太上感応篇 / 総論・司過の神、人の算を奪ふ
是以天地有司過之神,依人所犯輕重,以奪人算。算減則貧耗,多逢憂患;人皆惡之,刑禍隨之,吉慶避之,惡星災之;算盡則死。
新字:是以天地有司過之神,依人所犯軽重,以奪人算。算減則貧耗,多逢憂患;人皆悪之,刑禍随之,吉慶避之,悪星災之;算尽則死。
書き下し
是を以て天地に司過の神有り、人の犯す所の軽重に依りて、以て人の算を奪ふ。算減ずれば則ち貧耗し、多く憂患に逢ふ。人皆之を悪み、刑禍之に随ひ、吉慶之を避け、悪星之を災す。算尽くれば則ち死す。
現代語訳
そこで天地には、人の過ちを見張る神がいます。その人の犯した罪の軽さ重さに応じて、寿命を削るのです。寿命が減れば貧しくなってすり減り、心配ごとに何度も出会います。人は皆その人を嫌い、罰やわざわいが後を追い、めでたいことは避けて通り、凶星がわざわいをもたらします。寿命が尽きれば死ぬのです。
解説
冒頭の原理を、道教の神々の働きとして具体に落とした段です。司過の神とは、人の過ちを記録する天の役人のこと。算とは寿命を数える単位で、注釈によって百日とも三日とも説が分かれます。ここで面白いのは、寿命が減るとまず何が起きるかという書き方です。いきなり死ぬのではなく、貧しくなり、心配ごとが増え、人に嫌われ、良い話が来なくなる。悪事の代償を、死という遠い一点ではなく、日々の暮らしのすり減りとして描いています。神を信じるかどうかは別にして、後ろ暗いことを抱えた人のまわりから、少しずつ人と機会が引いていく、というのは経験として覚えのある話でしょう。
この章句が説くこと
寿命過ち報い貧天
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