講孟余話 / 公孫丑下 第五章
今既数月矣、未可以言與、未ノ一字妙甚シ、唐ノ韓退之爭臣論、宋ノ歐陽永叔上范司諫書、皆此字ヨリ敷衍シ來ルナリ、蚳鼃士師ヲ請フノ初心、固ヨリ国ノ利弊得失ヲ極言センカ爲ナリ、其官ニ拜スルニ至テハ、宜シク朝ニ拜シテ夕ニ言ベシ、然ルニ数月ニ至リテ曾テ一言ナキ者ハ、初テ官ヲ拜シ、未タ其職事ヲ通知スルコト能ハズ、言ヲ発スルニ暇アラサルカ、又ハ同僚先官ヲ憚ル所アリテ、未タ発セサルカ、又ハ事ノ小ナル者ハ多ケレトモ、未タ言フニ足ラス、必其事ノ大ナル者ヲ待テ後言ント欲スルカ、大氏此三端ニ過キズ、孟子深ク蚳鼃カ心中ヲ推察シテ、未ノ字ヲ下スナリ、而シテ其注意ハ時ヲ待テ言ント欲セハ、言フヘキノ期アルコトナシ、事ノ大小ニ拘ラズ、一日モ早ク言ベシトノ事ナリ、言甚婉曲ニシテ意実ニ緊切ナリ、抑今ノ要路ニ當ル者モ亦未可以言與、余韓歐二家ノ文ヲ併セテ之ヲ叩ント欲ス
新字:今既数月矣、未可以言与、未ノ一字妙甚シ、唐ノ韓退之争臣論、宋ノ欧陽永叔上范司諫書、皆此字ヨリ敷衍シ来ルナリ、蚳鼃士師ヲ請フノ初心、固ヨリ国ノ利弊得失ヲ極言センカ為ナリ、其官ニ拝スルニ至テハ、宜シク朝ニ拝シテ夕ニ言ベシ、然ルニ数月ニ至リテ曽テ一言ナキ者ハ、初テ官ヲ拝シ、未タ其職事ヲ通知スルコト能ハズ、言ヲ発スルニ暇アラサルカ、又ハ同僚先官ヲ憚ル所アリテ、未タ発セサルカ、又ハ事ノ小ナル者ハ多ケレトモ、未タ言フニ足ラス、必其事ノ大ナル者ヲ待テ後言ント欲スルカ、大氏此三端ニ過キズ、孟子深ク蚳鼃カ心中ヲ推察シテ、未ノ字ヲ下スナリ、而シテ其注意ハ時ヲ待テ言ント欲セハ、言フヘキノ期アルコトナシ、事ノ大小ニ拘ラズ、一日モ早ク言ベシトノ事ナリ、言甚婉曲ニシテ意実ニ緊切ナリ、抑今ノ要路ニ当ル者モ亦未可以言与、余韓欧二家ノ文ヲ併セテ之ヲ叩ント欲ス
書き下し
「今既に数月なり、未だ以て言ふべからざるか」。未の一字妙甚し。唐の韓退之の争臣論、宋の欧陽永叔の上范司諫書、皆此の字より敷衍し来るなり。蚳鼃士師を請ふの初心、固より国の利弊得失を極言せんが為なり。其の官に拝するに至りては、宜しく朝に拝して夕に言ふべし。然るに数月に至りて曾て一言なき者は、初めて官を拝し、未だ其の職事を通知すること能はず、言を発するに暇あらざるか。又は同僚先官を憚る所ありて、未だ発せざるか。又は事の小なる者は多けれども、未だ言ふに足らず、必ず其の事の大なる者を待ちて後言はんと欲するか。大抵此の三端に過ぎず。孟子深く蚳鼃が心中を推察して、未の字を下すなり。而して其の注意は、時を待ちて言はんと欲せば、言ふべきの期あることなし。事の大小に拘らず、一日も早く言ふべしとの事なり。言甚だ婉曲にして意実に緊切なり。抑々今の要路に当る者も亦「未だ以て言ふべからざるか」。余、韓・欧二家の文を併せて之れを叩かんと欲す。
現代語訳
「すでに数か月たったが、まだ申し上げることができないのか」。この「未」の一字はまことに巧みである。唐の韓愈の「争臣論」や、宋の欧陽脩の「范司諫に上る書」は、みなこの字から説き広げたものである。蚳鼃が士師の職を願った初心は、もとより国の利害得失を思い切って申し上げるためであった。その職に任じられたからには、朝に任命されたらその夕べには意見を申し上げるべきである。それなのに数か月たってもまだ一言もないのは、任官したばかりでまだ職務に通じておらず、意見を言う暇がないのか。あるいは同僚や先任の役人に遠慮するところがあって、まだ言い出せないのか。あるいは小さな事は多いけれども言うに足りず、必ず大きな事を待ってから言おうと思っているのか。たいていはこの三つのどれかにすぎない。孟子は蚳鼃の心の中を深く推し量って「未」の字を使ったのである。その注意するところは、時を待ってから言おうとすれば、言うべき時など来ることはない。事の大小にかかわらず、一日も早く言うべきだ、ということである。言葉はたいへん婉曲だが、意味はまことに切実である。そもそも今の要職にある人々もまた「まだ申し上げることができないのか」。私は韓愈と欧陽脩の二人の文を併せて、彼らを問いただしたいと思う。
解説
この章句が説くこと
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廟堂忠告・獻納第九人臣の言を君に納るるや、事いまだ然らざるに之を言えば、則ち十に八九從う。事無ければ則ち游畋般樂(ゆうでんはんらく)し、日に相親比す。一旦不可なる所有れば、乃ち左に遮り右に挽き、其の力を極めて以て之を救うも、殆ど其の濟る者を見ず。政(たと)い或いは允すも、亦必ず勉強に出でて其の本心に非ず。若し夫れ納言に善き者は則ち然らず、或いは進見に因り、或いは講讀に因り、或いは燕居に因り、事に先だちて陳說す、「是くの如くなれば則ち國安し、是くの如くなれば則ち國危うし、是くの如くなれば則ち聖君と為り、是くの如くなれば則ち暴主と為る」と。或いは古昔を引き、或いは祖宗を援き、必ず之をして心悟神會せしめ、表裏聳然として、乃ち善を陳べて扞格(かんかく)の患い無かるべし。昔孟子三たび齊王に見えて事を言わず、曰く、「我先ず其の邪心を攻めん」と。大臣の君に事うる、職當に此くの如くなるべし。古人甚だしきに至りては自ら言うに難き者有り、往往にして名の耆年宿德(きねんしゅくとく)なる者を旁(かたわら)にして、諸(これ)を左右に置き、人君をして畏憚する所有りて敢えて恣(ほしいまま)にせざらしむ、則ち其の慮を為すこと亦深遠なり。然りと雖も、臣の君に於けるや、入りては則ち懇懇として以て忠を盡し、出でては則ち謙謙として以て自ら悔ゆ。凡そ上に白す所の者、外に洩らして諸人に伐(ほこ)るべからず。善は則ち君に歸し、過ちは則ち巳に歸す。其れ是くの如き者は、嫌を遠ざけ禍を避けんと欲するに非ず、大臣の體(たい)の當に然るべき所なり。坤の六二、章を含みて貞にすべし、盖し亦此の意なり。甞て見る、近代の執政、建白する所有りて呶呶(どうどう)焉として惟だ人の知らざるを恐れ、卒に讒譖(ざんせん)の之に乘ずるに至り、中途にして棄てらる。易の大係に謂う所の「君密ならざれば則ち臣を失い、臣密ならざれば則ち身を失う」とは、諒(まこと)なるかな。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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