韓非子 / 難言第三
范雎折脅於魏。此十數人者,皆世之仁賢忠良有道術之士也,不幸而遇悖亂闇惑之主而死。然則雖賢聖不能逃死亡避戮辱者,何也?則愚者難說也,故君子難言也。且至言忤於耳而倒於心,非賢聖莫能聽,願大王熟察之也。
新字:范雎折脅於魏。此十数人者,皆世之仁賢忠良有道術之士也,不幸而遇悖乱闇惑之主而死。然則雖賢聖不能逃死亡避戮辱者,何也?則愚者難説也,故君子難言也。且至言忤於耳而倒於心,非賢聖莫能聴,願大王熟察之也。
書き下し
范雎は魏に脅(あばら)を折らる。此の十數人は、皆世の仁賢忠良にして道術有るの士なり、不幸にして悖亂闇惑の主に遇ひて死せり。然らば則ち賢聖と雖も死亡を逃れ戮辱を避くる能はざる者は、何ぞや。則ち愚者は說き難ければなり、故に君子は言ひ難きなり。且つ至言は耳に忤(さか)らひて心に倒(もと)る、賢聖に非ざれば能く聽く莫し、願はくは大王之を熟察せよ。
現代語訳
范雎は魏であばら骨を折られた。ここに挙げた十数人は、みな世の仁徳と賢明さを備えた忠良の士で、道理と方術を身につけた者たちである。それが不幸にも、道理に背き道理に暗い君主に出会って死んだ。では、賢者・聖人であっても死を逃れ辱めを避けられないのはなぜか。愚かな者は説得しがたいからであり、だからこそ君子は物を言うのが難しい。しかも本当に重要な言葉は耳に逆らい、心の常識をひっくり返す。賢者・聖人でなければ聞き取ることはできない。どうか大王にはこのことをよくお考えいただきたい。
解説
「本当に大切な言葉というものは、耳には逆らって聞こえ、これまで信じてきた常識をひっくり返すものである」という教えです。原文では、多くの賢い人や忠実な人が、道理の通じない主君に出会ったために不幸にも命を落としたことが語られ、正しいことを言うのがいかに難しいかが述べられています。本当に役立つ忠告というのは、聞いていて心地よいものではなく、むしろ聞く人の思い込みを覆すような、耳の痛い内容であることが多いものです。人の上に立つ人ほど、こうした耳障りな意見にこそ耳を傾ける努力をしなければなりません。家庭でも、子どもや部下からの厳しい指摘を『生意気だ』と退けず、真剣に受け止める姿勢が、後々の大きな過ちを防ぐことにつながります。
この章句が説くこと
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