韓非子 / 初見秦第一
何以知其然也?昔者紂爲天子,將率天下甲兵百萬,左飲於淇溪,右飲於洹谿,淇水竭而洹水不流,以與周武王爲難。武王將素甲三千,戰一日,而破紂之國,禽其身,據其地而有其民,天下莫傷。知伯率三國之衆以攻趙襄主於晉陽,決水而灌之三月,城且拔矣,襄主鑽龜筮占兆,以視利害,何國可降。乃使其臣張孟談。於是乃潜行而出,反知伯之約,得兩國之衆,以攻知伯,禽其身,以復襄主之初。今秦地折長補短,方數千里,名師數十百萬。秦國之號令賞罰,地形利害,天下莫如也。以此與天下,可兼而有也。臣昧死願望見大王,言所以破天下之從,舉趙,亡韓,臣荆、魏,親齊、燕,以成霸王之名,朝四鄰諸侯之道。
新字:何以知其然也?昔者紂為天子,将率天下甲兵百万,左飲於淇渓,右飲於洹谿,淇水竭而洹水不流,以与周武王為難。武王将素甲三千,戦一日,而破紂之国,禽其身,拠其地而有其民,天下莫傷。知伯率三国之衆以攻趙襄主於晋陽,決水而灌之三月,城且抜矣,襄主鑽亀筮占兆,以視利害,何国可降。乃使其臣張孟談。於是乃潜行而出,反知伯之約,得両国之衆,以攻知伯,禽其身,以復襄主之初。今秦地折長補短,方数千里,名師数十百万。秦国之号令賞罰,地形利害,天下莫如也。以此与天下,可兼而有也。臣昧死願望見大王,言所以破天下之従,舉趙,亡韓,臣荆、魏,親斉、燕,以成覇王之名,朝四鄰諸侯之道。
書き下し
何を以て其の然るを知るや。昔者紂は天子と為り、将に天下の甲兵百万を率ゐ、左は淇渓に飲ひ、右は洹谿に飲ひ、淇水竭きて洹水流れず、以て周の武王と難を為さんとす。武王は素甲三千を将ゐ、戦ふこと一日にして、紂の国を破り、其の身を禽にし、其の地に拠りて其の民を有ち、天下傷む莫し。知伯は三国の衆を率ゐて以て趙襄主を晋陽に攻め、水を決して之に灌ぐこと三月、城且に抜けんとす。襄主亀を鑽り筮して兆を占ひ、以て利害を視、何れの国に降るべきかを視る。乃ち其の臣張孟談を使はす。是に於て乃ち潜行して出で、知伯の約に反かしめ、両国の衆を得て、以て知伯を攻め、其の身を禽にし、以て襄主の初めに復す。今秦の地は長きを折りて短きを補へば、方数千里、名師数十百万。秦国の号令賞罰、地形利害、天下如くもの莫きなり。此を以て天下に与すれば、兼ねて有つべきなり。臣昧死して願はくは大王に見えんことを望み、天下の従を破り、趙を挙げ、韓を亡ぼし、荊・魏を臣とし、斉・燕を親しみ、以て覇王の名を成し、四隣の諸侯を朝せしむる所以の道を言はん。
現代語訳
どうしてそうだと分かるのか。昔、殷の紂王は天子となり、天下の兵百万を率いようとした。その軍勢は左で淇渓の水を飲み、右で洹谿の水を飲み、淇水は干上がり洹水は流れなくなるほどで、それで周の武王に立ち向かった。武王は白い鎧の兵三千を率い、一日戦っただけで紂の国を破り、紂を捕らえ、その地を押さえて民を治め、天下に悲しむ者はいなかった。また知伯(晋の卿、智伯瑶)は三国の軍勢を率いて趙襄子を晋陽に攻め、川の堤を切って水を注ぎ込むこと三か月、城は落ちる寸前であった。襄子は亀甲を焼き筮竹で占って利害を見定め、どの国に降るべきかを考えた。そこで家臣の張孟談を遣わした。張孟談はひそかに城を抜け出して韓と魏に知伯との約束を破らせ、その二国の軍勢を味方につけて知伯を攻め、知伯を捕らえて、襄子を元の地位に戻した。いま秦の国土は、出っ張りを削り足りないところを補えば数千里四方あり、名だたる軍は数十万から百万に及ぶ。秦の号令と賞罰、地形の有利さは天下に及ぶものがない。これをもって天下に当たれば、併せ持つことができる。私は死を覚悟して大王にお目にかかり、天下の合従を破り、趙を取り、韓を滅ぼし、楚と魏を臣従させ、斉と燕と親しみ、覇王の名を成して四方の諸侯を朝貢させる道を申し上げたいと願う。
解説
関連する章句
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『韓非子』初見秦第一然らば則ち是れ趙挙がり、趙挙がれば則ち韓亡び、韓亡ぶれば則ち荊・魏独立すること能はず。荊・魏独立すること能はざれば、則ち是れ一挙にして韓を壊り、魏を蠹み、荊を挾み、東は以て斉・燕を弱め、白馬の口を決して以て魏氏に沃ぎ、是れ一挙にして三晋亡び、従者敗るるなり。大王垂拱して以て之を須たば、天下編随して服せん、覇王の名成すべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た趙氏と和を為す。夫れ大王の明、秦兵の強きを以て、覇王の業を棄て、地曾て得べからず、乃ち亡国に欺かるるは、是れ謀臣の拙なり。且つ夫れ趙は亡ぶべくして亡びず、秦は覇たるべくして覇たらず、天下固より以て秦の謀臣を量ること一なり。乃ち復た士卒を悉くして以て邯鄲を攻むるも、抜くこと能はず、甲兵弩を棄て、戦竦して却く、天下固より已に秦の力を量ること二なり。軍乃ち引きて復り、李下に并せ、大王又軍を并せて至り、与に戦ひて之に克つこと能はず、又反ること能はず、軍罷れて去る、天下固より秦の力を量ること三なり。内は吾が謀臣を量り、外は吾が兵力を極む。是に由りて之を観れば、臣以為へらく、天下の従は、幾ど難からず。内は、吾が甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚し。外は、天下皆比意甚だ固し。願はくは大王以て之を慮ること有れ。
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戦国策・秦一・張儀說秦王張儀秦王に說きて曰わく、「臣之を聞く、知らずして言うは不智と為し、知りて言わざるは不忠と為す。人臣為りて不忠なれば當に死すべく、言審らかならざるも亦た當に死すべし。然りと雖も、臣願わくは聞く所を悉く言わん、大王其の罪を裁せよ。臣聞く、天下陰かに燕、陽に魏、荊に連なり齊に固く、餘韓を收めて從を成し、將に西南して以て秦の難を為さんとすと。臣竊かに之を笑う。世に三亡有りて、天下之を得るは、其れ此の謂いか。臣之を聞きて曰わく、『亂を以て治を攻むる者は亡び、邪を以て正を攻むる者は亡び、逆を以て順を攻むる者は亡ぶ』と。今天下の府庫盈たず、囷倉空虛にして、其の士民を悉くし、軍を張ること數千百萬、白刃前に在り、斧質後に在れど、皆去りて走り、死する能わず、其の百姓死する能わざるを罪すと雖も、其の上殺す能わざるなり。賞を言えば則ち與えず、罰を言えば則ち行われず、賞罰行われず、故に民死せざるなり。「今秦號令を出だして賞罰を行い、攻不攻相い事とす。其の父母懷袵の中を出でて、生まれて未だ嘗て寇を見ざるも、戰を聞けば頓足徒裼し、白刃を犯し、煨炭を蹈み、死を前に斷つ者是に比す。夫れ死を斷ずると生を斷ずるとは同じからざるも、民之を為す者は是れ奮を貴べばなり。一以て十に勝つべく、十以て百に勝つべく、百以て千に勝つべく、千以て萬に勝つべく、萬以て天下に勝つべし。今秦の地形、長を斷ちて短を續ぎ、方數千里、名師數百萬、秦の號令賞罰、地形の利害、天下之に如くは莫し。此を以て天下と、天下兼ねて之を有つに足らず。是れ秦戰いて未だ嘗て勝たずんばあらず、攻めて未だ嘗て取らずんばあらず、當たる所未だ嘗て破らずんばあらざるを知るなり。地を開くこと數千里、此れ甚だ大功なり。然れども甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虛しく、四鄰の諸侯服せず、伯王の名成らず。此れ異故無く、謀臣皆其の忠を盡くさざればなり。「臣敢えて往昔を言わん。昔者齊南は荊を破り、中は宋を破り、西は秦を服し、北は燕を破り、中は韓・魏の君を使い、地廣くして兵強く、戰勝攻取して天下に詔令し、濟清河濁、以て限と為すに足り、長城・鉅坊、以て塞と為すに足る。齊は五戰の國なるも、一戰勝たずして齊無し。故に此に由りて之を觀れば、夫れ戰は萬乘の存亡なり。「且つ臣之を聞きて曰わく、『株を削り根を掘れば、禍と鄰たること無く、禍乃ち存せず』と。秦荊人と戰い、大いに荊を破り、郢を襲い、洞庭・五都・江南を取る。荊王亡走し、東のかた陳に伏す。是の時に當たりて、荊に隨うに兵を以てせば、則ち荊舉ぐべし。荊を舉ぐれば、則ち其の民貪るに足り、地利するに足る。東は以て齊・燕を強くし、中は三晉を陵ぐ。然らば則ち是れ一舉にして伯王の名成すべく、四鄰の諸侯朝せしむべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、荊人と和せり。今荊人亡國を收め、散民を聚め、社主を立て、宗廟を置き、天下を帥いて西面して秦の難を為さしむ。此れ固に已に伯王の道無きこと一なり。天下志を比べて華下に軍す。大王詐を以て之を破り、兵梁郭に至り、梁を圍むこと數旬にして、則ち梁拔くべし。梁を拔けば、則ち魏舉ぐべし。魏を舉ぐれば、則ち荊・趙の志絕ゆ。荊・趙の志絕ゆれば、則ち趙危うし。趙危うくして荊孤なり。東は以て齊・燕を強くし、中は三晉を陵ぐ。然らば則ち是れ一舉にして伯王の名成すべく、四鄰の諸侯朝せしむべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、魏氏と和し、魏氏をして亡國を收め、散民を聚め、社主を立て、宗廟を置かしむ。此れ固に已に伯王の道無きこと二なり。前者穰侯の秦を治むるや、一國の兵を用いて、兩國の功を成さんと欲す。是の故に兵終身外に暴靈し、士民內に潞病し、伯王の名成らず。此れ固に已に伯王の道無きこと三なり。「趙氏は中央の國にして、雜民の居る所なり。其の民輕くして用い難く、號令治まらず、賞罰信ならず、地形便ならず、上其の民力を盡くす能わず。彼固より亡國の形なるも、民氓を憂えず、其の士民を悉くし、長平の下に軍し、以て韓の上黨を爭う。大王詐を以て之を破り、武安を拔く。是の時に當たりて、趙氏上下相親しまず、貴賤相信ぜず。然らば則ち是れ邯鄲守らず、邯鄲を拔き、河間を完うし、軍を引きて去り、西のかた脩武を攻め、羊腸を踰え、代・上黨を降す。代三十六縣、上黨十七縣、一領の甲を用いず、一民を苦しめず、皆秦の有なり。代・上黨戰わずして已に秦と為り、東陽河外戰わずして已に反りて齊と為り、中の呼池以北戰わずして已に燕と為らん。然らば則ち是れ趙を舉ぐれば則ち韓必ず亡び、韓亡ぶれば則ち荊・魏獨立する能わず。荊・魏獨立する能わざれば、則ち是れ一舉にして韓を壞り、魏を蠹み、荊を挾み、東は以て齊・燕を弱め、白馬の口を決して以て魏氏に流す。一舉にして三晉亡び、從者敗る。大王拱手して以て須てば、天下遍く隨いて伏し、伯王の名成すべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、趙氏と和を為す。大王の明、秦兵の強きを以て、伯王の業、地尊きを得べからずして、乃ち亡國に欺かるるを取る、是れ謀臣の拙なり。且つ夫れ趙當に亡ぶべくして亡びず、秦當に伯たるべくして伯たらず、天下固より秦の謀臣を量ること一なり。乃ち復た卒を悉くして邯鄲を攻むるも、拔く能わず、甲兵を棄てて怒り、戰慄して卻く。天下固より秦の力を量ること二なり。軍乃ち引きて退き、李下に并す。大王又軍を并せて與に戰うに致すも、能く厚く之に勝つに非ず、又交ごも罷れて卻く。天下固より秦の力を量ること三なり。內には吾が謀臣を量り、外には吾が兵力を極む。是に由りて之を觀れば、臣天下の從を以て、豈其れ難からんや。內には吾が甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虛し。外には天下志を比ぶること甚だ固し。願わくは大王以て之を慮る有れ。「且つ臣之を聞く、戰戰慄慄として、日に一日を慎むと。苟くも其の道を慎まば、天下有つべし。何を以て其の然るを知るや。昔者紂天子と為り、天下を帥いて甲百萬を將い、左は淇谷に飲み、右は洹水に飲み、淇水竭きて洹水流れずして、以て周武の難を為す。武王素甲三千領を將い、戰うこと一日にして、紂の國を破り、其の身を禽にし、其の地に據りて、其の民を有つも、天下傷まざるは莫し。智伯三國の眾を帥い、以て趙の襄主を晉陽に攻め、水を決して之に灌ぎ、三年にして、城且に拔けんとす。襄主龜を錯き、策を數え兆を占い、以て利害を視、何れの國か降すべきかを、張孟談をして使いせしむ。是に於いて潛かに行きて出で、智伯の約に反き、兩國の眾を得て、以て智伯の國を攻め、其の身を禽にし、以て襄子の功を成す。今秦の地、長を斷ちて短を續ぎ、方數千里、名師數百萬、秦國の號令賞罰、地形の利害、天下之に如くは莫し。此を以て天下と、天下兼ねて之を有つべし。「臣死を昧して大王に見えんことを望み、天下の從を舉げ破り、趙を舉げ韓を亡ぼし、荊・魏を臣とし、齊・燕を親しみ、以て伯王の名を成し、四鄰の諸侯を朝せしむるの道を言う所以なり。大王試みに其の說を聽くに、一舉にして天下の從破れず、趙舉がらず、韓亡びず、荊・魏臣とせられず、齊・燕親しまず、伯王の名成らず、四鄰の諸侯朝せずんば、大王臣を斬りて以て國に徇え、以て主の為に謀りて不忠なる者とせよ。」
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史記 蘇秦列伝又魏の襄王に説きて曰く、「大王の地は方千里。地名は小なりと雖も、然れども田舎廬廡の数、曾て芻牧する所無し。臣聞く、越王句踐は敝卒三千人を戦はせて夫差を干遂に禽にす。武王は卒三千人、革車三百乗、紂を牧野に制す。豈に其の士卒衆きや、誠に能く其の威を奮へばなり。今竊かに大王の卒を聞くに、武士二十万、蒼頭二十万、奮撃二十万、廝徒十万、車六百乗、騎五千匹。此れ其の越王句踐・武王に過ぐること遠し。今乃ち群臣の説を聴きて秦に臣事せんと欲す。臣故に願はくは大王孰々之を察せよ」と。魏王曰く、「寡人不肖にして、未だ嘗て明教を聞くを得ず。今主君趙王の詔を以て之を詔す、敬みて国を以て従はん」と。
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戦国策・秦昭王謂左右秦昭王左右に謂ひて曰く、「今日の韓・魏は、始めの強きと孰與(いづ)れぞ。」對へて曰く、「如かざるなり。」王曰く、「今の如耳・魏齊は、孟嘗・芒卯の賢と孰與れぞ。」對へて曰く、「如かざるなり。」王曰く、「孟嘗・芒卯の賢を以て、強き韓・魏の兵を帥ゐて以て秦を伐つも、猶ほ寡人を奈何ともする無きなり。今無能の如耳・魏齊を以て、弱き韓・魏を帥ゐて秦を攻むれば、其の寡人を奈何ともする無きこと、亦た明らかなり。」左右皆曰く、「甚だ然り。」中期琴を推して對へて曰く、「三(王)の天下を料るや過てり。昔者六晉の時、智氏最も強く、范・中行を滅破し、韓・魏を帥ゐて以て趙襄子を晉陽に圍む。晉水を決して以て晉陽に灌ぎ、城の沈まざる者三板のみ。智伯出でて水を行(み)るに、韓康子御し、魏桓子驂乘す。智伯曰く、『始め、吾水の以て人の國を亡ぼす可きを知らず、乃ち今之を知る。汾水も利あり以て安邑に灌ぐ可く、絳水も利あり以て平陽に灌ぐ可し。』魏桓子韓康子に肘し、康子魏桓子を履み、其の踵を躡む。肘足車上に接して、智氏分たれたり。身死し國亡び、天下の笑ひと爲れり。今秦の強きも、智伯に過ぐる能はず。韓・魏弱しと雖も、尚ほ賢に晉陽の下に在り。此れ乃ち方に其の肘足を用ゐる時なり、願はくは王の易んずる勿からんことを。」
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