、未だ発せざるか。又は事の小なる者は多けれども、未だ言ふに足らず、必ず其の事の大なる者を待ちて後言はんと欲するか。大抵此の三端に過ぎず。孟子深く蚳鼃が心中を推察して、未の字を下すなり。而して其の注意は、時を待ちて言はんと欲せば、言ふべきの期あることなし。事の大小に拘らず、一日も早く言ふべしとの事なり。言甚だ婉曲にして意実に緊切なり。抑々今の要路に当る者も亦「未だ以て言ふべからざるか」。余、韓・欧二家の文を併せて之れを叩かんと欲す。
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