太上感応篇 / 悪行・天を怨み人を尤め、風を呵し雨を罵る
賞罰不平,逸樂過節;苛虐其下,恐嚇於他;怨天尤人,呵風罵雨;鬪合爭訟,妄逐朋黨;
新字:賞罰不平,逸楽過節;苛虐其下,恐嚇於他;怨天尤人,呵風罵雨;闘合争訟,妄逐朋党;
書き下し
賞罰平らかならず、逸楽節に過ぐ。其の下を苛虐し、他を恐嚇す。天を怨み人を尤め、風を呵し雨を罵る。鬪合争訟し、妄りに朋党を逐ふ。
現代語訳
賞と罰が公平でなく、遊びや楽しみが度を越しています。部下をむごく苦しめ、人を脅しつけます。天を怨み人を責め、風をどなりつけ雨をののしります。争いをけしかけて訴訟を起こさせ、みだりに徒党を追い求めます。
解説
上に立つ者の悪が、もう一度別の角度から並べられた段です。賞罰不平と苛虐其下は前にも出ましたが、ここでは逸楽過節、つまり自分の楽しみが度を越していることと組み合わせて置かれています。下を締めつけながら自分は緩む、という組み合わせが最も人心を失うからでしょう。中ほどの怨天尤人は『論語』憲問篇の不怨天不尤人を裏返した言い方で、うまくいかない原因を外にばかり求める心を指します。呵風罵雨は、風や雨にまで腹を立てること。天気に文句を言い始めた人が、次に何に文句を言うかは決まっています。最後の鬪合争訟は、人の争いを裏でけしかけて広げる行いです。
この章句が説くこと
怨天賞罰脅し徒党逸楽
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呂氏春秋・義賞①春氣至れば則ち草木産し、秋氣至れば則ち草木落つ。産と落とは之を使しむるもの或り。自ら然るに非ざるなり。故に之を使しむる者至れば、物為さざる無く、之を使しむる者至らざれば、物為す可き無し。古の人、其の使しむる所以を審らかにす、故に物、用を為さざる莫し。賞罰の柄、此れ上の使しむる所以なり。其の以て加うる所の者義なれば、則ち忠信親愛の道彰わる。久しく彰われて愈々長ずれば、民の之に安んずること性の若し。此を之れ教成ると謂う。教成れば則ち厚賞嚴威有りと雖も禁ずること能わず。故に善く教うる者は、義以て賞罰して教成り、教成りて賞罰禁ずること能わず。賞罰を用いて當らざるも亦た然り。姦偽賊亂貪戻の道興り、久しく興りて息まざれば、民の之を讎うること性の若し。戎夷胡貉巴越の民は、是を以て厚賞嚴罰有りと雖も、禁ずること能わず。郢人の兩版を以て垣するや、吳起之を變じて惡まる。賞罰易れば民安くんぞ樂しまん。氐羌の民、其れ虜となるや、其の係纍を憂えずして、其の死するに焚かれざるを憂うるは、皆、邪に成り、且つ成りて民を賊う。故に賞罰の加うる所は、慎まざる可からず。
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