太上感応篇 / 結論・心善に起これば、善未だ為さざるも吉神已に随ふ
夫心起於善,善雖未為,而吉神已隨之;或心起於惡,惡雖未為,而凶神已隨之。其有曾行惡事,後自改悔,諸惡莫作,
新字:夫心起於善,善雖未為,而吉神已随之;或心起於悪,悪雖未為,而凶神已随之。其有曽行悪事,後自改悔,諸悪莫作,
書き下し
夫れ心善に起これば、善は未だ為さざるも、吉神已に之に随ふ。或いは心悪に起これば、悪は未だ為さざるも、凶神已に之に随ふ。其れ曾て悪事を行ふこと有るも、後に自ら改悔し、諸悪作すこと莫く、衆善奉行せば、
現代語訳
そもそも心が善に向かって起これば、その善をまだ行っていなくても、善き神がすでにその人に付き従います。もし心が悪に向かって起これば、その悪をまだ行っていなくても、凶なる神がすでに付き従います。かつて悪事を行ったことがあっても、後に自分から悔い改め、もろもろの悪を行わず、多くの善を行っていくならば、
解説
長い目録を閉じたあとの結びで、この書の要はここにあります。行いではなく、心が起きた時点ですでに決まっている、と言うのです。まだ何もしていない段階を問題にするのは厳しいようですが、後半を読むと意図が分かります。だからこそ、悪事を行った者でも、悔い改めたその時点から変われるのです。諸悪莫作、衆善奉行の八字は七仏通誡偈として仏教で古くから知られた句で、道教の勧善書であるこの書がそのまま取り込んでいます。三教が入り混じるのがこの書の性格です。過去は動かせませんが、心の向きは今日この瞬間に変えられる。裁きの書に見えて、実はやり直しを認める書です。
この章句が説くこと
改過心善悪やり直し七仏
関連する章句
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『正法眼蔵随聞記』巻五一日雑談の次でに示じて云く、人の心本より善悪なし、善悪は縁に随て起る、喩へば人発心して山林に入る時は、林下はよし人間は悪しとおほゆ、亦退屈の心にて山林を出る時は、山林は悪しとおぼゆ、是れ即ち決定して心に定相なし、縁に随て兎も角もなるなり、かるが故に善縁にあへば心よくなり、悪縁に近づけば心悪くなるなり、我が心本より悪しと思ふことなかれ、只善縁に随ふへきなり、
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『十善法語』巻第十二・不邪見戒之下夢ヲ占フテ吉凶ヲ知ル。冠蓋ヲ相シ。刀劒ヲ相シ。笏ヲ相シテ。吉凶ヲ察スル。印度ニ八種占相ノ術アル。其種類多キシヤ。要ヲ取テ云ハハ。心ノ赴ク処ニ理ノアラハレ。力ヲ用フル処ニ術ヲ得ル。事事皆爾リシヤ。增一阿含ノ中ニ。鹿頭梵志カ髑体ヲ打テ。其人ノ命終ノ縁及後世受生ノ処ヲ云シト。此趣ヲ擴充シ思惟セハ。支那ノ卜筮相法ノ術ノ中ニモ。後世受生モ察シ知ルヘキシヤ。一草一木ノ上ニモ。此大道ノ顕レテ隠シ得ヌコトヲ知ルヘキシヤ。此一切吉凶禍福。人事ノ始末。面部ニ顕レテ隠シ得ヌ。手足ニ顕レテ隠シ得ヌ。器物玩具。屋宅城邑ニ顕レテ隠シ得ス。国家ノ治乱。軍事ノ成敗。天象ニ顕レ。地理ニアラハレテ隠シ得ヌ。乃至所作ノ善悪。志性ノ賢不肖。後世受生ノ処マテ。片骨ニ顕レテ隠シ得ヌ。断見ハ此処ニ解脱スルシヤ。吉凶悔吝。心ニ由テ転変シテ実体ナク。善ヲ思ヘハ凶事モ吉ト成ル。能ニ誇レハ吉事モ凶事トナル。維レ狂モ克念ヘハ聖トナル。維レ聖モ念ハサレハ狂トナル。常見ハ此処ニ解脱スルシヤ。
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『不動智神妙録』諫言 其一 忠を尽くす其心正しき時は、外より人の知る事もあらず、一念発る所に善と悪との二つあり、其善悪二つの本を考へて、善をなし悪をせざれば、心自ら正直なり。
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『酔古堂剣掃』集醒・吉人は安祥吉人は安祥にして、即ち夢寐の神魂も、和氣に非ざるは無し。 凶人は狠戾にして、即ち聲音笑語も、渾て是れ殺機なり。
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『呻吟語』内篇・存心・心は天平のごとくならんことを要す心は天平のごとくならんことを要す。物を稱る時、物は忙しくして衡は忙しからず。物去る時、即ち懸空して此に在り。只だ恁く靜虛中正なれば、何等ぞ自在ならん。
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『呻吟語』内篇・修身・心を大にし虛にし平にし潛め定む其の心を大にして天下の物を容れ、其の心を虛にして天下の善を受け、其の心を平にして天下の事を論じ、其の心を潛めて天下の理を觀、其の心を定めて天下の變に應ず。